月虹 ~聖女は勇者を望まない~ 【短編版】
わたしが、十歳のときだった。
「身勝手な女の、身勝手な願いよ」
そう言って、母は、わたしに笑った。
穏やかに、笑って……そして、死んだ。
***
夜の虹。
月虹。
その名の通り、月の光によってかかる虹。
光が太陽より弱いため、色彩は淡く白っぽい。だから、白虹とも呼ばれている。
目撃することが非常に珍しいためか、月虹を見た人にはしあわせが訪れると言われている。
そんな月虹が空にかかっている夜、わたくしは、祈った。
どうか、どうか、お願いします……。
***
このヴィンデイル神聖王国における『聖女』の役割は、子を成すこと。
なぜなら、『聖女』だけが『勇者』を産むことができるからだ。
***
「姫様! 陛下の御命令通り婚儀を行い、そして、早くお子を、勇者となるべき者をお産みください!」
誰もがわたくしにそう命じる。
現王の、たった一人の『姫』にして、『聖女』たるわたくしに。
この世界は、いいえ、人間は、魔物によって、その生存を脅かされている。
単に、魔物に殺されるのではなく、魔物の側に、魔王と呼ばれる破格の力を持った存在が生まれたのだと、そう噂されるほど、昨今、魔物たちの勢力は強くなった。
その通り、きっと、魔王が生まれたのだろう。
そして、魔物側の侵攻が始まって、辺境の村からどんどんと、人々が殺されるようになったのだろう。
王都で守られているわたくしには、その滅びの実感は、ない。
ただ、あの村が魔物によって滅ぼされました。次はこの村が、魔物に侵攻されるでしょう。
そんな報告を聞くだけだ。
魔物によって、人間は、滅びの危機に、瀕している。
そんな中の唯一の希望が、このわたくし。
わたくしという『聖女』が産む『勇者』が、『魔王』を倒し、『魔物』をせん滅し、そして、世界は平和になる……。
そう、信じられている。
だけど。
「嫌よ」
「姫!」
「『聖女』が産んだ子が『勇者』となり、『魔王』を倒す。ねえ、そんな嘘か本当かわからない『伝承』にすがってどうするの?」
「姫様!」
「『伝承』が本当だなんて、あなた、本当に信じているの?」
わたくしは、『剣聖』と呼ばれている男を睨みつけた。
筋骨隆々として、我が国で飛びぬけて剣の腕の良い男。
最前線で、何千、何万の魔物を倒し、そして、今、国王の命令によって、王城に帰還させられた。
最前線で、そのまま魔物を倒しておけばよいものを。
父王の命令によって、このわたくしを孕ませるためだけに、最前線で、魔物と戦い続ける兵たちを置いて、王城に帰還した。
「私と、姫様……『聖女』様の子が、『勇者』となり、そして、世界を救う……。それが、陛下の、そして、皆の願いなのです」
『剣聖』のその言葉を、わたくしは思いっきりあざ笑ってやった。
「自分の産んだ子を、魔物と戦わせ、魔王と戦わせるようなことを願う母親がどこにいるのかしら?」
「しかし!」
「母親に、自分の子を、世界の犠牲として差し出せと言っているようなものじゃない。魔物と戦いたいのなら、あなたが勇者になって、世界を守ればいい」
「無理です! 勇者になれるのは、聖女が産んだ御子のみ!」
「そんなの単なる伝承よ。聖女が産んだ子だけが勇者となるなんて、誰が決めたの? 誰が確かめたの? そんなもの、魔物に滅ぼされようしている人間が、勝手に妄想したことに過ぎないわ」
「妄想ではありません! 確かな言い伝えです!」
「はっ! 単なる言い伝えを確かだという、そんな証拠はないわ! とにかくわたくしは子など産まない! 自らの腹を痛めて産んだ愛しい子を、死地に送り出すような、そんなことをしなくてはならないのなら、初めから、子など産まないわ!」
「……では、それでは、人は滅ぶ」
「そうと決まったものでもないでしょう。あなたは『剣聖』と呼ばれるほどの剣の腕前の持ち主。あなたが勇者となり、魔王を倒せばよい」
「……無理です。私程度の腕では、魔物は倒せても、魔王は倒せない」
「やってもいないで何を言う。わたくしの子に、勇者になれと命じるのなら、まず自分が出来るところまでやってみるべきでしょう。あなたが勇者になりなさい」
「そ、それは……」
「それが出来ないのに、わたくしに命じないで。わたくしは、子は産まない。わたくしの子を、死地には送り込みたくない。母としての当たり前の願いよ。魔王が滅び、魔物がいなくなった平和な世界でだったら、わたくしだって、何人でも子を産んで差し上げてよ」
魔物。魔王。
そう言うけれど、それが違うということをわたくしは知っている。
わたくしたち人間から見れば、異形の生き物。だから、魔物だ、魔王だと言って、人間は恐ろしがり、そして、お互いを倒しあう。
魔王の側だってそうだろう。
人間など、弱いくせに群れて、魔物を倒す恐ろしい存在。
魔物の中でも弱い子が、人間によって殺されれば。
魔物の側だって、きっと人間のことを悪魔だなんだの言って、倒そうとする。ただそれだけの話。
何年も、何十年も、何百年も……異なる種族同士で殺しあい、その泥沼の中で、何人か、王族の姫が産んだ子が、勇者となった。
勇者……、そう、称されただけ。
姫の、子どもだから。
王族の義務だから。
領民を守るために、力を尽くすのが貴族だ。
そう言って、覚悟を持って戦った結果、たまたまその時代の魔王を倒すことができただけ。
それが、長い年月の果てに、聖女の産んだ子が勇者になると、伝説と化しただけ。
聖女と祭り上げられる王女に、それほど特別な力などない。
ほんの少し祈りの力が強くて、怪我を治せたり、結界を張ったりできるだけ。
聖女の産んだ子が勇者となるのではない。
勇者たれと、祭り上げられ、それを信じ、魔王を倒せただけ。
運がよかっただけ。
けれど、勇者が魔王を倒しても、魔物は殲滅されたわけではない。
雌伏のときを経て、魔物だって、人間への復讐を行うのだ。
繰り返される、運命。
千年、二千年……、数万年の単位で、俯瞰をしてみれば。
人間が世界を謳歌する時期があり、それがなくなり、魔物が世界を席巻する。そして、また、人間が魔物を殺す……。
敵対する二者の攻防。
その繰り返し。
もしも、わたくしの産んだ子が、本当に魔王を倒したところで、千年の後にはどうなっているかわからない。きっとまた、魔物が人間を殺す世の中になり、同じことの繰り返し。
そんなもののために、わたくしは、自分の子を差し出すの?
冗談ではないわ。
わたくしは子を産まない。
人間と魔物。相容れない存在が、同じ世界にいるから争いが生じる。
わたくしが子を産まなければ。
人々は希望を無くし、力を無くし……、その果てに滅ぶかもしれない。
それの何が悪いというのか。わたくしにはわからない。
だったら、いっそ、わたくしは魔物の聖女となろう。
わたくしの子を、魔王を滅する『勇者』になどさせない。させたくない。
だって、わたくしは『伝承』なんて信じていないもの。
世界を救うという希望を、生まれる前から背負わされて。
その期待に応えられないほどの脆弱な子だったらどうするの?
期待に応えようとして、魔王を倒す旅に出て、そして、道半ばで倒れたら?
むざむざ、そんなことをさせるために、わたくしは、自分の子を差し出すの?
まるで、イケニエのように。
だから、わたくしは、人間を裏切る。
人間を、滅ぼそう。
だって、それが、わたくしにとれる、きっと唯一の手段だから。
人間がいなければ、魔物は魔物ではなく、単にこの世界の生き物でしかない。
それでいい。
わたくしは、人間から恨まれるだろう。
悪女だ、悪魔だと呼ばれることになるだろう。
でも、それでいい。
わたしが死した後、この世界が、魔物という名の単なる生き物によって、しあわせな世界になればいい。
……けれど、わたくしのこの願いは叶わなかった。
薬で意識を失わされて。
剣聖と呼ばれる男か誰か、相手はわからないままだけど、どこかの誰かによって、純潔を奪われた。
行為を、わたくしは、おぼえていない。
なされたことは、知らない。記憶にはない。
だけど、体に残る痛み。
そして来なくなった月のモノ。
膨らみ始めた腹。
ああ……、わたくしの体の中では、子が育っているのね。
わたくしの意思に反して。
わたくしは『勇者』を産む器として、勝手に体を使われた。
そう……、お前たちは、人間たちは、そこまでするの……。
憎悪というものは、こういうものなのかと思った。
そこまでするのなら……いいわ。産みましょう、わたくしの子を。
だけど。
わたくしはわたくしの力の限り、祈った。
神に。
悪魔に。
世界に。
夜空を照らす月虹に。
わたくしはこのまま石になり、千年間眠る。
ええ、わたくしの、力の限り、眠ってやる。
子を、腹に宿したまま。
***
そうして、月虹は、願いを叶えた。
願い通りにヴィンデイル神聖王国の『聖女』は、千年の眠りについた。
***
母曰く、母は、ヴィンデイル神聖王国における『聖女』という存在だったらしい。
そしてわたしは、千年間、石像と化して、眠り続けた母が、産んだ娘。
まあ、もっとも、ヴィンデイル神聖王国なんてものは、この世界のどこにでも残っていないけれどね。
で、人間が滅んだあと、石像から人間に戻って、わたしを産んで育ててくれた母は、わたしに言った。
「『勇者』になんてならないでいいの。勝手に負わされた荷物を、必死になって、背負わなくていいの。お母様があなたに願うのはたったひとつだけ。どうか、しあわせになって。毎日楽しく生きて。あなたの思うとおりに」
そう言って、母は死んだ。
わたしが、十歳のときだ。
世界に対する悪魔、魔女。
人間に対する裏切り者の聖女。
千年前は、きっと、そう呼ばれたであろう、わたしの母。
だけど、わたしの大切なお母さん。
「さあ……、じゃあ、わたしは行こうかな」
人間という生き物が滅んだあとの、魔物だけが当たり前に暮らす平和な世界で。
唯一の人間として。
その世界を旅してまわろう。
母が、選んだ道を。
全人類を亡ぼしてまで、守ってくれた、わたしの自由を。
謳歌するために。
終わり
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2025年5月3日~5日 2位 ありがとうございます!
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長編版、連載開始しました。
短編版は一人称小説ですが、長編版は三人称。
短編版との違いをお楽しみいただければ幸いですm(__)m