19 式典準備を進めましょ
レジスタリアを支配してやる――悩みに悩んだアルフレッドはそう伝えた。人間とのいざこざの前線基地として利用してやろう、そんな思惑があったからだ。
しかしそれからが大変だった。矢継ぎ早に仕事が舞い込んできた。国旗、軍や政治の体制、果ては式典のスピーチや衣装など、決めるべきことが多すぎた。
「アルフ、建国式の服装は?」
「んなもん普段着でいいだろ。上からマントを羽織れば、それらしくなる」
「クライスさんが上等な服を送ってくれたわ。豚男爵のおさがりみたいよ」
「サイズが全然合わねぇよ、こんなもん」
「代金として、美味しいお菓子をお願いします――ですって」
「くたばれ」
魔王の家はいつもに増して大賑わいだ。狐耳を忙しなくするリタが衣装と呟いては奔走し、エレナも渋面を浮かべて軍制に頭を悩ませる。アルフレッドもスピーチの文面を担当するのだが、紙は真っ白のままだった。
そこへ、翼を折りたたんだアシュリーが駆け込んでくる。
「どうですアルフ。旗はこれ良いですよね、ね?」
そう言っては大きな布を床に広げた。血のように赤い下地に、白い3本線が何か切り裂くように鋭く描かれている。国旗として使う予定の布だ。
「ほらほら強そうでしょ? シンプルだし、よいデザインだと思いますよね?」
「なんか普通だな」
「その方が良いじゃないですか。つうか褒めてくれて良いんですよ、どっかの陰気臭い女狐よりよっぽど役に立つって」
「その女狐がこっちを見て微笑んでるぞ」リタがこちらの様子をつぶさに観察しつつ、ウフフと笑う。
「ひえっ……。なんだあの顔おっかねぇ」アシュリーは身震いしつつも、強引に話題を戻した。「それよりも旗ですよ旗。これで完成、アシュリーちゃんのお仕事は完了、それでいいですよね?」
広げた布にシルヴィアが駆け寄った。そして白い塗料で「ここにワンちゃんがいます」と大胆に描き加える。隣でミレイアも「ここに愚者の膵臓を供えます」と筆を走らせた。
アシュリーは頭を抱えながら叫んだ。
「やめてぇ2人とも! それ直すの面倒なんですからぁ!」
やめて欲しいのはアルフレッドも似たような気持ちだ。家の中はバタバタと騒がしく、考えが一向にまとまらないのだ。かと言って子供たちを叱るつもりもなく、「外の空気でも吸いにいく」と言ってはドアを開いた。
「せっかくやる気のねぇ領主を任されるんだ。最大限にメリットを活かさねぇとな……」
考えるべきはもちろん獣人差別だ。レジスタリアの街を、シルヴィアにとって最高の環境に変えるためには、新領主の意志が極めて重要だと言えた。そのためのスピーチ、気の利いた言葉、あるいはドスの利いた言葉――どちらでも良いが中々決まらない。
「あぁクソッ。どう伝えたらいいんだよ……!」
苛立って頭をガリガリと引っ掻いた。するとちょうどエレナが、赤い髪を同じように引っ掻きながらやって来た。
「アルフ、少し相談したい。なかなか決まらなくてな」
「軍制の話か。大体でいいぞ、どうせ人間の軍隊なんて役に立たない」
アルフレッドの言葉を遮るようにして、エレナは1枚の羊皮紙を突きつけた。ほとんど記載はない。エレナの羽ペンは冒頭部分を差した。
「良い騎士団名が決まらなくてな。アルフも案を出してくれ。黒炎竜騎士団とか、あるいは神聖黒鐵騎士団なども強そうだな」
「そこで詰まってんのかよ。てっきり人選だと思ってたが」
「式典まで2日ある。編成は明日以降に決めたら良い。それより騎士団名だ。これは馬鹿にできないぞ。なにせ武名が知れ渡れば、名を聞いただけで敵兵は震え上がるようになるからな」
「分かった分かった。オレはそういうのは分からん。好きにやってくれ」
なおも追いすがろうとするエレナを振り切るようにして、アルフレッドはその場をあとにした。忙しなさに閉口しており、とにかく1人になりたい気分だった。
すると草原の中を走る陰が見えた。それは騎乗の男で、アルフレッドの方へ駆け寄ってくる。唐突に現れた男は顔見知りだ。招かざる客の再来だった。
「クライスてめぇ。何の用だ……!」アルフレッドは眉間にシワが刻まれるのを感じた。苛立ちのあまり焼き払ってしまいそうになるが、馬には何の罪もない。怒りをグッと抑えこんだ。
「トルキン豚の衣装をお送りしました。その対価として菓子を希望したのですが、居ても立ってもいられず、こうして押しかけてしまいました。わっはっは」
「ワッハッハじゃねぇんだわ、頭を2つに割るぞ」
「して、いつごろ菓子をいただけますか? 一日千秋の思いなのですが」
「秋から出てくんな、一生そこに囚われてやがれ」
「報酬は無しですか……。ぐぬぬ、これは貸しという事にしましょう。菓子だけに……」
「ブツブツ言ってんな。オレたちは忙しいんだ、分かるだろ。さっさと帰れ」
「はい、言われなくとも」
きびすを返したクライスが、ふと足を止めて振り返る。
「あぁ――忘れかけてましたが、新領主様」
「まだ何かあるのか」
「余談ではありますが、式典の日程が早まりました」
「いやそっちが本題だろ! いつだよ!」
「今日の夕です」
空を見上げると、太陽は中天に差し掛かっていた。
「馬鹿だろお前、あと半日もないんだが? ケンカ売ってんだな?」
「それがですね、街の混乱が極まってまして。帰属する相手をプリニシアにするか、魔王様にするかで真っ二つです。そのため、建国宣言だけでも早くするべきかと独断で決めました」
「勝手に決めんな、間に合うわけねぇだろ」
「細部まで求めませんので、とにかく意思表示だけでもお願いできれば」
「言ったな? 細かい部分は捨てるぞ」
「結構でございます。ではこれにて」
クライスと別れた後、アルフレッドは皆に告げた。「テキトーでいいってよ。最低限の形が出来たら」
言質は取れたのだから、その通りにする。先程まで感じていた苛立ちも、今となっては遠ざかっていた。そもそも、心を煩わせてまでやる事か、という気もしていた。
だからアルフレッドは子供たちと戯れる事にした。原稿など白紙のままで、完全にそっちのけである。
「ようしお待たせシルヴィ。遊ぼうか!」
晴れ晴れとした声で誘うと、愛娘も耳をピンと立てては駆け寄ってきた。今日のお遊びは「魔王ごっこ」が採用された。
「グハハハー、わたしは、まおうだーー!」黒いカーテンをずる引きながら、シルヴィアが両手を掲げた。小さな手のひらが、布のなかに埋もれたままで。
「魔王様、今日は何を滅ぼしましょうか?」
ミレイアが慣れた仕草で平伏した。アルフレッドも同時にひざまずいた。
「今日は、かわをつくるのだ。大きなかわだぞ。そしてビーバーたちをたすけてやるのだ!」
場所を庭に移す。シルヴィアは地面を棒で引っ掻いては線を描き、さらに深く掘ろうとする。ミレイアは線の脇に小石を並べて「ここに愚かな人間どもが住み着きました!」とディティールを加えていく。
アルフレッドの役割は水の調達だ。鉄のバケツを両手に持ち、ズボンを濡らしながら、娘魔王の下に馳せ参じた。
「よし、かわをつくれーー!」
幼い号令とともに、溝に水が流し込まれた。下り坂を勢いよく流れていく。水路の果てには大きな穴が空いており、そこは湖になる予定――目論見通りに真水で満たされた。日差しを浴びて煌めく水面は、踊るように揺れる様が美しい。
「やった、シルヴィア様! うまくいきましたね!」
「うむうむ、たいぎであるぞ」
アルフレッドは、2人の娘と抱き合ってまで喜びを分かち合った。泥まみれの手が頬に、服に触れては、黒ずんでいく。
そこへグレンがやって来た。彼は驚くとともに呆れた口調になった。
「アルフさん、そろそろ出発だけど……」
「おっ、そうか」西の空がかすかに赤く染まっていた。
「早く着替えて、それと泥を拭いて、式典があるんだよ?」
「おっ、そうか。もうどうでも良くなった」
「なんだか、随分と晴れやかな顔をしているね?」
「実際そうだからな。充実のひとときだったぞ」
本心だった、人間世界の事なんてどうでも良くなってしまった。子供たちとともに遊び、手を取り合って喜ぶことの方がよっぽど重要に感じた。何が支配だ式典だ。それらには子供たちの笑顔よりも価値があるとでも言うのか――いやない。
何か問題が起きたなら、その時はその時。全部まとめて吹き飛ばしてやる。そんな物騒な思いとともに、濡れタオルで顔を拭うのだった。




