十二章 練習開始
「恭一郎!」
「あいよ」
桃の声と共に放たれた白球を、恭一郎が左手にはめたグラブでキャッチする。
「んじゃ、雪華! パス!」
「オーライ」
今度は恭一郎から投げられたボールを、やはり左手にはめたグラブで雪華がキャッチ。
「じゃあ、次ははすのん!」
「は、はい!」
同様に雪華からボールが投げられ、そのボールをガチガチとした固い動きで、なんとか受け止める蓮乃。彼女だけ、右手にファーストミットをはめていた。
「……キャッチボール?」
この風景を見た克弥は、拍子抜けしたと言わんばかりの表情で立ち尽くしてしまう。
「む? 克弥! 帰ってたのか!」
そんな克弥に気付いた桃が、声をかけてくる。
「あぁ、今さっきな……で、練習してんだよな、これ? ウォーミングアップとかじゃなくて」
「勿論だとも! 今日はひたすらキャッチボールだ!」
無い胸を張って、自信満々に答える桃。
「……なんつーかさ、こんなんでいいのか? もっとノックとかで実戦的な練習をしたほうがいいんじゃないか? 四日しかないんだし」
鬼のようなしごきをも覚悟していた克弥にとって、キャッチボールという練習はあまりに緩い練習に思えたので、桃に意見を出してみる。
実際、今日を入れて四日しか練習期間はない。それに、練習できる時間帯は放課後のみだ。まるで時間が足りていないこの状況下で、キャッチボールしかしないというのは些か悠長すぎるようにも思える。
しかし、桃は、
「キャッチボールにはフィールディング、つまり守備をする際に必要な基本動作が盛り込まれている。基本を覚えずして、何が実戦か!」
と、克弥の意見を一喝して、一蹴した。
「それに道具に慣れてもらう必要もある。だからこそ、今日一日はキャッチボール三昧なのだ」
さらに付け加えられた理由に、克弥はある疑問を抱く。
「そういや、お前らの道具は何で揃ってんだ?」
克弥以外は野球道具など持っていなかったはずなのに、恭一郎も雪華も、果ては運動音痴で野球には縁のないはずの蓮乃でさえ、グラブを持っている。しかも、蓮乃の物はグラブではなく、一塁手が使うファーストミットだ。偶然、持っていたとは考えにくい。
おまけに靴は新品のスパイクを全員着用している。安物だとしても、それなりの値段になるものなのに、いったい、何が起これば、こんなに簡単に手に入るのだろうか。
「ピーチちゃんが用意してくれてたのよ」
「桃が? いやまぁ、道具の問題を解決できる、って言ったのはこいつなんだから、そりゃこいつが何かしたのは間違いないだろうが、何をすれば、お前らの分の野球道具が揃うんだよ?」
雪華の答えに納得できず、克弥はさらに問い質そうとするが、
「あぁ、克弥のスパイクはこれだ。ついでに、マスクにヘルメット、プロテクターも用意しておいたぞ」
その疑問を解くには、さも当然のように克弥にぴったりと合うサイズの道具一式を差し出す桃に聞くべきことだろう、と考え、桃に向かって問い質す。
「何をした!? 吐け、吐くんだ! 今、自首すれば罪は軽くなるかもだぞ!」
「何か犯罪者を取り調べしているみたいだな……というより、完全に犯罪者扱いだな」
桃は頬を膨らませ、不機嫌になりながらも答える。
「つい最近、親父殿の知り合いのスポーツショップの店長が店を閉めるらしいんで、『在庫、漁らせてください』とお願いしたら、快くオッケーを貰った。もちろん、タダではなかったが格安で手に入れられたので、ボクの部活動を手伝ってくれるお前たちに、手に入れた商品をプレゼントした、というわけさ」
要するに、たかった、というべきなんだろうか。真っ当な手段かどうかは微妙だが、合意の下に行われたものならば、法的には問題ないだろう、と克弥は考え、無理やり納得する。
「――って、これ、いつ買ったんだよ?」
「昨日だ。みんなが部活に参加してくれないと無駄になるとこだったな」
冗談めかして笑いながら言う桃だったが、実際に克弥たちが参加しなかったら、どうする気だったのだろうか。勢いだけで行動する桃に呆れてしまう。
そして、この話を聞いて、昼休みに抱いた疑問が解けた。遊理が参加できないと分かったときに、人数合わせの部員を勧誘しなかったのは、その部員の分の道具を用意していなかったからのようだ。
深いため息をつきながら、克弥はさらに尋ねる。
「道具の入手ルートはよく分かった。だが、もう一つ聞きたいことがある。この道具はあらかじめ買っておいたようだが、何で俺たちにぴったりなサイズを買っておけるんだ? 俺はお前に靴のサイズなんか教えた覚えは無いぞ」
「あぁ、それは俺らも気になってたなぁ。何でこんなにサイズぴったりな上に感覚的にもしっくりくるグラブを用意できたんか、って」
同じ事を気になっていた恭一郎も、克弥に便乗して問いかける。
「何を言う? 簡単なことだ」
意外なことを聞かれた、と言いたげな表情をしながら、桃は答える。
「何年も一緒に成長してきたんだ。お前らの服のサイズや足のサイズ、手のサイズや感覚の好みなんて把握してるし、何よりサイズは見た目でもすぐ分かる」
「ごめん、お前、気持ち悪い」
率直な感想が克弥の口から飛び出る。
凄い観察眼だ、と褒める輩もいるかも知れないが、見た目で靴のサイズや手のサイズを完璧に的中させてくるような神懸った観察眼は、克弥には気持ち悪いとしか思えなかった。
克弥の一言にショックを受けたのか、桃は地面に『の』の字を書いていじけだした。
「だ、大丈夫! 気持ち悪くなんかないわよ、ピーチちゃん! 私もピーチちゃんのことなら身長から体重、スリーサイズ、生理の周期まで知ってるし、好きな食べ物とか趣味嗜好も完璧にリサーチ済み! さらには見ただけでその日の体調や機嫌も即座に分かるし、触れば胸の成長具合も分かるわ!!」
「お前はもっと気持ち悪い」
桃を励まそうと声をかける雪華に、またも正直な感想を克弥が述べる。
「か、克弥くん、もっとオブラートに包んであげて。確かに気持ち悪いけど……」
蓮乃が克弥の正直すぎる言動を窘めるが、本人の自覚なく、さり気に止めを刺しにかかっている。
こうして、地面に『の』の字を書く輩が二人に増えた。
「――ったく、悪かったよ。気持ち悪いってのは撤回するから早く練習再開しようぜ」
克弥の一言により、即座に復活する桃と雪華。
「よし! キャッチボール再開だ! 各自、ただ投げるだけでは意味がないぞ! 相手が取りやすいボールを投げる、という目標を持って練習するんだ!」
復活して早々、きびきびと指示を出す桃を見て、思わず克弥から笑みがこぼれる。
本当に野球が好きなんだな、と思える桃の表情に、他の連中も表情を緩めていた。
「ところで克弥、お前、ミットは?」
「あ……」
学校からここに直行したため、まだ取ってきていなかった。
桃にどやされながら、克弥は自宅にキャッチャーミットを取りにいく。
そして、克弥が戻ってきたところで、一日目の練習が始まった。
次回更新は二月に予定。詳しくは活動報告で。