1 魔王様はダラダラできない
無惨に掘り起こされた森の一画で、手のひらが光り輝く。たちまち辺りは整った。地表はなだらかになり、しっとりと濡れ、土の濃い香りが漂いだす。
その不思議な力を発した青年の名は――アルフレッド。
伸びさらしの黒髪、ローブにズボンという軽装だ。そんな身なりでも、魔王の異名を持つ男で、帰らずの森の主人でもあった。
「おいアシュリー! これで良いんだろ?」
アルフレッドが声を荒げると、木々の隙間から可憐な少女が顔を覗かせた。金色の長い髪を1つに結び、シルクローブの大きく開いた背中には純白の翼が生えている。
アシュリーは天人と呼ばれる種族の女だ。
「わぁ、助かりますぅ〜〜。もう荒れ放題だったんですよね、人カスどもが踏み荒らすわ素材を盗むわと、散々やらかしたせいで!」
猫なで声と、罵倒を細かく使い分けたアシュリーは、地面をそっと撫でた。そしてシラカバの木の根を探りつつ、丁寧に粉をまぶした。その粉が何なのか、アルフレッドは聞かされていない。
「さぁさぁ、大きく育ってくださいね素材ちゃん。アナタってば買うとクッソ高いんですからね〜〜」
「これで終いだな。あとはエレナが戻れば」
アルフレッドが呟くと、木々の枝葉が激しく揺れた。短い赤髪の女剣士が、枝伝いに飛んできたのだ。
軽やかに着地したエレナ。腰に履いた立派な長剣と、銀の胸当てが夕日できらめく。
「終わったぞアルフ。侵入者たちを吊るし、警告の看板も建てておいた」
「ご苦労。じゃあ帰るか」
「1つ報告だ、人間の子供が森に紛れ込んでる。12歳くらいの男児だ」
「なんだそれ。少年兵ってやつか?」
「いや、武装はしていない。貧しい身なりの子だ」
そこでアシュリーが口を挟んだ。「また人カスが素材を盗みに来たんですか!」翼の羽が逆立つほどの怒りっぷりだ。それに対し、主人の方は平然としていた。
「ガキなんざほっとけ。貧乏人なら多少の盗掘は見逃してやる。欲張りだしたら、キッチリと恐怖を叩き込むが」
「様子がおかしい。森の素材など目もくれず、がむしゃらに走り続けている。まるで森の突破を狙っているようだ。もしかすると、目的はアルフかもしれない」
「なんでオレ? ガキに知り合いなんていねぇぞ」
「実際に会えば判明することだが」
「いやいや、お断りだね。オレは忙しいんだよ。特に今日は――」
アルフレッドは傾き出した太陽を見た。ボヤボヤしているとすぐに日没だ。
「今日は新作絵本の解禁日で、シルヴィに読み聞かせをしなきゃならない。その役目だけは誰にも譲らんぞ」
そう言葉にするだけで、愛娘の喜ぶ顔が浮かびあがった。クリーム色の犬耳を興味深げにピン立てて、尻尾をブンブンする仕草。そのイメージだけでもうアルフレッドは百人力。火吹き龍すら捻り倒せる気力が全身を駆け巡る。
今から絵本タイムが待ち遠しくて仕方ない――娘よりも父親の情熱のほうが上回っていそうだ。
「相変わらず子煩悩だな。病的ですらあるぞ」
「どうとでも言え、オレの生き甲斐だ。つうか帰るぞ」
アルフレッドは、木々を蹴って飛ぶと、2人もあとを付いてきた。
今日は朝から雑務でクタクタだった。このまま真っ直ぐ帰宅して、夕飯を食べ、ゆったりと湯に浸かりたい。そうして心身を整えた上で、万全のコンディションで読み聞かせの時を迎える。
最高のひとときを味わうためにも、事前準備の時点で手を抜いてはならないのだ。
(つうか、どうしてこうも忙しいんだ! シルヴィとのんびり暮らしたいだけなのに!)
魔王アルフレッドの望みは2つ。愛娘のシルヴィアと面白おかしく過ごすこと、そしてダラダラのんびり暮らすことだ。1つ目はさておき、2つ目とは程遠い日々だった。
街の人間が彼の領域を脅かすからだ。土壌が極めて豊かで、希少な触媒や原材料の宝庫のため、侵入者が後を絶たない。
煩わしさのあまり和解を考えた事もあるが、侵入者がシルヴィアに刃を向けた事で即座に否決。捻り潰すことに決めた。
「まったく、今日はやけに侵入者が多かったな……!」
「もうじき満月ですからね。ブルームーンで、数日限定の素材が芽吹くんですよ」アシュリーが得意顔で答えた。
「チッ。何だよそれ。血しぶきで赤く染めてやれ」
乱暴には吐き捨てる彼の目に、新たな侵入者が映り込んだ。とたんに腹の底が怒りで炸裂しそうになる。
侵入者は3名で、いずれも槍と剣で武装していた。それでも構わず、丸腰のアルフレッドが放たれた矢のごとく降り立った。
「森に入るんじゃねぇよクソども!」
切り込んだアルフレッドが1人を拳で撃ち倒した。
「出た、魔王だ!」残った2人が武器を構え、1人が鋭く槍を突いてきた。身体を回転させつつ宙に避けたアルフレッドは、反撃に蹴りを浴びせる。それは槍の柄で防がれたのだが、ぐにゃりとひしゃげた上に、相手の身体まで吹っ飛ばした。
最後の1人はエレナが処分した。相手の剣を2つに切り、怯んだところを、鉄甲で首を突く。それで終わりだった。
「こんな奥深くにまで来やがって……ナメてんのかボケ!」
男たちを縄でふん縛り、大木に吊るす間も、アルフレッドの怒りは鎮まらなかった。
「警告文も出してはいるが……大した効果は認められない」
看板を組み立てたエレナが筆を走らせた。そこには達筆で、このように書かれている。
――告
魔王アルフレッドの領土を汚すべからず。禁を破らばあらゆる災厄が降りかかり、命すら露と消える。そう心得よ――。
それを眺めたアルフレッドが呟く。「地味だな、かたいし」隣でアシュリーも同意する「なんかフック弱いですよね」
「そこまで言うなら2人とも。手本を見せてもらおうか」
エレナの切れ長の瞳が、一層に細くなった。そして筆がアルフレッドに差し出される。
「書くのは良いが、もう余白が無いだろ。新しい看板を建てるか……」
「あ、待ってください。ここに良いものありますよ?」
アシュリーが鼻歌混じりに、懐からビンを取り出した。それは塗料で、書いたばかりの文面が赤く染まる。
「どうです、こうすると血みたいじゃないです? 文字も上書きできますし」
「いいね。後はガツンと来る文面を……」
アルフレッドは熟考するが、時間が差し迫ってる事も思いだす。結局は「入るな殺すぞ」と書き殴って終わらせた。
「雑すぎるぞアルフ。魔王としての品性の欠片もない」エレナは不満げだった。
「良いんだよ伝われば。つうか帰るぞ」
「あっ! アルフ、あっちの方にも盗掘者が!」
「今日は何なんだよフザけんな!!」
いつもに増してトラブルは頻発した。それらを大急ぎで対処したものの、相応の時間を取られてしまう。
結局、帰路についた頃、陽は既にとっぷりと暮れていた。
「やばい! だいぶ時間がおしたぞ!」
帰らずの森を抜け、草原を駆けていく。アルフレッドの胸は焦りに染まっていた。風呂と食事の時間をやりくりすれば、どうにか最低限のコンディションを整えられるか――もはや賭けである。
やがて大草原に1つの家屋が見える。彼らの住処だ。アルフレッドはドアを勢いよく開くと、開口一番に叫んだ。
「戻ったぞリタ! 大至急、晩飯の用意を――」
「おかえりなさいアルフ。お客さんが来てるわよ。ついさっき、そこで会ったのよね」
キッチンからは、狐人のリタがそっと微笑みながら言う。青く細い髪がアゴ先で揺れて、耳の片方もお辞儀をした。
リタの言うように、彼の目に見慣れない少年の姿が映る。年の頃は12歳ほど。ボロボロの身なりで、ダイニングテーブルの端に、所在なさげに腰掛けていた。
「今日は厄日か!? どうなってんだよ!」
なぜオレの予定を狂わせる、シルヴィとの時間を邪魔しやがる――!
アルフレッドは頭を抱えたい気持ちでいっぱいだったし、声を荒げて怒鳴り散らしもした。たとえグレンという名の少年が、萎縮して震えようとも構わずに。