01『勘違いから』
んん――ふあ、あっ?! 寝落ちしてしまった!! 目覚ましかけてないのに! 今って何時、遅刻してないよね!? スマホはどこだ、手探りしたが何も手に掴まらない。枕元にないのかな、面倒だけど起きて探すか。
諦めて手を止めると、ふいに何か暖かいものがその上に重なる。うあっ、なに、何か手に落ちた? 包まれた? 手を覆うサイズに柔らかい肌触りの何か。布団が顔を覆っているからそれが何なのかは見えない。確認しようと右手で布団を捲り、何かが乗せられた左手は動かず、上半身だけそっと起こす。
「もっと寝てていいよ。どこか痛いところはない?」
「……へっ?」
左手を見る暇もなく、突然聞こえてきた声に驚いて、視線を上に移す。寝ぼけて幻覚でも見ているのか。
麗しい赤紫の顎まで両側に整然と下がった前髪に、首に下がる後ろ髪は上に一つにまとめて束ねており、神秘的で清らかなライム色の瞳に優しい目付き。細長い卵型の顔には、鼻筋が通って高い鼻とふっくら唇が並んでおり、どこを見ても言うことなし、完膚で美しさの極み。伸びた裾の裏地が真朱の濃い赤紫の袖のないコートに、黒シャツにウエスタンボウタイを結んだアイドル風のおしゃれな服装を伊達に着こなす、すらりとしたスタイル。
私がハマっている乙女ゲーム、【レマニピュラド】の攻略対象人物の一人、レニオーブ・クゼルではないか‼⁉
え、えっ、すごい、目と耳を疑うほどの美貌と美声。これが生のレニオーブ? 待って、今私の心配をしてくれたよね? そ、それに、手! 重なっているの、彼の手なんだけどー‼⁉ 繋いでくれてるの? どうして⁇⁈
彼はプロローグまで見て最も心が惹かれ、推しというものだと感じている、ディシェル・ジェニアの唯一の友達だ。推しを攻略した余韻に浸かっている真っ最中で、まだ他の人物を攻略していない私にとっては、推しの親友という印象だ。
そんな彼が目の前に現れたことは攻略しろという神の啓示? 今すぐ攻略……ってゲーム機もないし、実在しているのにどうやって? 彼が実在している時点でおかしいよね!?
ベッドに、パーティションの後ろには薬瓶などが入ったガラスキャビネットがいるし、構造から見るにここは学校の保健室のようだ。レニオーブはベッドサイドの椅子に座って私が起き上がるのを待っていたのか。看病してくれたのか? 私の看病を、レニオーブが? ……これは、夢なのか。
「大丈夫? もしかしてまだ完全に意識が戻ったわけじゃないのかな。じゃあゆっくり休ませてあげないと」
これが明晰夢というものなのか!? 乙女ゲームの攻略人物に看病をしてもらう素晴らしい夢。それも、相手はあの気遣いが細かくて、推しとの仲を深めるのをいつも手伝ってくれるレニオーブだ。心を溶かすような甘い声色に、言葉付きは思いやりが感じられ、柔らかくて暖い。私がヒロインだとしても、ここまで丁寧に扱われ、暖かい目指しで見つめられるなんて、都合がいい!
「休まなくてもおかげさまで元気、どこも痛くない! 心配してくれてありがとう。あなたの気持ちはすごく伝わったよ。あなたに心配してもらえるなんて幸せだな」
「恋人が倒れたんだから、心配せずにはいられないよ。そう思ってくれるのはうれしいけどね。意識も戻って、怪我もなくてよかった」
ちょ、ちょっと待って、恋人って私のこと?? あなたが私の彼氏ってこと⁇⁈ マジで? 私の彼氏になってくれるの? いいの? いいわけあるか、あのレニオーブなんだよ!?
完全無欠で私とは正反対、人望が厚くて学校の人気者だ。このゲームの登場人物は皆人格者だが、彼は桁違いだ。こんな無茶振りも通してくれると、心の片隅で思っていたのかもね。
私の都合で嫌な役を押し付けてごめんなさい! もう責任を取って幸せにするしか……! 早まるな、私。きゃ、キャビネットの上に掛け時計があるね~! 十二時二十分、か。昼休みは十二時半からだよね。
「今って授業中? 授業中なのに私の看病をしてくれたんだね。どれくらい待った? 何があったのかさっぱり覚えてないけど、私のことはほっておいてもよかったのに、迷惑掛けちゃてごめんね」
「えっ? 違う、違う。さっきまで実習テストをやってたけど、それも覚えてない? オレのテストはさっき終えて戻って来たよ。本音をいうとキミを置いていきたくなかったけどね。今日はキミが最初の番だったでしょ? だからか緊張してるようにみえて話しかけてみたけど、何だか上の空で返事をしてくれなかった。様子がおかしいと思ったら、キミが魔法を使った瞬間、爆発が起きてキミが倒れたんだ。先生が意識を失っただけだと言うから、ひとまずオレがここまでおぶって来た」
「お、おぶってくれたの? ありがとう! 私は何かに気でも取られていたのかな。それより怪我人はいない?! 私のせいで傷ついた人がいないでほしいけど」
「キミが怪我するんじゃないかと、気を揉んだ人ならいるよ」
「うん??」
「オレ、あの時何もできなくてさ。キミの魔力制御を補助するのが役目なのに、爆発を防ぐのも爆発からキミを守るのもできなかった。そんな自分が悔しくて、キミの意識がなかなか戻らなくて、ずっと胸が苦しかった。……ごめん、こんなこと言うつもりじゃなかったのに、オレどうかしてたみたい。本当にごめん、キミが倒れてしまったことも。謝ってどうにかなるわけじゃないけど、謝らせて」
震える声から彼が今どんな感情を抱いているのか痛いほど伝わってくる。私はヒロイン、彼にとってとても大切な存在だ。なのにできることが何もなくて、自分は無力だと嘆いていたんだ。私の目覚めを待ちながら、ひたすら。心が張り裂けそうだ。彼が抱えている心の重荷を包むように、私の手を握っている彼の手を私から両手で握り締め返す。
『この事故はあなたの責任じゃない、それに私は無事だからそう心病むことはない』なんて言葉は彼をもっと気遣わせるだけだ。今後同じことが起きたら、彼はまた自分を責めることになる。
「あなたが謝ることはない、私はレニオーブくんに感謝してるんだ。あなたが思う以上にあなたは多くのものを私に与えてくれた。今私に向けている感情だってそう。私のために傷つき、悲しんでくれた。あなたが隣にいてくれて心強くて、力をもらっている。私にとってあなたは必要不可欠な存在なんだ。あなたが私にかけてくれた全てを無駄にしないように、魔力のコントロールがうまくなって、こんなこと起きないようにするから、これからも私に力を貸してくれる?」
「オレが必要不可欠……オレはもちろんキミのためならいくらでも力を貸すよ、ううん、キミの力になりたいの方が正しいか。キミがオレに与えたことと比べたら、オレは大したことはしていない。キミはいつもオレのキモチを誰よりも重んじ、元気づけ、後ろ向きにならないようにしてくれるから。キミと進む道はオレが必ず切り開くよ。キミがオレを選んだこと、一生後悔させない。約束するよ」
彼の満面の笑顔に引かれ、私も頬を緩めてうんと答えた。一生を誓うなんて、プロポーズをもらったようで感情が込み上げる。覚めたらなくなる約束なのに、特別な意味を持たせたくなる。本当に一生になれたら、この夢が終わらなかったら、私はどんな人生を過ごすことになるんだろうか。
彼の私への思いは仮のもの、私に向けられたものではない。レニオーブは私を知らないし、私も彼のことをよく知らない。関係を続けることは嘘を言い続けることになる。……全部嘘だとしても、今の彼の笑顔だけは私に向けられたものだと信じたいな。
「そろそろ実習室に戻らないと」
《♬♬♬♬♬♬♬♬》
「タイミングいいな。お昼なんだし食堂に行こっか」
彼は握っている方の手で私を起こしてから手を放した。彼の温もりから離れるのをどこか心惜しく感じてしまう。
サイドの壁に張り付いた鏡には自分の姿が映っている。セミロングの深紫の、一束の髪の毛は脳天から跳ね出ており、前髪は両側に流し、左側に黄緑のリボンバレッタをつけている。攻略人物によって色が変わるこのリボンは、フリルが先に付いたフラットカラーのカーディガンの両腰とその下にあるブラウスにも、似たようなものが結ばれている。
【レマニピュラド】のヒロイン、ミネシャ・ルメンの髪型に、服装に、顔立ちは……私から変わっていない? 瞳の色は薄紫なのか淡いピンクなのか分からない微妙な色だが。この拵えてない顔にフリルスカートとリボンなんて似合わないのに、ゲームで顔が隠れていたからこうなってしまったのかな。
そういえば爆発で気絶することなんて、ゲームではなかったよね。【レマニピュラド】は魔力に依存する世界。大多数が同じ魔力を持って生まれ、同じ魔法を学び日常生活や仕事で活かしている。彼らが使うのは『一般魔法』、物体に干渉する魔法だ。原理は波長の流れを制御すること。『操作魔法』と『変化魔法』があり、物を少しの間、空中に数センチ浮かせたり、自由自在に動かせたり、状態を変えたりすることができる。ごく少数の特殊な人間、魔力の高い人のみが他の魔法を使える。生物に干渉したり、無から有を創造したりする魔法、『上位魔法』と呼ばれるものだ。
『上位魔法』を身につけることを卒業条件とし、国籍を問わず人材を集めている場所がゲームの舞台、【カバナス魔法研究学校】。数多くある分校の中でここが本校で、一つのクラスに二十一人ずつ、黄道十二星座をモチーフとした名の十二個のクラスが存在する四年制超一流名門校。後期中等教育から行われるため、中等学校から編入という形で入学する。
研究所や企業などの投資を得ており、三年からは専攻別に分かれて専攻教授に授業を受け、定期的に現場実習も行く。卒業すれば学士号を授与され、スポンサー企業の関係会社に就職するか、修士号や博士号を取得してからスポンサーの研究所に入ることが大半だ。
生徒は全員それぞれ師団というものに入り、魔法の研究などをする。研究成果が出れば毎月中旬に開かれる学会で発表もする。ここで受けた評価によって師団順位が決まり、ヒロインが所属している『ミヤビ師団』は毎回1位か2位だ。
攻略人物の四人はそこの団員で、その中で誰に魔力制御補助担当を任せ、誰と一緒にそれまで誰も突き止めなかった高い魔力の制御法を研究するかによってルートが別れる。
ヒロインは入試の魔力量を測るテストで爆発を起こし、測定装置を壊してしまったことがある。潜在魔力を引き出せることは高く評価されたものの、爆発を起こしてしまうのはあまりにも危険だと判断され、書類申請を出した師団はどこも彼女を受け入れようとしなかった。
団長会議にそのことが取り上げられ、ミヤビの団長はヒロインは自分の師団に引き入れて制御の研究をさせ、爆発を起こさないよう監視者もつけると言い出した。師団の皆はまた団長が面倒事を持ち込んだという反応で、補助担当を選んだ時、推しは仕方なさそうに引き受けた。
ヒロインに対する他の皆の態度が渋かった中、レニオーブだけは歓迎してくれたのを覚えている。彼のそういうところが私にはあまりにも眩しすぎて、彼と付き合うのはハードルが高いと感じていた。まさかこういう形で彼の恋人としての体験ができるとはね。そしてこれが私の人生最高の経験になるだろう。
確か二年生末のエンディング頃に、ヒロインは自分が完全に魔力をコントロールできるようになったのを気づくんだよね。だけど、それまでに行った制御研究との連関性は見つからず、原因は不明。一緒に過ごした時間の中の成長が土台になったのではないかと言って、原因を明らかにする研究を続けることに決め、シリーズの第1弾が終わった。
めでたく続編の発売が決まっているから、そこで制御に必要なものが何だったのか出てくるだろう。『愛』の力とかだったら素敵だな。私には程遠い話だけど。
保健室を出て廊下を歩き出す。隣を歩く彼をちらっと見上げた。楽しそうな顔だな。そんなに昼食が楽しみなのかな。私も誰かと学食を食べたことはないし、一緒なのがレニオーブで本当に嬉しい。彼は現実の人と違って言い散らしたり、相手を傷つける言葉を言ったりしないように気をつけるきめ細かな人だから、一緒にいると気が楽になる。
「ふふ、ご飯を食べるのが楽しみなのは久しぶりだな」
「久しぶり?」
あぅ、思わず口に出してしまった。彼の中で私はいつも彼と食事をしているんだろうから、久しぶりは今までは楽しくなかったことになる。
「そうじゃなかったね。レニオーブくんといるといつも楽しい、出会った時からずっとね」
気が緩んで口を衝いて出した。出会ってから一時間も経ってないのに。いくら私にとって事実だとしてもふてぶてしすぎた。
「そっか、オレと一緒だね」
わぁ……なんて眩しい笑顔なんだろう。彼の心みたいに純白な笑みだ。彼は笑みをたたえてからすぐ前を向いてしまったが、その笑顔は私の脳裏に刻まれて離れない。彼はさらっと人を喜ばせてくれる。レニオーブが一緒にいて楽しい対象が私ではないのを知っているのにもどきっとしてしまった。