4 不浄は風にあおられて
商会の中庭に現れたヴィラドは、禿げ上がった頭を赤黒く染めていた。まるで火にかけた鉄のようで、触れるもの全てを焼き尽くすような怒気を撒き散らした。
怒りに同調して激しく震える拳が持ち上がる。遠目から分かるほど、指は丸々と太っていた。
「こんのクソ野郎が……。よくも好き勝手に暴れやがったな! テメエを切り刻んで、隣の女を売り飛ばしても、全然元なんて取れやしねぇ! どう落とし前つける気だ!?」
吠えるヴィラドの周りを、10名以上の男たちが固める。装備も上等で、魚鱗鎧や大盾、長槍に魔法杖。侵入時に戦った男たちより、数段は上だった。
エレナは目を細めて耳打ちした。「アルフ、油断するな」敵の質が変わったことを見抜いていた。腰を落としては、そっと腰の剣に手を伸ばす。
しかしアルフレッドは、ヴィラドに向かって歩き出した。制止の声など気にもとめない。むしろ散策にも似た気楽な足取りになり、顔には嘲笑を張り付けていた。
「落とし前だって? そんなものが必要か?」
「何だと!」
「どうせ今夜滅びるお前たちが、今後を気にする意味なんてない。そういう意味だよ」
「言わせておけば……! 撃て! こいつを焼き殺せ!」
ヴィラドの護衛たちが魔法杖を掲げた。先端の飾り石が微かに煌めくと、そこから、火球が飛び出した。
おびただしい数の火球がアルフレッドを直撃する。多勢で唱えた魔法『ファイヤーバレット』は、火球の雨とも言うべき地獄を生み出した。
火は集まることでより高く燃える。全身が火だるまになったアルフレッドは、なおも攻撃を浴び続け、ついには巨大な火柱に飲み込まれた。夜空を焦がすほどの火勢で、ゴウゴウと嵐のような音を響かせた。
「アルフ! 大丈夫か、しっかりしろ!」
救出に向かいたいエレナだが、強烈な熱風にあおられ、大きくよろめいた。その熱波は屋内にも及んだために、グレン兄妹の悲鳴も重なる。
「ガーーッハッハ! なんだなんだ、大口を叩いたくせに即死とは! 何の張り合いもなくてつまらん……」
高笑いを放ったヴィラドだが、その声はやがてしぼむ。彼は見てしまった。護衛たちも同じものを見た。
全てを焼き尽くすほどの火柱の中、平然とただずむ魔王の姿を――。
アルフレッドは逃げ悶えることなく、焼け崩れたりもせず、ジッとその場に立ち続けた。そして呆れたような声で言った。
「笑いたいのはこっちだよ。こんなもん眠気覚ましにもならねぇ」
とたんに火柱は急速に勢いを失う。さながら時を巻き戻したかのようだ。アルフレッドが炎を巻き取る仕草をみせるたび、火柱は見る見るうちにしぼんだ。最後には手のひらに収まるほど、小さな小さな火球になってしまう。
ヤケド1つ負ってはいない。代わりに全身が、ほの明るく輝いていた。
「お前ら悪党ってのは、騙して奪って殺す才能はあるのに、育てるって概念がない。だからこの程度の魔法で満足しちまうんだな」
アルフレッドは先程の火球を、手のひらの上で転がした。闇夜の中で踊るそれは、子供が戯れるようだった。
「もう一度だ! 撃て、撃ちまくれ! 絶対にしとめるんだ!」
ヴィラドがわめく。すると護衛たちが杖に渾身の魔力を注ぎ込み、残りの者たちも槍を構えて突撃態勢に入る。
標的となったアルフレッドは、小さく溜め息をついた。顔もウンザリと言いたげだった。
「格の違いすらも分からねぇか。お前らみたいな手合いは、だいたいそうなんだよ」
アルフレッドは、先程の火球を青白い霧で包みこんだ。そうして魔力を注ぎ込むのだが、気軽な手振りに反して、漂わせる気配が強大だった。その威圧感はあらゆる戦意を吹き飛ばすほどで、魔王の異名も伊達ではなかった。
色味が識別できるほど魔力は、濃度が高すぎるが所以だった。力を授かった火球は、さながら命でも宿したかのように、自ずと蠢き始めた。
「ヴィラドだっけか。別れの挨拶代わりに見せてやるよ。本当の魔法ってやつをな」
蠢いた火球は虚空に飛び上がった。
閃光――。次の瞬間、闇夜に巨大な飛龍が出現した。その全身は視界を埋め尽くすほどに大きく、夜空を覆うかのようだ。紅蓮のような鱗も猛々しく燃えており、風に煽られた木の葉を音もなく焼き尽くした。
「これが得意魔法の1つ『炎龍』だ。残念だが、こいつを見たからには骨も残らねぇぞ」
アルフレッドの言葉に応じて、龍が大きな口を開き、熱風を吐き出した。
護衛たちは我先にと逃げ出した。武器をかなぐり捨て、主人さえも置き去りにして、門に押しかけた。
「ま、待てお前ら! 逃げるんじゃない!」
ヴィラドにも、もはや威厳など無かった。命令口調でも懇願する響きを伴った。そうまでしても従う手下は1人も居らず、全員が路地裏へと逃げていった。
「悪党に忠義心なんて無いらしい。主人よりおっかない奴に睨まれたら、こんな風に逃げ出すんだからな。烏合の衆ってやつか」
「や、やめてくれ……」
「そうか。この期に及んで助かりたいか」アルフレッドはアゴを撫でる仕草をみせた。「そうだな……お前がこれまで売り飛ばした奴を、全部買い戻してこい。そしたら考えてやる」
「そ、そんなの無理に決まってる! 大陸中に何千人と売ったんだぞ!」
「そうだよな、言ってみただけ。じゃあ死ね」
「待て! オレに手出しすると、トルキン様が黙ってないぞ!」
「トルキン? 誰だっけ」
「このレジスタリアを治めるお方だ! 分かっただろ、オレを手にかけたら大変な事になるぞ! きっと後悔するに違いない!」
「ふぅん。つまりはこっちの身を案じてくれてるってこと? 気遣いありがとさん」
「違う、そうじゃなくて――」
「じゃあ殺しま〜〜す」
気の抜けた声とともに魔法が放たれた。真っ赤に燃え盛る龍が、大口を開けては虚空を駆けてゆく。
立ち尽くすヴィラドは、その場で白目を剥いて倒れた。
(よし、こんなもんで良いか)
アルフレッドは炎龍に魔力で干渉した。すると猛々しい龍の身体はかすみ、そのほとんどが消え失せ、元の火球に戻った。それはヴィラドの土手っ腹に落ちて、シルクのローブを焦がして消えた。
「無事だったか、アルフ!」
エレナが安堵した顔で駆け寄ってきた。続けて失神したヴィラドに目を向けた。
「魔法で殺さないとは。やはりアルフは更生に期待してるんだな」
「んな訳あるか。最初から脅しのつもりだったんだよ。あのまま炸裂させてみろ、オレ以外の全員が焼け死ぬぞ」
「そういう事か……。ところで、この男はどうするつもりだ?」
「何千と人を売り飛ばしたやつだ。しかも人さらいまでやってのける、根っからの悪党だ。ほとぼりが冷めた頃に、また何かやらかすだろ」
「では、首をはねるのか?」
「それだと芸がないし、血で汚れるのもな……。あっ!」
アルフレッドは名案がひらめき、いそいそと辺りを物色した。屋内に戻った際に「もう終わったぞ」と、グレンたちにも声掛けした。
その時グレンたちは、焼け焦げた庭に、失神したヴィラドを目の当たりにする。頭の整理が追いつかず、エレナの解説でようやく理解が及んだ。炎の龍を呼び出すだなんて、彼らには想像もつかないが、言葉そのままを飲み込むしかなかった。
その間、アルフレッドは笑いを噛み締めつつ、何かの準備を進めていた。
「さて、やるか!」
アルフレッドはヴィラドの服を脱がして捨てた。でっぷり太った身体があらわになる。それを門の柱に縛り付けた。なるべく往来から見える位置に。
「まずは汚いもんを隠しまして……と」
股間の不浄がポロンと出ないように、ヴィラドの首から木の板を提げた。そこにはこう書いてある。
――僕は裸が大好きです。見られると興奮します。
このまま放っておいてください。
助けたら死ぬまで呪います。
あと関係ないけど、ちっちゃい女の子が大好きです。力づくでさらってしまうくらいに。
幼女最高!!!
そこまで仕立てた所で、アルフレッドは腹を抱えて笑い出した。
「やべぇなこれ。終わったろマジで。このオッサンは今後、誰にも相手にされなくなるぞ」
ヴィラドには猿ぐつわも噛ませる。自己弁護を封じるためだ。
その光景を、エレナは身震いしつつ眺めた。
「なんておぞましい処刑だ、社会的に確実に殺されてしまった。それと品性下劣だ」
「なんだよバカにすんな。ちゃんとユーモアも交えた画期的な処刑法だぞ」
その時、あたりに風が吹いた。すると紐でぶら提げただけのヴィラドの板が、あおられて揺れる。うっかりすると、板の端から『禁じられしもの』が顔を覗かせそうだ。
それを目の当たりにしたエレナは、小さく吹き出した。
「ブフッ。くだらん。なんだこれは……」
「はい負け。笑ったらもう、認めた様なもんだからな」
「別に負けで良い。この絶妙な際どさはどうやって……!」
「上手くできてるだろ。ここまでハマるとは想定外だったがな」
万感の息を吐き散らしたアルフレッドは、グレン兄妹を見た。2人は呆然とした顔で見返している。
「なんだお前ら。まだ突っ立ってたのか。もう終わったんだからサッサと消えろ」
アルフレッドが追い払う仕草を見せると、グレンは勢いよく頭をさげた。その痩せた背中に、兄としての誇りを少なからず感じさせた。
「本当にありがとうございました! このお礼は必ず、一生かけてでも返しますから!」
「やめろやめろ、勘弁してくれ。恩義を感じるなら2度とオレに関わるなよ。これ以上面倒事を増やされたくねぇんだ」
ようやく雑事から解放される、家に帰れる――。アルフレッドはそう確信したのだが、そこへ予期せぬ凶兆がもたらされた。
それは空から降ってきた。まるでひとひらの粉雪が舞い降りるかのように、門の屋根に止まった。
「アシュリーの使い魔……だと?」
小さな小さなシラコバトは「ギョエッ」と短く鳴いては、アルフレッドの気を引いた。
「なんだよ。いったい何の用だ!?」
アルフレッドは指を差し出した。そこを目掛けてシラコバトが羽をばたつかせて飛び、ワタワタとしつつも止まった。
するとハトの口を介して人の声が聞こえる。声色はアシュリーのものだった。
――アルフ、聞こえてます? 永遠の恋人アシュリーちゃんですけど。
さっきの人カス少年いたじゃないですか。その妹ちゃんを助けたら、家に連れてきて欲しいって。
そうシルヴィが言ってますんで。よろ〜〜。
言うだけ言うと、シラコバトは闇夜の中を飛んでいった。
「まだか、いつまで面倒が続くんだよ!」
アルフレッドは思わず天を仰いだ。そこには飛び去る鳥の姿が見える。
あんな風に自由に飛べたなら、どんなに幸せだろう――。そう思わずにはいられなかった。アルフレッドの1日は、まだ終わりそうにない。




