9 ふてぶてしい虜囚
帰らずの森付近の草原で、1人の男を組み伏せた。魔王一家がたびたび感じ取った視線は、レジスタリアからやって来た諜報員の仕業だった。政務官クライス――だと、彼は表情を変えずに言う。
「いやはや、諜報活動には心得があったのですが、こうもアッサリ捕まるとは。感服した想いです」
「ここで何してやがった。素直に白状したほうが身のためだぞ」アルフレッドが睨んだ。
「ええもちろん。私もまだ死にたくはありませんので」
ふてぶてしさを感じさせるが、一応は素直で、受け答えも明確だ。クライスは懐から金属の球を取り出して『種明かし』をした。それはまるで眼球のようで、側面にはガラスレンズが埋め込まれていた。
「これは記憶球と呼ばれる魔道具です。一定時間、風景を残す事ができます」
クライスはそう語るなり、金属球をまさぐった。すると虚空には、魔王の家が映し出された。それは外から眺める構図で、窓辺で後退りするアルフレッドが見えた。さきほどリタたちに詰め寄られた場面である。
「へぇ〜〜、人カスさんってほんと、いろんなこと考えますねぇ。色味も鮮やかで音も聞こえる。まるでその場に居るみたいな」
思わず感心するアシュリーだが、その評価はすぐに覆る。虚空の幻が光景を変えたためだ。
次のシーンは森の中。アシュリーの背後から近寄り、足元から覗き込む。素足が見えて、柔らかそうな尻肉が映されたところで、絶叫が響く。
「ちょっとオラァ! 何してくれてんですか、ブチ殺してやりましょうか!? アァ?」
アシュリーが飛び跳ねて映像を隠すのに必死だった。そこへエレナが押し殺した声で、怒りを顕にする。
「つまり、貴様はその魔道具で、無防備な女たちのあられもない姿を記録したのか。何という卑劣な男だ……」
憤るのはリタも同じだ。
「ひどい人ね。私を被写体に選ばなかっただなんて、見る目がなさすぎるわ。これは侮辱ととらえて良いのよね?」
怒る理由はそれぞれだ。そこに魔王の憤激まで加わる。
「テメェがくだらん事やらかしたせいで、こいつらが死ぬほど面倒くさくなったぞ。どうしてくれる?」
クライスの命は風前の灯だ。魔王一家を怒らせた上に、完全に包囲されている。並の人間であれば卒倒してもおかしくない局面だが――。
「何か誤解があるようですね。一つ一つ釈明させてもらえますか。貴方がたにとって有益なお話も出来ますよ」
「ほう? 言ってみろ。内容次第では、命だけは勘弁してやるぞ」
アルフレッドがじりじりと距離を詰めていくが、この期に及んでもなお、クライスはふてぶてしかった。
「その前にお茶にしませんか。喉が潤わない事には、ウウン、上手く喋れそうにありません」
一同は時が止まったかのようになる。誰も理解が及ばない。「コイツは何を言ってるんだ?」という問いが、脳裏を駆け巡っては思考を吹き飛ばすのだ。
こうして結局は、魔王の家に連れ帰ることになった。クライスは縄でふん縛りたいところだが「娘さんに見られるかも知れません」の一言で、それも断念。代わりに「不審な真似をすれば首をへし折る」と強く脅した。
「ふむ、紅茶の淹れ方がお上手ですね。香りが芳醇……。ちなみにお茶菓子は何ですか?」
紅茶だけでなく菓子まで要求するクライスに、魔王一家は呆れ果ててしまった。もう考えることが面倒になり、望むがままにした。リタは作り置きのクッキーをテーブルに置いた。
そして全員で監視する中で、アルフレッドが切り込んだ。
「さて、そろそろ教えろ。お前の目的や有益な話について」
「まふ、わはひにはいふふ、ほはいを――」
「モノ食いながら喋んな!」
「失礼。まず私に対する誤解から。別に皆様に劣情を抱いたとか、覗き見する趣向があった訳ではありません」
「だったら何で?」
「そもそも私は、魔王軍の戦力を調査するためにやって来ました。領主トルキンが命じたのです。そのため私は密やかに森を抜け、この家の近辺に潜んだのですが――」
クライスは肩をすくめた。
「確認できた物事と言えば、牧歌的な光景ばかり。森で採集だとか、ガーデニングに洗濯、果ては子供と戯れて大騒ぎ。撮れた映像は、ただ賑やかなだけ――有り体に言えば大家族の日常でしたよ」
「まぁ、実際そんな感じだしな」
「私は悩みました。これではトルキン様にドヤされそうだと。その結果、お色気シーンを挟めば、お叱りもマシになる――そう考えまして」
「そんな理由で撮影したんですか! 私の性的魅力につられたんじゃなくて!?」アシュリーが首を突っ込んでまで割って入った。
「はい、私はそういうことに興味がありません。実際、誰でも良いと考えていましたし」
「あぁ、ムカつくなんてもんじゃないです……やはり人カス滅ぶべし……」
ここまで訊いて、魔王一家も経緯を理解できた。クライスはアルフレッドたちの力を測ろうとしている。覗き行為に大きな意味はないと。
下劣な誤解は晴らされたと同時に、少しきな臭くなる。
「トルキンって奴に目をつけられたか」
アルフレッドがぼやくと、クライスが頷いた。
「ヴィラドを完膚なきまでに叩きのめした事が、逆鱗に触れたようです。トルキンは美しい娘を売り飛ばし、あるいは自分の側女にする手段を失いましたから。最近は荒れに荒れています」
「クソッ……また面倒な事が……!」
レジスタリアとの関わりは、ヴィラドの件だけで終わらなかった。その後ろ盾である領主トルキンとの確執に変わっていた。
アルフレッドは頭を抱えたくなってしまう。
「オレはただ、のんびり暮らしたいだけなのに……次から次へと厄介事が!」
「そこで私から1つ有益なご提案が」とクライス。
「なんだよ、言ってみろ」
「ほほはひほふ、さはへにほっへ」
「菓子は後にしろっての! すり潰すぞテメェ!」
「失敬。逆手に取れば、トルキン様の敵意を削ぐ事も可能かと」
「どういう事だ?」
「映像の中身次第で、領主様は態度を変えるでしょう。それは魑魅魍魎な大軍勢に対する恐れ、あるいは何かしらの思想に共感する。まぁ、色々あるとは思います」
「それは、何か気の利いた映像を撮れってことか?」
「平たく言えば」
クライスが頷く。アルフレッドたちは顔を見合わせたところ、いち早く挙手したのはアシュリーだ。
「それじゃあ、この超絶美少女アシュリーちゃんの魅力をふんだんに伝えましょ! 天人の美貌に魅了されたら、人カスなんてアッちゅうまに傀儡ですから!」
その意見はエレナが即座に却下した。
「ここはやはり、我らが正義の徒であることを知らしめるべきだ。清く正しく、そして厳しく整った姿を見せつけようではないか!」
鼻息の荒い意見は、リタがたしなめた。
「そんな道理が通る相手じゃないでしょ。やっぱりアルフを中心にしなきゃ。逆らったら命はないという畏怖を、しっかり植え付けてやらないと」
するとそこへ、いつの間にか現れたミレイアが参加した。
「生き血が必要ですよ。不信心者の臓物を並べて、腐敗による浄化と赦しをテーマにしませんか」
さらにシルヴィアとグレンまで2階から駆け下りてきた。「ねぇねぇ何のはなし?」「走ったら危ないよ気をつけて」
こうなると大騒ぎだ。アレが良いコレをしたいと、収拾がつかなくなる。結局はリタが「それじゃあこうしましょ」とまとめた。いやこれは――まとめてしまったと言うべきか。
こうしてクライスの記憶球には、よく分からない映像がおさめられる事になった。
「この映像をトルキン様に見せろと――きっと逆鱗に触れるでしょう、私の命も風前の灯です。もしやこれは、遠回しな処刑ですか?」
クライスが苦笑するのを、アルフレッドがピシャリと言った。
「お前が持ちかけた話だろ。つうか、オレに殺されないだけでも感謝しやがれ」
「ハァ……。冥土の土産にお菓子はいただきますね。なかなかの美味、気に入りました」
そう言いつつ、クライスはクッキーを両手で掴んだ。そして「では、ごきげんよう」と別れの言葉を残して去っていった。最後の最後まで彼は、ふてぶてしさを貫いた。