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よろしくお願いいたします。
2日後、動きがあった。先日の非礼のお詫びに、アシェル家を訪問したいというオルテンシアからの手紙が届いたのだ。希望の日は3日後。クラベルとガロファーノはアシェル伯爵とも相談して、その日お待ちしていると返事を出した。
当日、公爵令嬢をお迎えするための準備に、使用人たちは忙しかった。いつもの持ち場を離れてしなければならない業務もあり、誰も家の中に忍び込んだ者がいることに気づかなかった。
オルテンシアと約束した時間が近づいた時、近衛の騎士が馬でアシェル家に駆け込んできた。
「アシェル伯爵に至急取り次ぎを」
近衛が差し出した手紙には、王家の封蝋がされている。アシェル伯爵は急いで手紙を読むと、クラベルとガロファーノを呼んだ。
「国王陛下に何かあったようだ。緊急の招集なので、王宮に行ってくる。ガロ、クラベルのことは頼んだぞ」
「はい。お気をつけて」
アシェル伯爵は挨拶できないお詫びを手紙にしたためて家令に預け、ルーチェ公爵令嬢に手渡すよう頼んだ。そして慌ただしく馬車に乗って王宮へ向かった。
「何事もないとよいのだけれど」
ガロファーノはぎゅっとクラベルの手を握った。
「大丈夫だよ、僕がいる」
「ええ」
まもなくルーチェ公爵令嬢が到着するという先触れが到着し、クラベルとガロファーノはホールでオルテンシアを待った。オルテンシアは、夜会にでも行くのかというほど昼の訪問にふさわしくない服装で現れた。
「ごきげんよう。謝罪に訪れたとは言え、公爵令嬢の私を当主が出迎えないなんて失礼な家ね。これだから下位貴族は嫌になるわ」
謝る気、ないんじゃないの?
クラベルとガロファーノはお互いの目を見て、同じことを考えていたことを確認した。
「公爵邸とは比べものにならない小屋でございますが、できる限りのおもてなしはさせていただきます。また、当主は急遽王宮に呼ばれまして、ご挨拶が叶わないことを嘆いておりました。こちらに、お詫びの書状をお預かりしております」
家令が差し出した手紙を読むと、ふん、と鼻を鳴らして、オルテンシアは手紙をその場に捨てた。
「邸の中は狭苦しいわ。庭にお茶を用意しなさい」
使用人たちが頑張って準備してくれたのに……
クラベルは唇を噛んだ。それに気づいたのだろう、ガロファーノは駄目だよ、と小さくささやく。その2人の様子が、オルテンシアには気に入らない。
「全く、2人で客の前でイチャイチャするなんて……」
クラベルは黙ってオルテンシアを庭に誘導した。アシェル家の庭園は、オフホワイトの中輪から大輪のバラで埋め尽くされている。香りも強く、アシェル家の香水や石鹸は自宅のバラの花びらから精製したバラの精油を使っている。もっとも、花から香る香りだけで華やかなので、日常生活の中で香水を使うことはない。常に身に纏っているのと同じなのだ。
「白だけなの? ちょっとさみしくない?」
「オフホワイトのバラの花言葉は、『和み』だと言われます。我が家では、バラに癒やしを求めているので、この色がいいのです」
「ケチ臭いわね」
「……」
あ、そちらには行かないでほしい。「ヴェレッド王のバラ」が植えられた、家族だけのバラ園がその奥にある。
「ここから先はプライベート庭園となります。品種改良なども行っておりますので、どうぞお戻りください」
クラベルが思い切ってオルテンシアに声を掛けた、その時だった。奥の庭園から、庭師の叫び声があがった。クラベルとガロファーノは、急いで奥の庭園に向かった。この時期、庭園にはアシェル家オリジナルのバラ「クリームシフォン」が一面に咲き誇っているはずである。それなのに、花がない。いや、ないのではない。地面が白と緑で覆われている。
「お、お嬢様、ガロ坊ちゃん、バラをめちゃくちゃにした奴がいました!」
腰が抜けて動けなくなった庭師が、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。
「器具庫から物音がしたんで、俺、見に来たんです。そしたらあいつ、器具庫から大ばさみを出して、バラをめちゃくちゃに切りまくってやがった!アシェルのバラが、ああ……」
はっと奥を見ると、黒装束の男が庭から飛び出した。
「誰か、あれを!」
クラベルの叫びに、ガロファーノが飛び出した。
「ガロ!」
「捕まえてくるから待っていろ!」
ガロファーノはバラを傷付けられて、怒りに我を忘れていた。騎士数人を連れて男を追いかけた。あの男はこの先にある迷路を知らない。想定通り男は迷路に迷い込み、動けなくなったところを取り押さえられた。
「なぜバラを傷付けた!?」
「バラなんて、どうでもいい」
「どうでもいいだと? 大切に育ててきた者の気持ちが分からないのか!?」
「俺の仕事は、お前を女から引き離すこと。今頃あんたのお嬢様はどうなっているだろうな?」
にやりと嫌な笑い方をした男の言葉に、嫌な汗が背中を伝った。
「引き離すのが目的、だと?」
「ああ。早く戻らないと、知らねえぜ」
ガロファーノは騎士たちに男を牢へ入れるよう指示すると、急いで奥の庭園に戻った。先ほどの庭師が1人、他に誰もいない。
「ベルはどうした?」
「お嬢様は、例のバラも切られたのにお気づきになって、お倒れになって……ご令嬢が指示して、お嬢様を公爵家の護衛が抱え上げていましたが、申し訳ありません、俺まだ腰が立たなくて、あとの事は分からねえのです」
「ヴェレッド王のバラ」までもが傷付けられた。嫌な感じが募る。ガロファーノは邸内に戻ると、クラベルの部屋を訪ねた。
誰もいない。
応接にも、いない。
ただ、数人の使用人たちがバタバタと走り回っている。
「おい、クラベルはどこにいる?」
「存じません」
「おい、クラベルの侍女を知らないか?」
「ああ、彼女なら先ほどお嬢様に付き添って、ホールの方へ向かいました」
「なぜホールに?」
「そこまでは……申し訳ありません」
1つ分かったことがある。クラベルは誘拐された。侍女も一緒かもしれないが、そこはまだ分からない。家令をやっと見つけ、情報を確認し、確実に分かったこと。それは、オルテンシアが「こちらで介抱する」と言って公爵家の護衛騎士にクラベルを運ばせ、そのまま公爵家の馬車に乗せて行った、ということだ。
「王宮の旦那様に急ぎ知らせます」
「頼む」
ガロファーノは、あの男が、自分とクラベルを引き離すために庭のバラを傷付けたと言っていたことを思い出す。あの男は「ヴェレッド王のバラ」だと知っていたのだろうか、偶然なのか?
ガロファーノは、男の取り調べを部下に任せ、隠密に長けた部隊をルーチェ公爵家に差し向けた。追跡が得意な2人にはルーチェ公爵家の馬車の轍の跡を追うように命じた。そして捜索隊がいつでも出られるように準備させ、アシェル伯爵からの連絡を待った。
帰ってきたアシェル伯爵の顔は、怒りで赤黒くなっていた。
「すまない……守り切れなかった」
「今はとにかく、クラベルを見つけることが先だ」
「隠形を公爵邸に向かわせ、追跡部隊を出た。捜索隊も、いつでも出られる」
「お前はどうする」
「……1つだけ、僕にしかできない捜索方法があるのを思い出した」
「どうするんだ?」
「誰にも言えない。許してほしい。その代わり必ず、必ずベルを連れて帰る。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・約束しろ」
「必ず。騎士団の指揮下から、僕は一旦外れる」
アシェル伯爵は、騎士団に指示を出しに行った。ガロファーノは大きな深呼吸をして、奥の庭園の、「ヴェレッド王のバラ」の所に行った。さすがの庭師ももう立てるようになったのだろう、そこにはもう誰もいなかった。ガロファーノは、「ヴェレッド王のバラ」の、刈り取られた大枝を1本手に取った。奥の庭園は、「ヴェレッド王のバラ」か「クリームシフォン」しか植えられていない。葉の形や照り、それに色を見れば、「ヴェレッド王のバラ」と「クリームシフォン」の違いは明らかだ。ガロファーノは、周りに誰もいないことを確認した。そして、温室に入っていった。
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