表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/21

プロローグ

 夕日で赤く染まる森の中を、1人の少年が走っていた。足はもつれ、息も絶え絶えだというのに、立ち止まる事はない。薄汚れてボロボロのチュニックとスボンは、新しい泥にまみれていた。


 浮浪児の少年グレンは、必死の形相で走り続けた。


「早く、早く助けなきゃ……!」

 

 彼が焦燥感に駆られるのは、たった1人の肉親をさらわれたせいだ。犯人は、街の奴隷商『ヴィラド商会』の手の者で、荒くれ者たちの集団だった。弱冠12歳の少年に太刀打ちできる相手ではなかった。


 街の大人たちも同じように無力だった。自警団に相談しても「残念なことだが……」と傷心に寄り添うばかり。一時は途方に暮れたグレンだが、ふと思い出した。街の飲んだくれが漏らした噂話を。


――街の北に『帰らずの森』があるんだが、その先には魔王が住んでるらしい。どんな悪党も敵わねぇくらい強くって、騎士団ですら手出し出来ねぇらしいぞ。


 その噂ひとつだけを頼りに、グレンは街を出た。誰も助けてくれないのなら、魔王にすがるしかない。称賛も打算も度外視で、ワラをも掴む想いだった。


 昼間から駆け通しで、間もなく陽が暮れる。身体はすでに限界を通り越していた。渇いた喉が張り付いて痛む。胸は今にも破裂しそうで、足の感覚もほとんどない。もはや気力だけが頼りだった。


「待っててくれ、ミレイア! 絶対にお前を助け出してみせる!」


 日が沈むにつれ、辺りを夜闇が覆い隠していく。土地勘のない森に1人きり。胸に不安と恐怖が交互になって突き刺さる。


 何せ魔王が存在する保証はないのだ。そして、仮に魔王に会えたとして、手を貸してもらえるか分からない。そう考えると、この疾走劇も徒労に終わるかもしれない。


「諦めちゃダメだ、ここに賭けるしかないんだから……!」


 だがここで、ついに彼の足は止まった。突然目に飛び込んできた異変が、そうさせたのだ。


「な、なんだこれ! 街の大人か!?」


 微かに差し込む夕日が、3人の吊るされた男たちを赤く照らした。無言のまま、ギシギシと音を鳴らして揺れている。足元には真っ二つに折れた剣、それと力任せに捻じ曲げたような槍が散乱していた。


 そして、目に付く位置に血染めのように真っ赤な看板には、こう書かれていた。森に入るなブチ殺すぞ――魔王アルフレッド。


「それじゃあ僕も、きっと同じ目に……!」


 グレンの呼吸はただでさえ荒いのに、更に激しさを増し、強いめまいまで伴った。鼓動も音が聞こえるほど脈打った。汗だくになるほどに熱い身体は、今や冷水を浴びたほどに冷えて、震えが止まらなくなる。


 怖い、逃げたい、楽になりたい。矢継ぎ早に込み上げてくる言葉たち。思わず後ずさりしかける。


 だが弱い心は、ミレイアの記憶が吹き飛ばした。凍えるほど冷え込んだ晩に、お互いつなぎ合う手の温もり――言葉とともに甦る。


(いつまでも一緒だよ、お兄ちゃん!)


 震える手を、固く握りしめた。怯んだ顔に少しずつ意思の光が宿る。


「そうだよ、他に手段なんてないんだ。もう行くしかない!」 

 

 地を強く蹴って、再び走り出した。既に陽は落ちて暗闇が濃くなった。方角も見失いかけているが、とにかく前へ。体力の続く限り。


 もはやヤケになって走り続けるだけだった。

 

「まだか、いつになったら森を抜けるんだ……!」


 地面から張り出した木の根につまづいた。


 投げ出された身体が宙を舞う。木の幹にぶつかり、地面に背中を打ち付けて、坂道を転げ落ちていく。仰向けの態勢で止まったところ、頬を笹の葉が撫でた。


 疲労と痛みで気を失いそうになる中、グレンは星灯りを見た。満天の星空が広がっていた。


「えっ、空だって!?」


 思わずグレンは半身を起こした。


 青くて丸い月と、駆け抜ける流星が見えた。辺りは緩やかな丘陵で、果てしなく続く草原が、風に吹かれてなびく。サラサラという葉を擦り合わせる音が、耳に心地よく届いた。彼は苦労の末に森を抜けたのだ。


「ここが魔王の住むところ……?」


 グレンは拍子抜けした気分だ。想像するより長閑で、穏やかな光景が広がっていたからだ。


 例えば狂ったように蠢くマグマに、亡霊の嘆くような風の音。あるいは、冷たい鎖に縛られた冒険者の亡骸といった、力と邪悪さを思わせる光景が1つとして見当たらない。


 思わず呆然と立ち尽くすグレン。そこへ誰かの問う声が届いた。


「あら珍しい。子供がたった1人で?」


 グレンはおもろに顔を持ち上げた。そこには、宙に浮かぶ1本のホウキと、それに腰掛ける女の姿があった。


 麻のワンピースを着た若い女――のように見えたが、似て非なる存在だった。頭にはキツネの耳が生えている。


「大丈夫? 迷子になったのかしら?」


 続けて問われる。グレンは慌てて返答するが、喉が痛むあまり、上手く言葉にならない。


「あの、魔王様がここに居るって聞いて、助けてほしくって……ゲホゲホッ」


「そうだったのね、ウンウン。とりあえず乗ってちょうだい」


 キツネの女は尻をずらして、手を差し伸べた。


 グレンはおずおずと手を握り、女の隣に腰掛けた。するとホウキは緩やかに飛んだ。地面からさほど離れることなく、風に乗って浮遊するように。


 飛翔魔法は、ただの浮浪児であるグレンにとって初めての体験だった。頬を打つ風が心地よい。疲れ切った身体を、優しく撫でるようだった。


「あの、お姉さんが魔王様なんですか?」


「ふふっ、違う違う。私は狐人のリタっていうの、よろしくね」女は愉快そうに笑った。


 その笑顔にグレンは救われた想いだ。魔王に対する恐怖心が、微かに薄れたからだ。


 何とかなるかも知れない――という希望が生まれるとともに、運命の歯車がゆっくりと回りだす。


 しかしその音は、まだ誰の耳にも聞こえはしなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ