5
花とさやかは、それぞれ自宅へ向かう地下鉄に乗り込んだ。
東京の終電は仕事帰りの人とギリギリまで呑んでいた人がいり交り通勤ラッシュ並みの混雑になることもあるが、今日は座れないまでもゆったり立っていられる。花は左手で吊革に掴まりながら右手でスマホを操作していた。
『さやかちゃんお疲れさま』
『花ちゃんもおつかれー』すぐに返信がきた。続けて『今度行くお芝居だけどさ、ミュージカルって平気かな?』
『観たことないかも』と花。
『有名な劇団とかじゃないんだけど、好きな役者さんが今度出るんでそれ行こうかなと思ってるんだけど』
『かっこいい人?』
『いや、女の子だよw』
『歌は超上手いんだよね、前にテレビのカラオケの番組にも出てて、それで知ったんだけど。どう?』
初めての舞台がミュージカルと聞いてうれしくなった花は、
『ぜひぜひ。猫とかライオンとか魔法使いとか出てきます?』
『いや、もっと小さいから。でも詳しいじゃん。内容は重めらしいんだよね』
『行きます。それが良いです』
『りょ』
『駅着いたからまたね』花はそう打って開いた扉に向かいホームに降り立った。住宅街の終電ホームはまばらに乗客が降車していた。
駅から家までは自転車で5分、花はミュージカルのタイトル聞き忘れたと思いながら白い息を吐き家に向かった。
『タイトルはキッドヴィクトリーね。浅草でやるからね』スマホにはさやかからそう届いていたが、自転車の振動で気付かずそのLINEを読んだのは深夜1時過ぎてからだった。
ベッドの上で花はさやかに返信しようかと思ったが、今日の疲れがどっと出てきてそのまま眠りについてしまった。
同じ頃さやかはお風呂場にスマホを持ち込み、柑橘系の入浴剤を入れた湯船に浸かり、YouTubeで作業用BGMを流しながらスマホを見つめていた。
翌週の木曜日、仕事が休みの花は一人で冬物のコートなどを探しに銀座に出かけた。とは言っても高級ブティックが並ぶみゆき通りなどは時折眺めるだけで、目的はファストファッションブランドのお店だ。
丸の内線を銀座で降り、地上に出ると、年末はいつも行列が出来る宝くじ売り場の前を通り、丸の内TOEI方面に向かう。その周辺には花の給料でも買える洋服が並ぶお店が多いので、いつもここに来る。
わざわざ銀座まで来なくてもとお客さんにいわれた事もあるが、職場までの定期券で来れるのと、なにより銀座で買い物している自分が少し大人になったようで好きなので、家近の量販店よりも好んで銀座まできてしまう。
その日もオフホワイトのハイネックのニットと、紺色のシルエットがゆったり見えるパンツを買った。
これはミュージカルを観に行くときに来ていこうと思い選んだ服だ。さやかちゃんはどんな服装で行くのかなと考えながら選ぶと、自然に洋服はかわいい物が多くなる。さやかのボーイッシュなファッションとの取り合わせが丁度いい気がしている。
「えーー」金曜日の仕事は驚きから始まった。
めずらしく花もさやかも四時過ぎには出勤して三人で開店準備をしていたので早々に終わり、夕方には三人でコーヒーを飲みながらカウンターでくつろいでいた。そこですっかり忘れていた先週の緑男の話を花はさやかに聞いてみた所だった。
「だから心配ないっていったでしょ」絹は笑顔で言った。
「知らなかったな。そんなバンドがあって、しかもさやかちゃんがガチ推ししてるなんて」
「学生の頃、夏休みにノルウェーに2週間くらい旅行に行っててね、その時にユースホステルに泊まってたんだけど、地元の旅行客と仲良くなってライブに誘われたんだよね。後から聞いたら、その人たちはそのGBってバンドの追っかけだったらしくて」
「そのGBのイメージカラーが緑で、ファンはみんなパステルグリーンのファッションで観に行くのよ。私は原色グリーンのジャケットしかなかったから結構浮いてたんだわ」
照れくさそうにはなすさやかに花は質問を続けた。
「どんなバンドなの」
「ロックではあるんだけど、日本のとは違ったな。ゆったり目のパンク、かな?」
へー。想像がつかない表現にうまい返しができない花。
「そのバンドが来日して日本で初ツアーするって聞いて当時のファンとSNSで繋がって、久々に再会して観光案内がてら観に行ってたんだ」当然グリーンの服でねと言ったさやかは少し恥ずかしそうなそぶりも見せたが、それまで知らなかった新たな一面を見れて花は嬉しそうにほほ笑んだ。
「その時の写真ないの?見たい」
さやかはスマホを取り出し、巨大なオブジェのような東京国際フォーラムの前で写真に納まる緑の軍団を見せた。後ろにいる人たちも全体的に緑色なので一瞬見失ったが、中央でさやかはミントグリーンのキャップとパーカーとスニーカー、パンツだけブルージーンズを履いてピースしていた。
「なんでジーンズ?っていうか、みんな女子なんだね」花が言うと
「めったにグリーンのパンツって着ないじゃない、だから買わなかったの」
「それでも十分目立つ集団だけどね」花は笑った。
そのライブの前にお店に寄ったのよねと絹が言うとさやかは
「丁度絹さんいる時間かなと思って。あの時の絹さん、目を見開いてたよね」
「だって普段のさやかちゃんと別人すぎて」花につられ絹も笑った。
バンドの写真を見たいとせがむ花に、さやかが公式SNSのトップページを見せると
「予想外、女性バンドなんだ。かわいいね」
でしょ、そういって学生のように花の横でスマホの画像を次々と見せているさやか。その様子は女子特有の距離感で肩を寄せ合い楽しそうだった。
絹も見せてといって近づき、三人で開店前のひと時を楽しく過ごした。