12 へし折れる牙
後ろ手に縛られたジャクソンは、どうしたら良いか分からない。同じように縛られるフレデリカも大差ない。
(オレは助かったのか……?)
できる事なら、薬を浴びた患部をまさぐりたい。触れる代わりに、窓ガラスに映る自身を見ることは出来た。何も変わっていない――。気絶するほどの痛みを感じたにも関わらず、肌も毛髪も無事だった。
(いや、余計に怖いだろこれ!)
底しれぬ不気味さが恐怖となって押し寄せてくる。しかし今のジャクソンには、それを噛みしめるだけの猶予はない。眼の前に実を伴う脅威がズラリと並んでいたのだから。
魔王軍の面々、どこを見ても厳しい顔ばかり。放たれる気配も凄まじく、ただよう魔力には気圧されてしまいそうだ。
(いや、それよりこの男だ。とんでない闘気が……)
頬杖をつきながら椅子に腰掛け、ジャクソンを睨む青年。何気ない仕草であるのに、眼にするだけで冷や汗が止まらない。魔王のため息1つで命の灯火が消されかねない――ジャクソンは本気で思った。
もはや命はないと悲観する一方で、視界の端には散らかった積み木やぬいぐるみ、本棚にも「もちもちキリギリス」「おおきな毛虫のまち」といった愛らしい装丁の本がズラリと並ぶ。
極めつけに外からは賑やかな声が、「がお〜〜魔獣だぞ〜〜」「キャ〜〜大変! 人間どもが無様に食い散らかされてく!」と。
(どっちだよ!? 怖いのか、ノドカなのか!)
ジャクソンは両極端な物事に揺さぶられてしまい、ひどく混乱した。そんな半端な心地も、不機嫌を隠さない声が一掃する。2人は恐怖におののいた。
「なんだよコイツら。どういう事だ、これは?」
アルフレッドは肩越しに後ろを見た。狐人のリタが、ゆったりした口ぶりで答えた。
「まぁ見ての通りよ。クライスさんだっけ? 領主を脅かして侵入を阻止するっていう作戦は、ものの見事に失敗したわね」
「マジかよ。何度も撮り直しさせられたのに、その結果がこれか?」
「まぁ、アルフの演技が足りなかったものね。セリフも、言ってしまえば棒読みだったし」
「苦手なんだよ、ああいうの……」
すると赤毛の剣士エレナが「私は上手くできたはず」と口を挟み、天人アシュリーが「そういえば私の百万金の笑顔って、ちゃんと使ってくれましたかね?」と続く。
こうなればもう収拾がつかず、ジャクソンたちをそっちのけに盛り上がる。リタが「はいはい、話がそれてるから」と言い、本題に戻った。
「さて、どうすんだコイツら」
アルフレッドの問いにエレナが「立ち会いをさせてくれ。決着をつけたい」と鼻息を荒くする。アシュリーも「死体は回収しますよ、何かに使えると思うんで」と慈悲もない。
いよいよ震えが止まらなくなるジャクソンたちは、身を寄せ合って己の運命を呪った。豚領主の依頼を請けなければ――と悔やんでも今さらである。
そこへリタが、「んん〜〜」と間延びした唸り声をあげた。何かを閃いた時の癖だ。
「始末するのは簡単だけど、それだと火に油ね」
「分かるように言えよ」アルフレッドは苛立っている。
「人間って、特に支配者ってのは馬鹿みたいにプライドが高いの。だから下手に撃退するとムキになるのよね。本人はろくに戦えもしないのに」
「じゃあこいつらを殺したら?」
「まぁ、さらに大勢の戦士が送られるでしょうね。そうなったら根比べになるかしら」
「もうフザけんなよ! 最近はようやく侵入者も減ってきて、時間が作れるようになったのに……!」
アルフレッドは怒りのボルテージをあげた。その怒気が部屋を圧迫し、震えるジャクソンたちを空気で押しつぶしてしまいそうだ。
そこへ謀略家気質のリタが、一計を案じた。
「だから工夫しましょ。強く脅せば、さすがに連中も大人しくなるだろうし」
「それはクライスの時に失敗したろ」魔王は後ろ頭をガリガリひっかいた。
「映像だけじゃダメね。なんというか、直接相手を脅かして、生々しい恐怖を植え付けてやらないと。例えばこんなやり方で――」
リタはあえて、ジャクソンたちにも聞こえるよう、作戦を明かした。アルフレッドは低く唸りつつ言った。
「それ、上手くいくか? 疑わしいな……」
「そこの2人の熱意次第かしら。どうなの、人間さん?」リタがジャクソンたちを見た。「私達に協力する? それともここで命を散らしとく?」
ジャクソンたちにすれば否応ない。縛られたままで、勢い良く頭をさげた。
「もちろん協力します! もうこんな危ない橋はコリゴリだ!」
「だ、そうよ。どうするアルフ?」
リタが尋ねると、魔王はしぶしぶ了承した。他に名案など無いのだ。
「じゃあ準備をしないとね。まずは術式を書いてと……」
妙に楽しげなリタと、手伝わされる一同。そこへ時おり、子供たちの声も聞こえてきた。
そうして前準備が終わった。
「マジで上手くいくのかよ……」アルフレッドは半信半疑で、立案者も「なんとかなるんじゃないの」と頼りない返事。
しかしジャクソンたちも必死だ。魔王に睨まれては困ると、成功を約束した。その熱意が通じたことで、彼らもようやく釈放だ。
「それじゃあ手筈通りよろしくね」
魔王軍一同に見守られながら、ジャクソンとフレデリカは、帰路についた。
もちろん約束を反故にすることはない。むしろ魔王の庇護を失えば、今度は領主に恨まれ、抹殺されかねない。彼らとしても正念場だった。
「いくぞ、フレデリカ。全力でやるぞ」
2人はレジスタリアの街郊外までやって来た。ジャクソンの睨む先には、固く閉ざされた城門がある。
「他に生存ルートなんて無いもの。がんばろう……!」
これより作戦開始だ。全身を、赤味の交じる泥に覆われた2人は、おぼつかない足取りで走り出した。
「たすけっ! たすけて!」
枯れた声で喚く。すると見張りの兵がざわつき始め、鉄の門が押し開かれた。
「どうした、しっかりしろ!」見張りの1人がジャクソンの肩を掴み、揺さぶる。その動きに合わせてジャクソンは、頭を前後に倒して、さらに薄笑いまで浮かべた。
「魔王に、手出ししちゃいけない! あぁ! あの場所だけは汚しちゃならないんだーー!」
「落ち着け、何があった? あの場所とはどこだ!」
「ダメだぁ! もうオレたちはお終いなんだ、怒らせちゃいけなかったーー!」
ジャクソンは、ヒステリックな声を響かせた。フレデリカも援護とばかりに言葉にならない悲鳴をあげ続けた。
これでは堪らないと、見張りは2人を治療院に連れて行った。そして病床に並んで寝かせる事に。
(ここまでは狙い通りだ。あとは豚領主が釣れるか……)
大詰めは近い。ジャクソンは、事前に手渡された小道具を、懐に手を入れて確かめた。失くしてはいない。作戦の成功に結びつける命綱は、手のひらの中に握られていた。
やがて治療院が慌ただしくなる。騒音の中で、耳障りなダミ声が響き渡った。
――狂犬の牙どもが居るのはここか!
レジスタリア領主のトルキン男爵。釣れた事にジャクソンの鼓動は高まった。そして隣のフレデリカに顔を向けては、無言で頷きあう。
すると病室のドアが激しく開かれた。空きの病床をトルキンが苛立ちながら通過して、ジャクソンの前に立った。彼のそばには2人の護衛もいる。
「よくもおめおめと逃げ帰ってきたな! 恥知らずめが!」
トルキンが憤激する最中に、ジャクソンたちは小さな丸薬を口に含み、噛み砕いた。苦い汁が口中に広がり、むせてしまう。フレデリカもこっそりと咀嚼した。
そうして2人は揃って赤黒い汁を吹き出した。トルキンの護衛が「血を吐いたぞ」と身構えた。しかし彼らが驚くのはまだ早い。明らかに様子のおかしいジャクソンたちを、恐怖の眼差しを向けることになる。
ジャクソンはベッドで半身を起こしたまま、首だけをダラリと倒した。さながら操り人形のごとく――しかし口元には薄気味悪い笑みを貼り付けて、垂れ落ちたよだれが手元を濡らす。まるで意識を支配されたようにしか見えない。
するとどこからともなく、人の声が聞こえた。冷たく、どこか艶を感じさせる声色だった。
『ご機嫌うるわしゅう、人間の小領主様』そんな切り口でリタの声。同時にジャクソンの胸元が淡く輝き出した。
『我らの神聖なる森をたびたび侵したこと、まことに許しがたき暴挙。命が惜しくば今すぐ武器を手放し、全面降伏なさい。これは慈悲――魔王アルフレッドに残された、ひとひらの情けですよ。踏み潰されたくなければ言うことを聞くことね』
その声の裏で微かに「ふみつぶすぞ〜〜」「キャア〜〜人間なんて皆殺しよ〜〜」と、甲高い声もうっすら聞こえてくる。その無邪気な響きも一層不穏に感じられた。
『ご決断を、小領主様。選択を誤らない事を祈っているわ』
それきり音声は消えた。そしてジャクソンは役目を終えたかのように、ふらりとベッドに倒れた。フレデリカも同じようにして、うつ伏せになっている。
「死んだか!?」トルキンの問いに護衛が脈をとった。「気絶したようです。しかしこの様子では永くないかと」首を横に振った。実際、ジャクソンは苦悶の表情を浮かべたまま、天井を見つめていた。誰の眼から見ても正気ではなかった。
「なぜこのような事に! 無様にしくじりおって!」
トルキンはベッドの足を蹴ると、そのまま逃げるようにして出ていった。足音が遠ざかっていく。病室に人の気配が消えた事を確信してから、ジャクソンは大きな息を吐いた。
「ふぃ〜〜。上手くいったかな」フレデリカは小さく笑った。「たぶん、大丈夫かな。トルキンの奴、めっちゃビビってたもん」「だといいが」
魔王の使いとしての役目は終わった。あとは身の振り方、つまりはレジスタリアからの脱出になるが、それは難しくない。日が暮れるまで大人しくして、闇夜に紛れて城壁から飛び降りれば良いのだから。
「なんとか生き残ったな……。そう思うと、感慨深いよ」
「うん。私も同じ気持ち。もう冒険者なんてやめちゃおうかしら。危険なくせに大して儲からない――というか、戦うのに向いてないと思うの」
「同感だ。もっとノンビリできる仕事を探そうかな」
ジャクソンがフレデリカを優しく見つめる。そして、戸惑う唇で、どうにか言葉にして告げた。
「その時は、ええと、一緒に住まないか? どこかの森の中で小さな小屋を建ててさ。例えばそう、魔王一家のような……」
「ううん、やめとく。私は実家に帰るから。しばらく親のスネをかじってやろうかなって」
「あっはい」
辛くも魔王の地を脱出し、さらには為政者まで騙してみせたジャクソンだが、望むがままとはいかなかった。彼は心の奥で、牙の折れる音を聞いた気がした。
ともかく脱出か――。ジャクソンは気を取り直すのだが、そこは上手くいかなかった。彼らは、そして魔王たちは、トルキンを脅しすぎた。
その結果、街を戦火に飲み込むほどの騒ぎを引き起こしてしまうのだが、まだ誰も気づいてはいなかった。