6.侯爵夫人
ソコルワンド王国領の街バディオン。
王国領内でも屈指の大きさの街である。
ラミーナが封印されていたファルノア山から一番近くにある街で、この辺り一帯の領主であるアルビッグス侯爵の邸宅もこの街にあった。
街の外れにアルビッグス侯爵の邸宅は佇んでいた。その邸宅の一室、一日中陽の光が差し込まない奥の一室で、シャノン大佐は片膝をつき、頭を垂れていた。
シャノン大佐の正面には天井から巨大な天蓋が垂れており、その天蓋によって広い部屋は二つに分断されていた。向こう側に一人の人物が椅子に腰掛けているのが薄い天蓋越しに見える。
シャノン大佐はその人物に向かって頭を下げているのだが……シャノン大佐の隣にはもう一人同じように頭を下げている人間がいる。ベリンダだ。
二人は並んで、天蓋の向こうの人物に相対していた。
「報告は分かった。ベリンダ……お前はもう下がって良い」
「お母様……」
「あとはシャノンと兵士達に任せればよい。お前は屋敷で大人しく待っていなさい」
「……分かりました。失礼します」
ベリンダはそう言って立ち上がると、部屋の扉に向かう。
「……ベリンダ」
「はい。何でしょう?お母様」
「早く私の病気を治したいと思うお前の気持ち……嬉しく思う」
「お母様……」
「もうゆっくり休みなさい」
「はい」
ベリンダが一礼して退室すると、天蓋の向こう側の人物、アルビッグス侯爵夫人ガラティアが立ち上がった。
「で、シャノン。魔女を取り逃がした上、例の魔術も見つけられなかったのか?」
ビクンと体を反応させたシャノンが抑えた声で応える。
「申し訳ございません。あのような強力な昏睡魔法を使用してくるとは思いもせず……」
ふぅーと大きくため息をついたガラティアがそれに答える。
「昏睡魔法……なるほど。"幻視の魔女"などと呼ばれるだけあるの」
「"幻視の魔女"ですか?」
「そう。奴は……ラオミリシャにはそう言う呼び名があるらしい。幻や夢を見せる魔法が得意だそうだ」
「幻……夢……」
「それに関しては私も対策を充分に備えられんかったのでな。私の失策でもあるな」
「いえ!ガラティア様。無策で乗り込んだ我々の失策でございます」
「それもあるの」
ガラティアが懐から数個の石をシャノン大佐に向けて転がした。天蓋の下を通ってシャノン大佐の足元にそれらが転がってくる。
「シャノン。それは魔石じゃ。知っておるな」
「はい。魔術の術式を定着させている魔力を持った石ですね」
「そうじゃ。これを使って再び魔女を追え。その石には魔女の魔力を感知する術式が組み込まれておる。奴はまだそれほど遠くにはいっておらん。まだバディオン周辺にいる可能性が高い」
「魔力を感知する石……」
「他にも奴の魔法を防ぐ魔道具も用意しておる。それらを使って即刻あの魔女を捕らえよ」
「はっ!承知致しました!」
シャノンは足元の魔石を全て拾い上げると、深々と頭を下げて部屋を後にする。
広い部屋に一人になったガラティアは椅子から立ち上がると、壁際にある鏡台の前に立つ。
そしてゆっくりと、鏡の前で顔を覆っているベールを上げる。露になった自らの顔を見て、ガラティアが苛立たしく声を上げる。
「やっとあの結界を破壊出来たのに……。魔女はおろか、あの魔術も見つけられないとは……役立たずの兵士どもめ」
鏡台の上に置かれた水晶玉に軽く指を触れる。
「やはり私自ら出ていかねばならないか……」
深くため息をついたガラティアは重い足取りで、暗く広い部屋から出ていった。
◇◇
すっかりと陽は沈み、街には仕事終わりの人で賑わいだしていた。バディオンの飲食店が多く集まる区域。
街に戻ってすぐに今晩泊まる宿屋を決めたレジスとラミーナは、夕食を摂るためにこの区域に来ていた。
通りに面するレストランや酒場はちょうどピークの時間帯で、どの店も多くの客で賑わっていた。二人は通りを歩きながらどの店に入るかの店選びをしている。
レジスの横を歩くラミーナの足取りは軽く、表情は明るい。ずっと山から出られなかったからだろう。
そして、すれ違う人間のほとんどが二人を振り返る。
剛健な剣槍を背負った大柄な男と、妖しげな濃い緋色の瞳と赤みがかった長い黒髪をなびかせる美女。
二人は通りを歩くだけで意図せず注目を集めてしまっていた。
その周囲の視線に気付いたレジスがラミーナを連れて大通りから外れて、少し人通りの少ない方に向かう。
「ええー!あっちの方が美味しそうなお店多くないですか?」
「ダメだ。目立つ。こっちの通りで店を選ぶ」
「ぶー……レジスが大きいから目立つんですよ」
この魔女は自分も男どもの注目を集めているという自覚がないらしい。
だがすぐにラミーナは視線を目の前の通りに戻すと、
「あ!この通りにも美味しい店があるんですよ!そこにしましょう」
「え?ちょっと待て……」
言うが早いか、ラミーナはレジスの手を握ると早足で歩きだした。
何十年も山に封印されていたのに何でそれを知っているんだ? という疑問が浮かんだが、すぐに飲み込んでラミーナの後に続いていく。
ラミーナが選んだ店は酒場だった。なかなかに大きな店で多くの客で賑わっている。
「んー、なかなか混んでますね。嫌ですか?」
「いや、人が多いと紛れやすい。お前は追われてる身だからな」
「あ……そうでしたね」
こいつは自分が追われているという自覚までないのか……。呆れた様子でレジスはラミーナと共に酒場へと入っていく。
◇◇
「ね? なかなか美味しいお店だったでしょ?」
「ん……そうだな。ところで……お前はこの店を前から知っていたみたいだが……」
「あー……それはですね……」
ラミーナの話では山の封印は、全く出られなくなるものではなかったそうだ。
あの結界はラミーナの魔力だけを閉じ込めていた。
つまり魔力を結界の中に置いていけば体は外に出ることが出来たらしい。
しかし、魔力を置いて行くなんてこと出来るのか?
「ええ……苦労しましたよ。どうしても街に下りたかったんで、魔石に自分の魔力全部を注ぎ込んで、何とか出れました」
「何で街に下りたかったんだ?」
「レジス……一回、何十年も山の中で過ごしてみますか?」
「なるほど……理解した」
早い話がこういう店で美味い物が食べたかっただけのようだ。
そうやって外に出れるようになったのなら、別に結界を壊さずとも良かったのでは? と、聞いてみると、
「とんでもない!人間ですら魔力を持っているのに、魔力の無い状態で過ごせなんて……私にとっては死刑宣告か、裸で街を歩けと言われているようなものです」
例えは良く分からないが、魔力無しの状態で歩くのは、魔女にとって危険で屈辱的な事という事らしい。
◇◇
レジスが数杯目の麦酒を口にした。ラミーナも同じように果実酒を口にする。二人の前から空になった食器が女給によって下げられていく。
レジスの顔色は全く変わっていないが、ラミーナの頬は緋色の瞳と同じような赤みを帯びて、表情は艶っぽくなっていた。
ラミーナが上目遣いでレジスの顔を覗き込む。
「レジスはどうしてエビラバエに行きたいんですか?」
「またその話か……。何度聞かれても答える気はない」
「ありゃら……じゃあ、質問を変えます」
ラミーナはレジスの腰に目を向ける。レジスの腰には一丁の拳銃が下がっている。回転式の古いタイプだが、しっかりと手入れがされた拳銃だ。
「レジスは魔獣ハンターですよね? その拳銃を使うんですか? 魔獣相手にはちょっと頼りない武器だと思うんですが……」
「これは傭兵時代から使っている物だ。魔獣相手には使わない」
「じゃあ何で持ってるんですか? 護身用? でも剣槍もダガーも持ち歩いているから護身用ってのもおかしいですね……」
「愛着があって捨てられないだけだ」
「あー、なるほど!ありますよね、そういうの!使わないけど何となく捨てられない物って!」
「そういうことだ」
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「ダメだ」
「ケチ……」
頬を膨らませたラミーナがテーブルに突っ伏した。
この魔女、結構酔いが回ってきてやがるな……。あまりここには長居しない方がいいな。そろそろ宿に戻るか……。
ラミーナがテーブルに突っ伏したまま、ジト目をレジスに向ける。そしてレジスの腰に下げられた拳銃を指差した。
「随分と大切な人から貰った物なんですね、その拳銃って……」
ビクッと大きな体を揺らしたレジスが大きく目を見開いて、ほろ酔いの妖しい瞳で自分を見つめるラミーナを見返した。