8 魔道具を携える影
――こうしてクロアリ公爵は、たくさんの角砂糖を持ち帰りました。アカアリもシロアリも飛び跳ねて喜びました。こうして皆で、仲良く暮らしましたとさ。
最後に「おしまい」と締めくくると、シルヴィアが大きな拍手を打ち鳴らした。ようやく陽の目を浴びた絵本の読み聞かせは――拍手喝采で幕を閉じた。アルフレッドは目元を滲ませつつ、熱い称賛に耳目を向けた。
「やったねぇ、みんなでシアワセになれたねぇ」
寝る前であるのに、むしろ興奮させてしまったらしい。シルヴィアは鼻息を荒くしては、ベッドの上で飛び跳ねてしまう。
そしてミレイアも続けて絶賛した。
「さすがは魔王様。なんてステキなお話を……あはぁ、目眩がします」
そう言っては、頭を揺さぶりつつ、とろけた瞳を天井に向けた。何か洗脳でもされたような顔つきには、アルフレッドも反応に困らされる。グレンが現実に引き戻してやろうと、ミレイアの頬をペチペチ叩くのだが、あまり上手くいっていない。
「まったく、寝かしつけの為に読んだんだけどなぁ」
「おとさん、もっかい! もっかいよんで!」
「しょうがないなぁ。今度はちゃんと寝ておくれよ?」
そうして3人の子たちをベッドに寝かせて、絵本を開いた。だが次の瞬間、アルフレッドは謎の気配を察知した。2階の窓の外からだった。
「誰だ……?」
窓辺に寄り外を覗く。そこには人影はなく、ただし夜空に見知った姿を見つけた。アシュリーが1人で飛び回っている。
「げへへ! こりゃもう入れ食いの捕まえ放題じゃーーい!」
アシュリーは麻袋を振り回しつつ、歓喜の声をあげた。白い羽虫を捕まえている真っ最中だ。
「何してんだアイツ。今のはアシュリーの気配か……?」
「おとさん、はやくはやく!」
「あぁ、うん。分かったよ」
ベッドに戻り、読み聞かせを再開した。しかし読み進める間も、何となく窓の外が気にかかり、途中でつっかえてしまった。
2周目の終わりを迎える前に、まずシルヴィア、続けてミレイアが寝息を立て始めた。残ったのはグレンだけだ。
「そろそろ、かな」本を閉じて立ち上がった。
「ありがとうアルフさん。僕にとっても楽しいお話だったよ」
「それは何よりだ。ところでグレン」
「なんだい?」
アルフレッドは「不審者に気をつけろ」と言いかけて、やめた。グレンは頼りになるとはいえ、まだ12歳の子供だ。彼に余計な不安を与えるのは、何となくはばかられた。
「シルヴィたちがベッドから落っこちないよう、気をつけてくれ」
「もちろんだよ。おやすみなさい」
そこでアルフレッドは子供部屋を出て、自室に戻った。そして彼も横になるのだが、睡魔は遠くに感じていた。
しばらく寝そべっていると、静かにドアが開いた。狭い隙間から身を滑らせて現れたのは、ペットの黒猫だ。するとアルフレッドは半身を起こして、目つきを鋭くした。
「モコか……何の用だ?」
モコと呼ばれた猫は、ベッドにひょいと飛び乗った。そして白目がちな瞳をアルフレッドに向けた。
この猫は普通ではないと――アルフレッドは知っている。そしてモコは、小さな口を開いては、饒舌に喋り始めた。
「アルフ、気づいてる? 近くに何者かが潜んでるよ」
アルフレッドは鼻で笑った。
「やっぱりな。しかし珍しい、お前がわざわざ教えに来るなんて。よっぽど厄介な相手か?」
「そうじゃないよ。この臭いは、か弱くも儚い人間のものさ。君にとって脅威になりえない」
「だったら他の連中と同じだ。見つけ次第にぶちのめす」
「うん。それでいい。だけど、何となく謀略の気配を感じるよ。くれぐれも気をつけてね」
「親切なことだな。まさかお前、オレが殺されるとでも?」
「いやいや、君に太刀打ちできるのは、僕達と同じ『4柱』だけだよ。並大抵の相手じゃ、勝負にすらならないと思う」
そう言いつつ、モコは窓の方を見た。そこには、無数の星が空にきらめいている。
「そろそろ運命が回りだしそうでさ。それを教えに来たんだ」
「そのきっかけは?」
「分からないけど、近いよ。それだけは強く感じてる」
「ありがとよ、何の参考にもならねぇ」
アルフレッドがベッドに身を放り投げた。しばらく寝そべっていると、いつの間にかモコは部屋から立ち去っていた。「モコのやつ、何の忠告だよ……」眠気はいつの間にか傍に寄り添っていた。
翌日。森の大人たちがそれぞれ仕事に散った時、アルフレッドも家を後にした。付近を探索するためだ。
何か変化はないかと、家をグルリと回り、草原を隅から隅まで探した。地面に空いた穴の一つ一つに手を突っ込んだ――驚いたヘビが飛び出したりした――が、得られた情報はない。
足を伸ばして、洞窟や小川の辺りも探し回ったが、何も分からず終いだった。
「ふぅ、ただいま」
アルフレッドは徒労の面持ちで帰宅した。すると、リビングで言い争う3人の姿が待ち構えていた。子供のケンカ――ではない。リタにアシュリー、そしてエレナという、いい大人たちだった。
「アルフ! 良い所に!」
3人がアルフレッドの手首を掴み、リビングに連行した。何の話かわからず、彼も困惑と憤り混ぜ合わせた態度になる。
「いったい何の騒ぎだ、説明しろよ」
最初に答えたのはアシュリーだ。
「アルフ、覗きました?」
「何をだよ」
「私を、何かこう、すんごい低いところから。ローブの中をねっとり覗き込むように」
「やる訳ねぇだろバカ。羽根むしるぞ」
「えっ、なにその態度! 盗人猛々しいですね!」
アシュリーは不満顔だが、リタは「当然」と言いたげに頷いた。
「次は私だ……」エレナが神妙な面持ちで言った。
「滝行をしていたのだが、その時近場にいたか?」
「いや、滝の方は行ってない。せいぜい、洞窟と小川まで」
「では、盗み見た訳ではないのだな? その時私は一糸まとわぬ裸だったのだが、劣情を抱いたのとは違うと?」
「当たり前だろ。別に見たいとも思わねぇ」
「そうか、残念だ……」
肩を落とすエレナ、そしてまたもや満足げに頷くリタ。
「だから言ったでしょう。アルフは、私みたいな体つきが好みなのって。あなたたちには、そういう興味なんて湧かないのよ」
「いやもう、さっきから何なんだよ! 説明しろ!」
アルフレッドが問うと、リタが答えた。その話は、最初から聞けばシンプルなものだった。
「視線を感じた……?」
「そうなのよ。アシュリーも、エレナも、茂みの方から強い視線を感じたって。それを自慢するの。『アルフが私に興味津々だ』とかいって」
「そんなバカバカしい事で揉めたのか、お前ら……」
「あら、切実な話よ。あなたがちゃんと『奥さん』を選んでくれないから、こんなケンカが起きるんじゃない」
リタが詰め寄り、吐息の当たる距離で言った。
「アルフはやっぱり私が一番よね。ご飯は美味しいし、面倒見もいいし」
それをエレナが横から押しのけた。
「私は誰よりも頑丈だ。体力に満ちあふれて、しかも剣が使える。戦場で背中を預けられるのは私くらい――」
エレナを踏み潰すように、アシュリーがのしかかった。
「いやいやいや、一番美しいのは私ですから! 男の夢が詰まった大きな胸に、滑らかな肌! この清楚な白い翼! アルフは私にメロっメロですもんね!」
めんどうくせぇ――とアルフレッドは心底思った。そして後ずさる。1度火が点いた3人は、滅多に鎮まらないことを経験から知っている。
「さぁ誰が」「一番奥さんにふさわしいか」「決めてもらいましょうか!」ジリジリと3人が距離を詰める。突破口を求めて四方を見るアルフレッドは、その時光るものを見つけた。
窓の外、草むらで不自然の光る何か――それがアルフレッドの突破口だった。
「みっ……見つけたぞオラァーー!」
家から逃げ去る、いや侵入者を捕らえるべく飛び出した。
光の見えた方へ猛然と駆ける。すると草むらが激しく揺れて、人影が飛び出した。
「お前ら、捕まえろ! 視線の犯人だぞ!」
人影は、ローブを頭から被っており、風貌は分からない。しかし軽やかな身のこなしには、訓練の後が見て取れた。迷い込んだ一般人ではない。
「止まれ! 止まらなきゃ撃つぞ!」
アルフレッドの警告は無視された。その間も、謎の影は駆け去っていくのだが、速い。飛行するアシュリーも、リタの飛翔魔法ですら追いつけない。
このままでは森の中に逃げられてしまう。
「逃がすかよ。食らえ、炎龍――」
言いかけて、やめた。大技を放てば森の半分は消し飛んでしまう。極力加減するしかなかった。それはアルフレッドの苦手とするもので、特に全力疾走しながら手を抜く、というのは苦労させられた。
「くっ、難しい! 魔力が暴発しそうになる……!」
眉間にシワを寄せつつ、やはり上手く行かず、彼は結局石を投げつけた。
「止まれやオラァ!」
ただの石礫だが、その威力は殺人級だった。それは僅かに狙いが逸れて、地面に直撃した。すると火山でも噴火したように地面が破裂し、高らかな砂埃が舞い上がった。
その衝撃が謎の人影を襲う。そして、その身体が吹き飛び、草原の上を転がった。
「今だ、捕まえろ!」
アルフレッドが叫ぶと、一斉に全員が取り付いた。
マントがはだけて、その人物が判明した。まだ若い青年で、アルフレッドと同年代の見た目だった。暗い色味のチュニックとズボンは、貧しさを思わせる。しかし手入れの行き届いた紺色の長髪と、気品あふれる顔立ちが、育ちの良さを思わせた。
「誰だお前、何のようだ?」
問いかけると、男は無表情で答えた。
「いやはや、恐れ入りました。多少なりとも心得のあった私ですが、こうもアッサリ捕まるとは。さすがは魔王といったところでしょうか」
「誰なんだよお前は」
「申し遅れました。レジスタリアの政務官クラウスと申します。こたびは主人トルキン様の命令で、皆様を調査しておりました」
億面もなく言うその顔は、表情を一切変えなかった。
このクライスとの出会いが、レジスタリアを大きく揺るがす戦乱につながろうなどと、露ほども思わなかった。