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その日はお客さんの引きもはやく、十時頃には陽子だけになり端の席でさやかと楽し気に話していた。
「この間、友達とここに来る約束してたんですけど、急にこれなくなって」
「いつ頃ですか」
「二週間くらい前です」
私がいた日かなとさやかが言うと「いやお休みの日です、すっかり勘違いしていて」
はあそうなんですね。ちょっと戸惑いながらも相槌を打つ。
「へんな人に絡まれたそうでそれをレスラーに助けてもらったとか」そういって陽子は帽子の陰で少し笑った。
「あーあの時のね、花から聞いてるよ。レスラーじゃなくて柔道ね」
「あっ、じゅ、柔道でしたか、彼女もなんか舞い上がってたみたいで、すいません」
相変わらず恥ずかしそうに顔を伏せがちの陽子も、今日はお酒も回っていつもより口数が多い。
「あの、さやかさん、ちょっとお話したいんですけどいいですか」
「どうぞ、というか今してますよ」
「あっ、ではなくて、お店の後とか」
「あーーーーー、あーーーいいですよ。終電もあるのであまり時間取れないですけど」
「すいません、ありがとうございます、です」陽子は耳まで赤くなって肩も小さくまるめていた。そんな様子をさやかはまるでリスのようだなよ思ってしまった。
常連で顔なじみの陽子ならと受けたものの、さすがにどんな話か予想はつくのでその後の接客は上の空で、どうやって断ろうか、もう来てもらえないのかな、などと考えていた。
これまでにも何度か同じ状況になったことがあるのだけれども、毎回その気持ちに答えることが出来ず、その後は来店が途絶えてしまう。
しばらくして陽子がお会計をして帰ったのが閉店30分前。店の裏で待ってますといっていたのであまり待たせるわけにもいかず、絹さんに声をかけ少し早く退店させてもらえないかと聞くとあっさり了解された。
花がいない日でよかったなと思いながら着替えて店を出る。すぐ裏の駐輪場で無機質な明かりに照らされた陽子が白い息を吐きながら待っていた。
「おまたせしました」さやかが近づくと、陽子はすっと顔を上げた。
瞳はいつもよりすこし大きく開き潤みを帯び、アルコールのせいもあるのか頬の周りを中心に耳までほんのり桜色に染めていた。
暗くてよく見えないがおそらく瞳孔も開いているのだろう。これまでも同じような表情でカウンター越し女性客からに見つめられていたのと同じだ。
「すいませんお仕事終わりに」陽子はペコっと頭を下げた。
「いえいえ、ところでお話って?」
「はい、あの、失礼だったらごめんなさい、さやかさんって、女の子好きです?よね?」前置きなく、一気に切り込んできた。
さやかはやはり来たかといった顔で「まあそうですね」素直に答える。
「あの、私、女の子を好きになった事なくって、今まで。それでなんて言ったらいいか判らなくて…」そのあとに続く言葉はさやかの予想とは違っていた。
「花さんの事がずっと気になっていて、でも緊張してほとんど話せないし、だからいつもさやかさんの前に座ってて」
ん?
「花さんはこういう事って、あの、どうなんでしょうか?」
「…こういう事?」
「女の子の、好きとかって。さやかさんならその辺詳しいかなって」
頭がくらくらした。告白されると思い込んだ私が悪いのはまだ許せる。でも陽子が一気に恋敵になるとは思いもよらなかった。
とはいえ陽子は大切なお客様だと自分を抑え、一言ずつゆっくりと、声に出した。
「私も花の事好きなんだよね。だからごめんなさい、協力とか相談には乗れないです」さやかは初めて人前で自分の気持ちを吐き出した。その瞬間、今までたまっていた心の中のもやもやしたものが一気に吹き出てきた。
「花が最初、陽子さんと同じくお客で来てて、最初見た時からなんかキラキラしてるなって思って、すぐに好きになって、でも花は違うから言えなくて、そしたらここで働きだして、いつもそばにいれて嬉しくて、だからごめんなさい」
陽子は責めるでもなく、落ち込むでもなく、ただ真摯にさやかの言葉を聞いていた。 陽子をじっと見つめ「話してくれてありがとうございます」
辛いですよね、そう続けた。
さやかは泣いていた。話しながら涙が止まらなくなっていた。花の事が好きだと口にして色々な感情が溢れてしまったようだ。
「でも最近はこのままでいいかなと思っているんで、この気持ち伝えたら壊れちゃいそうで」
「…二人で花さんのファンになりますか?」
陽子はそう言って一歩近づき、さやかの肩をポンとたたいた。
「ファン?応援するっていう事?」肩で息をするさやかは呼吸を整えて陽子の顔を見上げた。
めったに見えない陽子の顔が見えた。いつものキャップを取って目の前30センチのところに顔があった。
少し切なく、優しく、友達のような、庇護者のような、小鹿のような、まるで映画のような美しくも可愛らしい、潤んだ瞳はまつげを濡らしていた。
さやかは陽子に対して初めてドキッとした。
それは愛だ恋だのドキでは無い。驚きのドキだ、
「あれ、陽子さん、陽子さんって…」
ふっと顔が緩み「今ですか。さやかさん私の事をちゃんと見てなかったんですね」笑った。
さやかの感情は無造作に選んだリキュールを20種類混ぜたように心の中がシェイクされて溢れてしまっていた。
「…深倉、優衣、さん、ですか?」
遅いです。そう言って笑うその顔は、間違いなく女優のそれだった。
「あの、なんだかすいません、今まで気づかなくて」
「だから良かったんです。さやかさんは普通に接してくれていたし、絹さんも花さんも黙って対応してくれていてうれしかったんですよ」
「絹さんは知ってたんだ、そうか、それもそうか。え、花も?」
こくんと頷くしぐさもテレビで見たままだった。
そろそろ終電の時間ですよねと気遣われて、ふっと我に返ったさやかは
「ありがとうございます、またよろしくおねがいします」やや場違いな返答をして陽子に頭を下げた。
二人で通りまで出ると、陽子は「ではここで。また来てもいいですか」と言った。
「もちろんです」
じゃあまた来ますねと言って陽子、いや深倉優衣は通りに泊まっている黒い車に近づいた。振り返りさやかに会釈をして後部座席に乗り込み車は走っていった。
寒さでぶるっと震え放心状態から戻ったさやかは、その足で駅に向かった。
いつもより早く家を出たさやかは、絹の好物のきびだんごを東京駅のエキチカで買って店に向かった。
「おはようございます」
「おはよう、さやかちゃん今日は早いのね」
「少しお茶しませんか、少し絹さんと話をしたかったので」手元の紙袋を胸の前まで持ち上げ、さやかは“はにかんだ”。
目を細めてほほ笑む絹は、そそくさとカウンターの中へ入り、お茶を入れだした。BARとは言え“タイム”には絹の好みで玉露も用意がある。
玉露ときびだんごを前に、二人はカウンターに並んで座っっていた。
「おいしそう、久々なのよきびだんご」絹は一本手に取り頬張った。
さやかは玉露をほんの少し口に含み、清涼感を味わってから話し出した。
「昨日、あの後陽子さんと話したんですけど」
「はい」
「陽子さん、深倉優衣さんで、しかも花の事が好きで」
まだ頭が整理できていないのか時系列が乱れがちだが、さやかは昨日の出来事をほぼすべて話した。
「で、さやかちゃんはどうしたいのかな」
「…それより、絹さんは知ってたんですか?」
「少し花ちゃんにも残して置かないとね」そう言いながら、一本食べきって次のきびだんごに手を出し絹は言った。本当に好きらしい。
「陽子さんの事はもちろん知っていたわよ。だってあんな有名な女優さんが一人で来てたら気になるじゃない」
気にならなかったさやかは少し首をすくめた。
「この仕事してると、そういうのは意外と見えてくるのよ、目線がずっと花ちゃんを追ってるし」
さやかも無意識に花を見ていたのだろう、だから同時に見ている陽子の視線に気づかなかったのか。となると、絹にはさやかの視線も見られていたと言うことになり…。
心を読まれたようなタイミングで「さやかちゃんはもっと判り易かったけどね」口にだんごを入れて微笑んだ。
さやかは耳が紅くなって熱くなるのがわかったが、なんだかそれほど嫌ではない。自分の気持ちを知ってほしかったのだろう。
「花は知ってるんですか?」
お茶お一口飲んで絹は問い返した。
「どっちを?」
「…両方」
「陽子さんが女優だってことはもちろん知ってるけど、逆にさやかちゃんが知らなかった事が驚きだったわ」微笑んでお茶を一口。
「で、もうひとつのほうは?」
「それはどうだろう、花ちゃんは気が付いていても態度には出さないだろうし」
そちょうどその時、花が店に飛び込んできた。なにか慌てた様子だったのでどうしたのかとさやかが聞くと、
「これ見てくださいよ、陽子さん、ハリウッドに行っちゃうんですって」
そういってスマホの画面を二人に見せてきた。
その大手ニュースサイトには
『深倉優衣アメリカ渡米、ついに海外進出!ディカプリオと共演』
「すごい、ってか知ってたんだねやっぱり」さやかの言葉は聞こえていないようで、花は、「いやーすごいなー、なんかうれしくなっちゃいますね」
「日本公開になったら、レオ様とこのお店来るかな?」
随分とミーハーな花を見て安心すると
「きび団子食べる?」声をかけるさやか。
「今、お茶入れるわね」と絹。
「はい、着替えてきます」と元気に返事をしてバックルームに消える花。
通りはシャンパンカラーのイルミネーションが輝き出し、またいつもの日常が始まる。
~終わり~