佐藤と佐藤
とある大型スーツ専門店に新人がふたり入った。
佐藤と佐藤である。双方、男。偶然にも同じ名字。しかし血縁関係はない。まったくの赤の他人である。
別にない話ではない。しかし当然、紛らわしいので下の名前もしくはフルネームで呼ばれるわけだが、彼らは他の社員の心の中で密かにこう呼ばれていた。
『スーツが似合う佐藤』と『スーツが似合わない佐藤』である。
スーツが似合う佐藤は高身長、モデルのような着こなし、はにかむ笑顔。
一方、スーツが似合わない佐藤はよく就職できたな、いや、なぜ採用された? と、思われる始末。が、販売成績はスーツが似合わない佐藤の方が良い。
それはなぜか。新入社員は接客を任されるのだが、スーツが似合う佐藤は客の反応こそいいものの、いまいち購入に至らない。その最大の理由はスーツが似合いすぎているためである。
どうせ俺が買ったってこの人みたいには……という心理である。
反対にスーツが似合わない佐藤に接客されれば、まあこいつよりは似合う、いや、似合ってみせる! と客が大いに自信を持つのである。
ゆえにスーツが似合う佐藤はなぜだ。真面目にやっているのになぜなんだ……と頭を悩ませ、スーツが似合わない佐藤は調子づいた。
二人が正反対なのはその見た目だけではなく、性格も終業後の行動も全く違う。
スーツが似合い販売成績が悪く頭を悩ませる佐藤は終業後、真っすぐジムに向かい体を鍛え、スーツが似合う自分を維持しようと努める。
一方で、スーツが似合わず販売成績が良く調子に乗っている佐藤はキャバクラ通い。
因みに、恋愛対象も二人はまったく別である。
スーツが似合い販売成績が悪く頭を悩ませるジム通いの佐藤はジムで男を物色し、スーツが似合わず販売成績が良く調子乗りでキャバクラ通いの佐藤は巨乳の女が好き。
そしてある夜、名字が同じだけで正反対の二人の佐藤は偶然にも同じ夜に事件を起こす。
スーツが似合い販売成績が悪く頭を悩ませるジム通い男好きの佐藤は、ジムで知り合った男を相手宅にて押し倒そうとし、失敗。絶され涙ながらに敗走。ピカピカに磨かれた革靴も履かず、玄関から飛び出した。
スーツが似合わず販売成績が良く調子乗りでキャバクラ通い巨乳の女が好きな佐藤は、店内にてキャバ嬢の服を剥ぎ取り乳を揉みしだいた。
当然、摘まみ出され、毒づきながら夜の街を石を蹴りながら歩いた。
双方、酒に酔ってのことであった。
が、これはまだ事件とは呼べない。ここからである。
スーツが似合い販売成績が悪く頭を悩ませるジム通い男好きで酒に酔って好きな男を押し倒そうとし失敗し涙を流す佐藤は、そのふらついた足取りのせいで通行人と肩がぶつかってしまった。
すぐさま謝ったのだが、その仕草や声色は先程の名残であろうどこか甘えた調子。「あらーん、ごめんなさいね」といった風に。それを受け、相手は笑い、そして罵った。
このホモ野郎と。
事実は事実。だが、傷ついた彼の心はそれを受け流せなかった。
何が悪い。何が悪い。ホモ野郎で何が悪いんだ。ちょうど、その罵り言葉が好いていたあの男に先程言われたものと同じだったことも無関係ではないだろう。やりきれなさは発散する場を求める怒りとなり、そして彼は本能に従った。男が好きということではない。獣、闘争本能を解放したのである。
殴り、殴り、殴り、止めにかかった他の者も殴った。
一方、その頃。スーツが似合わず販売成績が良く調子乗りでキャバクラ通い巨乳の女が好きで酒に酔ってお気に入りのキャバ嬢の乳を揉みしだき店を追い出された佐藤もまた、本能に従った。
暴力ではない。いや、暴力ではあるが獣、生殖本能を解放したのである。その手に先程のキャバ嬢の乳の感触が香りまでも残り、ムラムラしたためである。
通行人の女に手当たり次第、抱きつきにかかった。
当然、警察を呼ばれ、二人は呆気なく逮捕。
後日、それを知った上司はどうしたものかと思案に暮れる。
店に呼び出し、経緯、反省の弁を聞いた。二人とも、落ち込んだ様子。
上司は二人の肩書を紙に書きだし、見比べる。どちらの佐藤を、あるいは両方をクビにするか否か、それを考えるために。
とりあえずは処分保留ということで少しの間、休みを取らせた。斜陽となっているスーツ業界。販売成績は悪いが見た目はいい佐藤と見た目は悪いが販売成績がいい佐藤。どちらの新人も貴重である。
そんな二人の佐藤はある夜、ばったりと出くわす。「よう」と「おお」と短い挨拶。
どちらもラフな格好であったが一方の佐藤はスポーツウェア。ジョギングである。
もう一方の佐藤はスウェットに手には缶ビール。そのもう片方の手はズボンの中。股間を掻いているようである。
その姿に一方の佐藤がカッとなり言った。
なんだそれは、本当に反省しているのか? 我々はクビか否かの瀬戸際にいるのだぞ。今は休みではない。自分を顧みる時間だ。心を入れ替え研鑽に励み、そして復帰したらまず、この期間中何をしたか、そしてこれからどうしていくか、どのような人間になり、会社とこの社会にどう役立つかを――
と、熱弁振るうも、一方の佐藤には響かず。耳の穴に指をグリグリグリ。大きな欠伸。さらに頭に来た佐藤は胸ぐらに掴みかかる。
よせよ、服が伸びるだろ! ともう一方の佐藤も応戦。
するとどうなったか。場所が悪かった。
橋の上。揉み合った二人は真っ逆さまに落ちた。
佐藤が、佐藤が流されていく……。
それを帰宅途中、偶然目撃した上司は、大慌てでポケットからスマートフォンを取り出し、電話を掛ける。
もしもし消防ですか? はいどうなされました?
「ええと、うちの、うちの、あの、スーツが似合い販売成績が悪く頭を悩ませるジム通い男好きで酒に酔って好きな男を押し倒そうとし失敗し涙を流し通行人の男に手当たり次第暴力を振るい逮捕された佐藤とスーツが似合わず販売成績が良く調子乗りでキャバクラ通い巨乳の女が好きで酒に酔ってお気に入りのキャバ嬢の乳を揉みしだき店を追い出され通行人の女に手当たり次第暴行し逮捕された佐藤が川で溺りぇ!」
動揺するあまり、紙に書いた二人の肩書を口走り、おまけに舌を噛んだ上司。
嗚呼、じゅげむじゅげむ。なむなむ。
二人の佐藤は闇夜に染まった川に呑まれ、そのまま見えなくなった。
どちらの佐藤がこの事故の原因となったのかは目撃者がおらず、懸命な捜索も虚しく遺体も見つからなかったため不明である。