拾った恋文
拾った恋文
「この前、ラブレターを拾ったんです」
矢車ひよは、そういった。一月ぶりの恋人の顔が、高校生の時の幼い顔に重なる。僕は、矢車から同じ言葉を聞いたことがある。
そのとき、彼女は高等学校指定のマフラーに口元をうずめており、表情はよく読み取れなかった。なんでそんな面白い話を聞くことになったんだっけか、と秋草は記憶を探った。
記憶の中のラブレターと、現在手元にあるラブレターの話題。
「今時ラブレターか?」
「それな。何かで読んだのかなあ、『いまどきないだろう』ってものを子供は再生産するんだなって」
「5歳からスマホを持つ時代だぞ? 古いってことに気がつくだろ」
「私もそう思いましたー。でもね、ラブレターでググってみたら、ほら、最近の記事で「ラブレターの流行ってる書き方」がトップヒット」
「わからないんだけど、まさか、実は流行ってる、みたいなことがあるの?」
「さすがにそんなことはないと思う。調べなきゃ出ないし、ラブレター拾ったのも、うちの小学校で働き始めてから5年ですけどこれが初めて」
「どこで拾ったの? その、学校のどこで」
「うん、そうそう。昇降口のとこ。つまり」
矢車はテーブルに右肘をついてクリアファイルを見せつつニヤリと言った。「下駄箱の手前ってことになるね」
「それは?」秋草はクリアファイルを示して聞いた。
「だから、これだよ」彼女はクリアファイルの中の白い紙を指さして言った。
「持ってきたのか」
「正直持ち歩いてます。教師としては紙ゴミを拾ったとしか言えないし、かといって人として捨てがたし」
「見せてくれとは言わないけどさ」
「どうして? あき君なら検分したがるだろうと思ってたんですけど」
「さすがにそれはプライバシーの塊だろう、いくら知らない小学生の文とは言え」
「まあねえ」矢車はファイルと反対の手で箸袋をいじり出した。
「みたのか?」自然に秋草の声は非難の色を帯びる。
「まあ私は、校内の風紀を守る職務があるので」
というかこの話はここからなんですよ、と彼女は声をひそめた。
「ラブレターなんてけしからんと思ったんですけど
「中身見たら申し訳ないなとも思ったんですけど
「差出人がわかったら送信者に返すくらいのことも考えたんですけど
「思い切って中を見たら、空っぽでした」
彼女は中ジョッキ生ビールを半分に減らしたとは思えないほど真摯な顔をして言った。
「この子って、振られてしまったんでしょうか?」
動かなくなってしまった小鳥を手の中に抱えているような。秋草は彼女が何か失われる物にひどくおびえているように見えた。
「この前、ラブレター拾ったんです
「可愛い封筒だから中身のぞいてみたら、
「空っぽでした」
「ん、あれ?」僕は突然、あることに気がついた。「どうしてそれがラブレターだってわかったんだ?」
単なる封筒ではなく。
「だって中身が入ってなかったんだろ? ラブレターってその中身で決まる呼び方じゃないか」
「ああ、それは簡単、ほら」矢車はクリアファイルの中から話題のブツを取り出した。
文面が入っていないと言うなら、まあ、気兼ねなく見ることができる。
それは折り目がついた正方形の紙だった。折り紙である。折り紙? ラブレター?
「おいおい、なんだよそりゃあ。そもそも手紙であるかも怪しいじゃないか、それこそ裏側に文字でも書いてなければ手紙ですらない。あれか? 書きかけの手紙だった?」
彼女がくるっと紙を回したことで、秋草の仮説が引っ込む。
紙の形が正方形なのが折り紙の特徴であるが、その紙は、すでに四隅が中心に集まる形で折られていた。つまり本来の紙の大きさは今見えているよりも一回り大きい。
そしてその折られた端っこが集まったところに、ハートマークの赤いシールが貼られていた。本来は中が見えない作りなのだろう。なるほど、誰が見ても恋心をしたためてあることが一目でわかる手作りの封筒だった。
確かに、それだけ思いが溢れているなら、ラブレターと認識するのは難しくない。
「そのシールを剥がして中身を見たってことか」
「いや、シールは初めから角を貼り合わせていなかった。この向きでここに貼ってあっただけ」
「じゃあ、その中身がないってのは」
「中に何も書かれてないし、何か入っているわけでもないってこと」
ふうん。事情は分かった。
「そういえば話変わるんだけどさ」秋草はふと思い返したように。少なくともそのように装って、矢車に水を向けた。「昔、君は同じようなことをいってきたことがなかった?」
「ありましたね、そんなこと」
文車は照れ笑いして答えた。
「あれ、粋な告白のつもりだったんですよね〜
「中にはもうあき君宛のラブレターが入ってて、渡したら告白になるっていう、そういう。あーーー」矢車が吠えた。
「でも渡す直前でビビっちゃって。中身が空っぽだったって話になっちゃったんだ、そうそう思いだした」
「実はこれ拾ったとき、うわアレじゃんって当然思いましたよ、私だって」恥ずかしー、と顔をパタパタ暫定ラブレターで扇いだ。
「あのとき、なんて言ったか、覚えてますか?」
「いや、覚えてない」
「じゃあなんでもないです」
「ん? あ、ココ折り目が付いてる」秋草は目の前をはためく紙が新品ではないことに気が付いた。
「折り紙だもん、折り目くらいつくでしょ」彼女は扇ぐのをやめて手紙を見直す。たしかに折り目がついている。
「いや、人に渡すんなら、折り目のない綺麗なやつを渡すのが普通じゃないかなあ」秋草は手を伸ばした。
「確かに!」矢車が彼に折り紙を手渡す。
「つまり、人に渡すものじゃない、か、折り目に意味があるか」秋草は折り目にしたがってその紙を折り直していく。「ラブレター仮説を否定するなら、この時点で結論だけど」
山折りの線が途中で別の折り目と交差して谷折りになるときは、交差した線のほうが先に折られたってことになる。ひとつづつ線を折りなおせば復元することは難しいことではなかった。
「できた」折り目を再現すると紙は、ハートの形になった。シールは裏側のちょうどいい位置に収まる。
「これが、告白なら」秋草は、不器用な恋心の結晶を矢車に返した。
「受取人は告白を再現できなかった。ハート型にした上で正方形に折り直して捨てるなんてことはしないだろ。でも一回シールは剥がしたから受け取ってる。
だから、告白は成功しなかったけど、振られてもいないってところじゃないかな」
「この場合の不幸は、ラブレターが捨てられていることだ。えーと、だからこの場合誰も傷つかないようにするには、このまま」
このとき、秋草は急に自分の答えを思い出した。秋草は、ラブレターを拾ったという文車に確かに言った。『空っぽだったとしても、中身は受け取られた後である可能性が残っている』と。
「わかりました。違いますよこの子、」自信たっぷりに、矢車は秋草の言葉を遮った。「この子」
「折り直せなかったとしても、心は受け取られた後である可能性が残っています」
FIN