第11話 魔王討伐作戦
レジスタリア領主トルキンにより依頼が飛び、討伐作戦は速やかに実行された。実績も知名度も申し分ない2人組の冒険者――狂犬の牙。彼らは緊張した面持ちで、帰らずの森に踏み込んだ。
「気をつけろ、そろそろ魔王の領域だぞ……」
立派な鋼鉄鎧を着込み長剣を帯びた男ジャクソンが、先導しながら言う。彼は界隈で下アゴと呼ばれた。その手足だけでなく、声までもが微かに震えている。
「断ってくれたら良かったのに。2つ返事で請けちゃうんだもん」
後ろから続くのは、軽装の革鎧を着てスリングを携える女フレデリカだ。上アゴと呼ばれる彼女は、鬱蒼と茂る森の様子を、恐々と眺めていた。鳥が飛び立つだけで驚く様など、そこらの街娘と変わらない。
「だってお前、男を1人斬るだけで金貨がドザァだぞ? こんな割の良い話は100年に1度もないって。標的もあまり強そうじゃないし」
ジャクソンは人相書きを見せつつ言った。そこにはボサボサの黒髪頭をした青年の顔が描かれている。魔王と呼ばれてはいるものの、気だるさだけが目立ち、威厳の欠片もなかった。
ひと目見た瞬間、勝てると確信したものだった。
「ヴィラド商会をぶっ潰した奴だよ? そんなの強いに決まってんじゃないのよ、もぉ〜〜!」
「噂なんて当てになるかよ」
「そうだけどさぁ〜〜。なんでよりにもよって魔王を相手にだなんて。最悪も良いところだってば」
「ブツクサ言うなよ。オレはお前と――」
穏やかに悠々自適な暮らしがしたい、だから大金が欲しい。その言葉は「何よ?」と見返す顔を眺めつつ、胸の奥にしまっておいた。
(この戦いが終わったら、フレデリカに求婚してみようかな)
そう思えば力もみなぎってくる。実力以上の結果が出せるかも知れないと、ジャクソンは思う。
『狂犬の牙』という異名を持つ彼らだが、噂ほどの実力はなかった。豊富と評された戦闘実績も、あちこちのダンジョンで大ボスを怒らせてしまい、やむを得ず応戦しただけのことだ。それも基本的には逃走するばかりで、とても褒められた戦績ではない。
さらに言えば、彼らの異名も武技から来るのではなかった。とある日に流行り病に冒され、病床で歯をむき出しにしながら寝ていた――という逸話から来ていた。
だから別段、強くもなければ戦闘狂でもない。療養の揶揄が広まり続け、最終的には魔王討伐にまで繋がってしまったのだ。
(その魔王とやらも、もしかしたら話が膨らんだだけかもしれない。噂が勝手に独り歩きするのは珍しくないしな)
いまだに実態の掴めていない魔王を、ジャクソンは過小評価していた。かと言って、勝負になるとも考えていない。自分の分というものは弁えているつもりだった。
(さすがに魔王と呼ばれた大物を倒せるとは思えない。だから途中で引き揚げたほうが良い。たとえば側近の首でも手に入れて、それなりの成果を収めたら、あとはウヤムヤになるよう雲隠れして……)
ジャクソンは雑草をかき分けながら呟いた。
「そういえば、魔獣が全然でないのね。意外だわ」フレデリカが呑気に言う。
「それだけ魔王の住処か近いって事だろうな。帰らずの森ってのは静かで、そして豊かな実りが――」
その時だ。ジャクソンの背筋にすさまじい寒気が押し寄せてきた。フレデリカを庇うようにして立ち、問いかけた。「誰だ!」声はひっくり返っていた。
すると、殺気が木の幹に集まりだす。全身を大きく震わせたジャクソンは、長剣をゆっくりと引き抜いた。
「ほう、気配だけで察知するとは。なかなかの遣い手らしいな」
「あいにく、カンだけで生き延びてきたんでね。それよりお前は誰だ? 人間のようだが、冒険者か?」
ジャクソンは赤毛の女剣士を睨みつけるとともに、剣を右に構えた。
「通りすがりではない。私は森の守護者にして魔王の懐刀こと――エレナだ」
「魔王の側近か……!?」
睨み合うだけでジャクソンは心が折れてしまいそうになる。実力が違いすぎるのを、気配の時点で理解したからだ。見込みが甘すぎたと、この時になって痛感した。
(何が側近の首でも持ち帰る……だよ! こんなやつ相手に戦えるのか!?)
ヘビに睨まれたカエル。長剣が震えてカタカタと音を刻む。「フレデリカ。お前は逃げろ――」言いかけた瞬間、殺気が肌を打った。続けて鋭い斬撃が飛んできた。
「いざ尋常に!」
着地したエレナが素早く踏み込む。ジャクソンは剣で受けたが、辛うじてだった。剣撃は素早く、鋭い。さらに肘や蹴りの体術まで織り込まれている。刃で受け止め、側転で大きくかわすことにより、どうにか凌いだ。
太刀を浴びずに済んでいるのは、直感のお陰としか言えなかった。実力では明らかに三段は劣る――そう自覚させられた。
(やばい、死ぬ! 死ぬ!)
一撃をかわすたびに、命ごと吹き飛ばされそうな心地を味わう。逃げようにも隙がない。脇目を振る余裕すら与えてはくれなかった。
だが次の瞬間、足元で閃光が駆け抜けた。「目を閉じて!」辺りを強烈な光が包み込む。影さえ消し飛ばすものだった。
「くっ……目眩ましか!」
エレナは左腕で顔を庇いつつ、気配を探ろうとした。斬り込まれれば斬り返す。しかし、肌に感じるものは何も無かった。
まもなく光がやむ。すると、彼女の眼前からはジャクソンたちの姿が消えていた。
「逃げられたか……。どこへ行った!?」
エレナは木々の中を飛んでいった。すでに取り逃がした後で、この広い森を探し回る事となった。
一方ジャクソンたちは、さらに森の奥へと走り続けた。
「なんで逃げないんだよフレデリカ! こっちは魔王の本拠だぞ!」
「どの道、成果も無しに逃げられないでしょ。このまま突き進め!」
「とっておきの閃光玉まで使っちまうし! どうなっても知らないからな!」
ドタ足で並んで駆けていく。やがて森を抜けると、豊かな大草原が彼らを出迎えた。
「あれ、もしかして、道を間違えた……?」
「見てジャクソン、あそこに誰かいる!」
フレデリカの指差す先に、1軒の民家が見えた。倉庫に井戸、ロープにぶら下がる洗濯物。庭先の花壇で若い女が花を植えており、辺りを子どもたちが駆け回っていた。
「こんな所に人が住んでる? 怪しいぞ……!」
ジャクソンたちは身をかがめながら、そっと民家の様子を窺った。遠目から見る限り、牧歌的な家族。そして近寄ってから見ても、同じくホンワカとした気配しか感じ取れなかった。
今は、シルヴィアとアルフレッドが向き合うようにして、童歌らしきものを歌っていた。
「あ〜〜り〜〜さん」「ありさんさ〜〜ん」「クルッと回って」「わっしょいしょい!」そんな掛け声のあと、お互いにポーズをとる。それで勝った負けたと大はしゃぎした。
ジャクソンは思考が追いつかず、石化でもした気分になる。
「何なんだこれ……。魔王の住処に大家族が住んでるし、こいつらが魔王軍? いやまさか。つうか今の歌も分からんし、どうやったら勝敗がつくんだよ……!」
「落ち着いて。声が大きいよ」フレデリカがたしなめる。草むらに潜んでるとは言え、気取られやすい距離ではあった。
「どうするのよジャクソン」
「どうって、もう訳がわからん。何が正解なんだよ……」
「そうじゃなくて、魔王がいるでしょ。子供とたわむれてる奴」
「まぁ、そうみたいだな」
ジャクソンは黒髪の青年――魔王アルフレッドを注視して、引きつり笑いを浮かべてしまった。それは恐怖のあまりに自然と出た。本日2度目の、そして生涯で最期になるかもしれない後悔が、大波となって押し寄せてきた。
実物の魔王は、エレナの比ではなく恐ろしく感じた。魔王が笑い、何かしらの仕草を見せるだけで、冷や汗が止まらなくなる。コイツにだけは関わってはいけない――彼の直感が強く警告した。
しかしフレデリカは、怯えるジャクソンをよそに、とんでもない事を口走った。
「子供を人質にとろうよ。それしかないって」
「ハァ? お前、そんな卑怯な真似を」
「じゃあどうしろってのよ。そのうち赤毛の剣士に見つかって2人揃って殺されるのを待つ? それとも魔王に挑めば奇跡が起きて、ズバッと倒せるのかしら?」
「いや、それは……」
ジャクソンは腹を決めるしかなかった。腰からナイフを引き抜き、様子を窺う。幸いなことに子供は2人もいて、どちらも強くはないように思えた。
(やってやる。オレはこんな所で死にたくない!)
虎視眈々と機をうかがう2人。しかしどうあがいても、彼らの企みはバレる運命にあるらしい。
「さぁてと。絶対にこぼしちゃいけない薬を丁寧に運ばなきゃ」
背後から新たな気配――ジャクソンたちは恐れおののいた。足音はどんどん迫る。そっと振り向けば、大きなトレイを運ぶ少年の姿が見えた。
それはお手伝い中のグレンだ。彼は全くジャクソンたちに気づいておらず、まっすぐに歩いている。
「アシュリーさん、これって倉庫にしまえば良かったんだよね……うわぁ!?」
グレンは、草むらに潜む影につまずいた。そしてトレイに乗せたビンを宙に放り出してしまい、それはジャクソンの頭にぶつかった。
粘性の強い真緑のジェルが、彼の頭をしっとり濡らした。
「ごめんアシュリーさん! ビンの中身を!」
「えっ、グレンくん大丈夫です? もしかして浴びちゃいましたか? それ、皮膚に触れると絶望的な痛みが駆け抜けて発狂するやつですけど!?」
「いや、僕じゃなくて、その……誰だろう?」
グレンは見知らぬ剣士をおずおずと見た。すぐに耳をつんざくほどの絶叫が響き渡る。
「ギャアアア! なんだコレ、しみる! いや焼ける! いやどうなってんだよぉーー!?」
ジャクソンは、突然刺された痛みに耐えかねて、その場を転げ回った。斬られたようでも、焼きゴテで殴られたようでもあり、理解不能の激痛に悶絶した。
(わけ分からん、なんだよここは……)
それを最後にジャクソンは意識を手放した。フレデリカが泣きじゃくる声を耳にしつつ。
(魔王を倒したら、お前と、ささやかな毎日を……)
その言葉は伝えられなかった。
再びジャクソンが意識を取り戻した時、彼は後ろ手に縛られていた。隣には同じ姿のフレデリカもいる。
そして正面には、怒り顔を見せる青年――魔王アルフレッド。
「性懲りもなく人んちを荒らしやがって。覚悟は出来てるな?」
ジャクソンは、もう一度死ぬのかと思った。ならば薬を被った時に死んでいたら楽だったのに――。過酷な運命は、彼の魂を掴んで離そうとしなかった。