14 娘のためなら草も刈る
トルキンがうっかり伝説級の魔獣を解放した事で、レジスタリアは壊滅の危機に瀕した。しかしそれはあくまでも人間世界の話――魔王一派にその騒動は伝わっていなかった。
アルフレッドは家族とともに晩餐を楽しんでいた。人数が増えた事で手狭に感じられた食卓も、慣れてしまえば、特に苦労することもなかった。
「あしたは、おかいもの〜〜!」
シルヴィアが先の丸いフォークを振り回しつつ、喜びの声をあげた。「お行儀悪いわよ」とリタにたしなめられるが、それでも興奮冷めやらず。口にチーズを詰め込んでは辺りで飛び跳ねた。
「よっぽど嬉しいのね。大きな街は初めてだから、当然かも」
リタは微笑ましく眺めるが、対するアルフレッドは不安な面持ちだ。
「大丈夫かマジで。行き先がレジスタリアって」
「平気でしょ。兵士が束になってかかってきても、アナタさえいれば」
「そこは問題ない。邪魔くさくなったら皆殺しにする」
「そうでしょうね」
アルフレッドが問題に思うのは、トルキンの私兵や衛兵などではない。一般人の方だ。シルヴィアやリタのような獣耳をどう受け止められるか――そこが不安だった。
(あの冷たい眼差しをシルヴィに向けてみやがれ。粉々の粉微塵にしてやるからな……!)
人間と獣人の確執は根が深い。そして種族の差別は国の分布を如実に反映する。一般的には南へゆくほど獣人に対する当たりが強くなる。豊かで独自兵力を持つ街などは、特に先鋭化しやすい。レジスタリアなどはまさに典型例だった。
「別の場所にしようぜ。先月に行った小さな村とかさ。あそこなら差別なんてなかったろう」
「あそこだと品揃えがねぇ。グレン君たちに色々買ってあげたいもの。服とか、その他のもろもろを」
「だからってシルヴィまで連れて行かなくても……」
不安げに見る愛娘はすこぶる乗り気だ。ミレイアと顔を突き合わせては、今も予習に励んでいる最中だった。
「シルヴィちゃん。街にはね、大きな噴水があるんですよ」
「ふんすいって?」
「ええと、水がブシャーーって出るやつです」
「へぇ〜〜おふろがあるんだね?」
「お風呂とは違いますけどね。あと、おっきな家がたくさん並んでて、お店も数え切れないくらいあって――」
ミレイアの話を食い入るように聞いている。子供は無邪気である、大人の心労など歯牙にもかけない。
あれこれと悩み、食が進まないアルフレッドに、リタが優しく声をかけた。
「心配しないで。ちゃんとフードを被らせるし、万が一騒ぎになっても作戦はあるから」
「たとえば?」
「アルフに殺気で威圧してもらうの。それだけで普通の人間なんて、凍りついたように動けなくなるわ」
「お前、そんなやり方……」
少し想像してみる。誰かしらがシルヴィアを指さしながら侮辱する。そこをアルフレッドが一喝し、殺気を撒き散らす。怯えて道端に立ち尽くす住民たち。それらを押しのけ、店でお値打ち品を買う。露店で珍しい食い物も買ったら噴水脇で食す。
その間、周囲は恐怖におののいたまま。誰一人として、一家の団らんを邪魔することはできない。
「悪くないかもな、それ」アルフレッドはまんざらでもない。
「でしょ? 気分が晴れたなら食べちゃって。お皿を片付けたいから」
気づけば、皆は食べ終わった後だった。食事中であるのは、アルフレッドとシルヴィアくらいで、隣にミレイアが付き添う。
(早く食べてシルヴィアと遊ぼう。そしてウダウダ考えずに寝てしまおう)
そう考えていたのだが――。
「大変だよみんな! こっちに来て!」
グレンが階段を転げ落ちそうになりながら降りてきた。驚愕に固まった顔が、ただならぬ様子を物語っていた。
「こっちだよ」グレンが誘導したのは2階の角部屋だ。半分物置として使用した部屋は、南側に窓が取り付けられている。
その窓から見た光景に、一同は息を飲んだ。
「何だ、あれ……」
アルフレッドのつぶやきに答えられるものは居ない。それは巨大なツル植物で、夜空に届きそうなほどに背が高い。頂点には花が咲く代わりに顔らしきものがある。瞳はないが大口がたびたび開き、夜空に奇声を響かせた。
魔獣であるのは間違いないが、どう見ても規格外の大きさだ。
「人間たちは戦っているみたいね」
時々、その巨体に赤い火が投げつけられる様を見て、リタが呟いた。しかしその光景も長くは続かない。ツルが振り下ろされるたびに、魔法の攻撃は弱まっていき、間もなく戦闘の気配が止んでしまった。
「あの様子だと、街は――」
壊滅させられる。グレンは最後まで言わなかったが、皆の思い至るところは同じだ。レジスタリアは今宵に滅亡するのだと。
「あぁ、こりゃまいったな。明日の買い物は別の場所にしなきゃ。仕方ないよウンウン」
アルフレッドは鼻歌でも歌いだしそうな口調だ。不安の元がキレイさっぱり消えたとあって、気分も爽快、これ以上ない朗報だったのだ。
だがそんな軽薄な態度は、愛娘のシルヴィアが許さなかった。
「うぅ……まちが、こわされちゃうの?」
「おおっと! どうしたシルヴィ、泣かない泣かない」アルフレッドは疾風よりも早く愛娘を抱き上げた。
「キレイなまち、なくなっちゃう? おみせも、まちのひとも、なくなっちゃうの?」
ポロポロと滴り落ちる涙。それをアルフレッドはそっと拭ってやるが、同時に良くない未来も察知した。倒してきて――と懇願される未来を。
リタに頼むなどという、前回と同じ轍を踏まない。魔王は学べる男だった。
「どうやらレジスタリアはお終いみたいだねぇ。あの街がなくなったら、よその、もっと楽しい所へお出かけしようか?」
「おとさん、たすけてあげて」
「あれをやっつけろって?」アルフレッドは窓とシルヴィアを交互に見た。「ちょっと大変だなぁ」
快諾する訳が無い、あんな面倒に関わってたまるか、胸に占めるのはそれだけだ。
「それにホラ。ご飯の後にお馬さんごっこで遊ぶ約束してたろ? おとさんは忙しいから、人間なんて構ってられなくってさぁ」
「それはあとでいいの」
「えぇ……?」
「おねがい、たすけてあげよう? みんなカワイソウだもん」
シルヴィアの流した大粒の涙が、頬を伝い、床を濡らした。父を見つめる眼も、朝日を浴びた湖面のごとく清らかで、美しかった。視線を重ねた魔王は、心の奥の小賢しい言葉の全てを吹き飛ばされた思いになった。
こうしてアルフレッドは残業を開始。帰らずの森を、南方面へ猛然と飛ぶ羽目になってしまった。
「クソッ! クソッ! どこのバカ野郎だ、あんなバケモノをおびき寄せたのは! ぶっ殺してやる!」
アルフレッドは大人組を引き連れてレジスタリアへと進軍した。子どもたちはグレンに託しての救援劇だった。
「あぁ、今宵は歴史的な一夜になる。アルフが正義の徒であることを、全世界が知るのだ!」エレナは興奮しきりだ。
対するアシュリーは「何で人カスなんかのために働かなきゃならんのです!」と憤激としていた。
そしてリタは「顔を売っておかなきゃ。色々と安くしてもらえるかも」とやはりノンキに構えている。
そんな様々な想いで、魔王軍は進撃した。そしてレジスタリアの地に降り立つ。
未知なる魔獣相手に、父の鉄槌を下してやるために。