7 最高の下僕になるために
グレンの有能さや心根から、ついには兄妹を受け入れる事を決意したアルフレッド。責任や煩雑さが増えることを忌避する彼も、ようやく家族と認めたのだ。
しかし本当に面倒な事はまだ、明るみになっていなかった――彼はおいおい知ることになる。
それを知るキッカケとなったのは視線だ。アルフレッドは食事時にふと、ミレイアと視線が重なった。何の気なしに見つめると、ミレイアがニッコリ微笑んだ。
10歳の少女相応の愛らしい笑みだ。小首を傾げつつ、茶色のツインテールを揺らしている。この時アルフレッドは何も気にならなかった。せいぜい「楽しいことでもあったか」と思うくらい。
だがそれも度重なれば、嫌でも意識してしまう。
(なんかアイツ、すげぇ見てくるんだが……)
例えばリビングでくつろぐ時、ダイニングで紅茶を味わう時、だいたい視線が飛んできた。さらにシルヴィアも加えた3人が、庭先で戯れているときでさえも、ミレイアはちらちらと視線をよこした。
「一体何なんだ、うっとうしいな……」
夜を迎えて、子どもたちが一斉に風呂へ入ったのを見計らい、アルフレッドはぼやいた。
するとリタが、温かな紅茶を差し出しつつ笑った。
「いいじゃない、可愛らしくって」
「いや、意味がわからねぇんだよ。別に見たって面白くもないだろうが」
「淡い恋心ってやつかもね。だってホラ、あなたは命の危機を颯爽と救ったのよ? 好意を寄せられても不思議じゃないわ」
アルフレッドは、これでもかと顔を歪めた。
「うわぁマジか……めんどくせぇ……」
「嘘でも良いから、少しくらい喜んであげて」
人と関わるといつもこうだ――次から次へと面倒な物事を持ち込んでくる。だから群れるのが嫌いなのだが、今さら追い出すわけにもいかない。どうやって避けるかを考えたほうが無難だった。
やがて、エレナが見回りから帰ってきた。
「アルフ、私の黒染めのマントを知らないか? 見当たらないんだが」
「いや知らんし。オレに聞くな」
「マントなら昨日洗って干しておいたんだけど」リタが口を挟んだ。
「それは私も見た。だが、干した後に行方知れずとなっている」
「どっか忘れただけだろ。そのうち出てくるよ」アルフレッドは雑談を切り上げようとするが、今度はリタが首を傾げた。
「あら、果物ナイフが1本無いわね」
「ナイフ……?」
それは彼らの胸をザワつかせた。黒いマントにナイフが、ほぼ同時期に消えている。自ずと嫌なものを想像させた。
「消えた2つを組み合わせたら、闇討ちができそうだな」エレナが呟く。
「どういう意味だよ。そんな事を誰がやるんだ」アルフレッドは嘲笑った。それでも薄気味悪さが拭えない。
「犯人を探すべきだろうか。大事に至る前に」エレナの言にリタがきっぱり答えた。
「それは早とちりというものよ。証拠があるわけでもないのに。無闇に疑ったら気分が悪いもの」
不穏な会話は、子どもたちが風呂上がりを迎えて終わった。結論は「身の回りのものに気をつけましょう」と強引に片付けたのだが、胸には消化不良が残る。
それから警戒を強いられた。特に夜。子供部屋の隣で眠るアルフレッドは、神経を尖らせた。すると寝静まった夜更けに、床が軋む音を耳にした。
「誰だ……?」そっと扉を開けて様子を窺う。すると、薄手のローブ姿で階段を降りてゆくミレイアの姿が見えた。特におかしな様子はない。そして1階に降りれば、トイレのドアが開かれた。
「なんだ、便所かよ」
それきりアルフレッドはベッドに戻った。夜の変化といえば、それくらいのものだった。
翌朝。アルフレッドはいつものように食事を終え、紅茶をすすった。寝不足の身体に熱いものがしみ渡るようだ。
(あいつ、またオレを見てんな……)
リビングで、ミレイアはシルヴィアの遊び相手になっていた。それでもダイニングの方を、頻繁にチラリと横目に見ている。こいつも対処しなきゃならんのかと、アルフレッドはげんなりする。
「見て見てミレイアちゃん。きれいでしょ」
シルヴィアは、ミレイアの視線など気にもとめず、お宝を披露した。店売りのガラス玉で、特に珍しいものではないが、子供にとっては宝石と同等の価値がある。
それを両手で受け取ったミレイアは、しげしげと見つめた。観察していると、赤いガラス玉が日差しできらめいた。
「これは、すばらしいです! もしや火竜の眼球? それともジャイアントオーガの肝でしょうか?」遠くでアルフレッドは紅茶を吹いた。当てずっぽうの目利きが外れるのは良いとしても、見当違いが凄まじすぎた。
「お店でうってるの。いい子にしてたら、ごほうびでもらえるの」
「なるほど。さすがは王女様ですね。こんな希少なものを貰えるだなんて! 次は幻狼の産毛とか狙ってみませんか!?」
アルフレッドは激しくむせながら、通りすがりのグレンを呼び止めた。
「おい、お前の妹はどうしたんだ。それとも、元からヤベェ奴なのか?」
アルフレッドの指差す先で、今もミレイアは「臓物」だの「生き餌」だのと、物騒な言葉を熱っぽく並べ立てた。
グレンは肩をすくめた。
「ごく普通の子だったけど、何だか最近様子がおかしいよね。たぶんミレイアなりに、ここに馴染もうとしてるんじゃないかな」
「うちは別にグロテスク一家じゃねぇんだが」
「ミレイアが思う『魔王』イメージなんだろうね」
何だよそれ――唖然とさせられてしまう。アルフレッドにとっては煩わしい限りだ。視線もさることながら、シルヴィアに対して、無闇に不穏な言葉を吐くことも。
(こっちはどう対処したら良いんだ……)
紛失したナイフと言い、ミレイアの不安定さといい、降ってわいたトラブルに心を煩わせてしまう。
そして迎えた夜。寝静まる中でアルフレッドは、またもや足音を聞いた。やはりミレイアが階段を降りてゆく。
(またかアイツ……)
少し気がかりになり、こっそりと後をつけてみた。夜中のトイレだけなら問題などない。
だが予感は的中した。ミレイアは、トイレから大きな布切れを持ち出し、そのまま外へ向かったのだ。
(あれは、エレナのマントじゃないか?)
ミレイアは1人きりで庭に出た。頭からマントを被り、夜空に浮かぶ月を眺めだす。そして、厳かな仕草で光るものを取り出した。ナイフだ。リタが無くしたと言った果物ナイフが、今はミレイアの手に握られていた。
(あいつが犯人か……一体何のために!)
物陰から様子を窺うアルフレッドは、驚愕に目を見開いた。
ミレイアが静かに舞う。マントの裾をなびかせ、手にしたナイフを振りかざしては、月明かりの下で舞い続けた。ほどいた長い髪が口元を隠しており、どこか10歳の少女とは思えぬ気配を漂わせた。
しかし舞いは拙い。ところどころで悩んでは手足が止まるし、マントの裾を踏んづけて脱げ落ちたりと、精度は今ひとつだった。
(いや、マジで何がしたいんだ?)
やがて舞い終わると、ミレイアは呟いた。静まり返った夜に、その声はよく通った。
「天地におわします神々よ。魔王様に永遠の力と繁栄をさずけたまえ。不心得どもの生き血を、生き肝を、ここに捧げようと――」
堪えきれずアルフレッドは儀式に乱入した。
「いや、何してんのお前?」
「ひゃう!? 魔王様!」
「さっきから怖すぎんだがお前。説明しろよ」
アルフレッドは、マントとナイフを手早く奪い取り、話を訊いた。
すると、しおれた花のように頭を傾けつつ、ミレイアは言った。
「私、忘れられなくって……」
「何がだよ」
「助けていただいた夜、この眼で見ました。怖い大人たちを相手に、正面から戦う魔王様の背中が。そして、あの猛々しい炎の龍! その時の記憶が、ずっと胸の中で燃え続けてるんです」
リタの読みは正解だった――アルフレッドは癪に思いつつ、黙って話を聞いた。
「私も魔王様のために働きたくて。でも兄さんみたいに上手く出来ないし、リタさんも遊んでて良いと言うし……どうしたらお役に立てるかなって」
「そこまでは分かる。それで?」
「魔王様を称え、繁栄の儀式をすれば、何かの力になるかなって思いまして」
「生き血とか肝とか、あれは何の事だよ」
「森にぶら下がってるでしょう、侵入者どもが。だから、そこから持ってこようかなと」
「やめとけマジで、頼むから……」
話を聞けばまだ、着手する前で、手は汚れていなかった。ミレイアの凶行が未遂だったことは幸いだ。
アルフレッドは大きくため息を吐いた。
「いいかミレイア。こんな事はやめろ、誰も望んじゃいないんだ」
「でも……」
「今さらお前ら兄妹を追い出そうとは思わん。だから、お前はお前らしく生きろ。素直が一番だと思うぞ」
ミレイアの瞳が見開かれ、すぐに感謝の色に染まった。
「はい、そうします! ありがとうございます!」
「分かったら寝ろ。寝不足になっても知らねぇぞ」
「わかりました!」
ミレイアは大きくお辞儀をすると、長い髪をなびかせながら帰っていった。その背中を見送るアルフレッドは微かな寒気に見舞われた。
「なんだよアイツ、生き肝とか。怖い……」
ミレイアが魔王に抱いたのは恋心ではなく、信仰心だったのだ。より厄介だな――とアルフレッドは、少女の情念に薄気味悪さを感じてしまった。
迎えた翌日。今日もミレイアはシルヴィアとともにいる。しかし様子が少し変わっていた。
「シルヴィアお嬢様、さぁ祈りましょ。魔王様に永遠の繁栄を、そして愚かな人間どもに無慈悲なる鉄槌を!」
ミレイアは人目をはばかる事なく、信仰心を顕にした。彼女の思う「素直な生き方」がそれだった。アルフレッドにとって新たな頭痛の種になる。
(子育てってもんは、どうしてこうも上手くいかねぇんだよ……)
窓の外で黒いマントがひるがえる。リタが干した洗濯物が、風に吹かれて草原の上でたなびいた。