九章 彼は何処?
一旦、グラウンドから出た克弥たちは、桃以外の全員が盛大なため息をついた。
「首尾よく試合の日程が決まったな。これから忙しくなるぞ!」
当の桃はやる気満々、気合十分といった様相で息巻いている。
しかし、他の四人は疲れた顔をして、再度、ため息をつく。
「生きた心地がしなかった……」
ぼそりと克弥が漏らした一言に、同意する三人。
「ピーチちゃん、あんなことやるなら、最初からやるって言っておいてよ。そしたら、こんなに驚きもしなかったのに」
「待て。言ってたらまず止めるだろ。受け入れる気か、あの暴挙の数々を」
相変わらず、ずれた観点で会話する雪華に、桃の親友たる所以を感じる克弥。
「……ていうか、いつ原先生の了承を取ってたんだ?」
克弥が疑問を口にすると、桃は何故か携帯を取り出した。そして、なにやらメールを打ち出し、送信した。
「今だ」
「……………………………………は?」
「今、試合のことをメールに打った。了承は返信待ちだな」
なんだかとんでもないことを言い出した。
「おまっ……順番が変だろ! どう考えても!」
因果律逆転もいいところな桃の言動に、さっきまでの疲れも忘れ、勢いよくツッコミをいれる克弥。
「まぁ、了承さえもらえれば問題ないだろ? ――っと、返信だ」
桃は克弥のツッコミにも大した反省を見せず、振動する携帯を開き、メールを確認する。
「――っていうか原先生のメアド、知ってたんや……」
羨ましそうに恭一郎が呟く。
「球場で出会ったとき、教えてもらったんだ。教えてほしいか?」
「是非に!」
「だが、断る」
恭一郎ががっくりと膝をつく。そして、本気で号泣。
そんなに教えてほしかったのか、と恭一郎の必死な姿に軽く引きながら、克弥は桃に尋ねる。
「それで、了承は貰えたのか?」
「あぁ、『了解! 好きにしてくれて構わないわ♪』とのことだ」
その報告を聞いて、さっきまでの疲れが戻ってきた気がした。またも、深いため息をついてしまう。
「し、試合するんですよね、四日後……」
蓮乃が全員が抱いている不安を、代表するかのようにして桃に尋ねる。
「あぁ。だから、これから忙しくなるんだ!」
桃は大分興奮しているようで、鼻息を荒くして答える。
そんな桃に、四回目となるため息をつきながら、克弥は忠告する。
「おい、さっきも言ったけど、どう考えても無茶だろ。俺たちゃド素人もいいとこだぞ。お前は普段から鍛えてるから問題ないかもしれねぇけど、俺たちには不安がありすぎる」
克弥の当然の意見に、桃は簡単に答える。
「大丈夫だ。お前たちには今日からボクの指導の下、ちょっとした練習をしてもらう。お前たちの運動能力は、長い付き合いのおかげで把握済みだ。この練習さえしてもらえば、お前たちの能力なら何の問題もない」
この野球バカは自分のこと以外に、幼馴染のことでも自信満々になれるらしい。
たしかに、雪華は文武両道で、女子とは思えないくらいに運動神経が良い。その能力を部活などに活かさないのは「興味がない」の一言に尽きるらしく、中学の頃は『万能の問題児』と言われていた。
恭一郎も運動部には面倒だから所属してないだけで、有り余る体力と運動能力を持っている。
この二人に関しては、百歩譲って、問題ないと言うことも出来るだろう。
しかし、克弥と蓮乃――特に、蓮乃に関しては意義を唱えざるを得ない。
克弥は桃に付き合ってよく野球をしていたという経験はあるが、雪華や恭一郎と比べると平均的な能力しか持っておらず、不安要素のほうが大きい。
蓮乃は運動音痴の鏡ともいえるくらい、運動を苦手にしている。ドッヂボールをすれば自らボールに当たりにいき、バレーをすれば顔面レシーブを披露、サッカーをすればホイッスルが鳴るまで自陣の端っこでおどおどしている、というように筋金入りである。
「あ、あの、私、試合に出ないほうがいいんじゃ……」
今も自信なさげにこんなことを呟く始末である。
だが、桃は、
「大丈夫だ、蓮乃。ボクの言うとおりにすれば、問題ない。お前なら出来るさ」
このように何の根拠もなしに、蓮乃を励ます。
普通なら、こんな励ましを受けたら更に不安になるものだ。理屈も何もなく、ただ「大丈夫。お前なら出来る」と言われても、迷惑以外の何物でもない。
しかし、言われたことを何でも素直に信じてしまう蓮乃にとって、その励ましはとてつもない効力を示した。
「も、桃ちゃんがそう言うなら……頑張ってみます」
克弥は、この素直な性格が変わらないでいてほしいと思う反面、そろそろ疑うということを覚えてほしいと思う。
「桃っち、試合をすんのはいいんやけど」
克弥がまるで蓮乃の父親にでもなったかのような考えを抱いている間に、恭一郎が手をあげて、意見を言う。
「俺ら、野球の道具――グラブとか持ってないんやけど?」
恭一郎の言葉は、克弥も桃に聞こうと思っていたことだった。
キャッチャーミットを持つ克弥はともかく、他の三人はグラブやスパイクを持っていないという、野球をやる以前の問題を抱えている。
さらに、問題はまだ残っている。
「あと、俺たちは五人しかいないんだぜ? 俺とお前でバッテリーを組むつもりなら、内野の残りのポジションは四つ。俺たちの残りは三人。ポジションも決めなきゃいけないし、その前に一人足らないのはどうする気だよ?」
克弥は恭一郎の質問の後、残りの問題であるポジションと人数のことを問う。この問題も野球をする以前の問題といえる。
「ふっ、克弥。ボクがそんなに考えなしに見えるか?」
なんだか偉そうに腕を組んで答える桃。
正直、考えなしと言うよりはノリだけで生きているような気がする、という本音は飲み込んで、桃の話の続きを聞く。
「道具に関しては問題ないぞ。ボクの家に来れば、その理由が分かる。だから、今から全員一旦帰宅して、ボクの家に汚れてもいい動きやすい服装で集合してくれ。基本的な練習をしてから、守備のポジションや人数のことについてもそこで話そう」
そう言って、桃は「では解散!」と指示を出す。
なんとなく、問題を先送りにされたような気もしたが、後で話すというのだから、一応信用することにする。
だが、解散といっても同じバスに乗って帰るのだから、どうせ一緒に下校することになるという実質、意味の無いものだ。
そんなことを考えながら、鞄を教室に取りに行こうとした克弥に、桃が声をかける。
「あぁ、忘れてた。克弥は野球部を見学してこい」
名指しで何やら厄介なことを命令された克弥は、当然、意義を申し立てる。
「なんでだよ! 理由を述べろ!」
「情報収集だ。戦いにおいて重要なものといえば、今も昔も情報と決まっている」
野球に関しては本当にフル回転を惜しまない桃の脳内構造に呆れながらも、克弥は面倒なことをしたくない一心で抗議を続ける。
「だったら、お前がすればいいだろ!」
「ボクは今から雪華たちに道具を与える、基本的な動きを教えるなど用事が多い」
「うっ……」
克弥の旗色が悪い。先程の田中先輩と同じ状態になってしまっている。
そこに桃が止めを刺しにかかる。
「それにな、これはお前に適任の仕事だ、克弥」
「な、なんでだよ?」
「お前はキャッチャーだ。相手のことを知っておくのは当然のことだろう?」
桃の言うことはもっともである。通常、キャッチャーは相手バッターの情報を基にして配球を考え、ピッチャーをリードし、バッターを打ち取るのが仕事である。
しかし、克弥は、その通常のキャッチャーではない。
「俺はお前が投げる球を受けることしかやったことねぇんだぞ! 情報を基に配球を考えるなんて出来る気がしねぇ!」
情けない言い訳をしていると、克弥は自分でも思うが、紛れもない真実でもある。
昔、桃に付きあわされ、子供同士で草野球をやったこともあるが、そのときも配球は桃が考え、自分は受けるだけだった。そんな自分が、甲子園に出場したこともあるバッターたちを討ち取るリードが出来るとは思えなかった。
それでも、桃は告げる。
「ボクの配球はいつでも強気すぎる。相手が相手だし、押し切るだけの野球が通用するとは思えない。お前が、ボクとは別の観点から配球を考えてくれることは、ボクにとって大きな助けとなる。だから、頼む、克弥」
克弥の目を真っ直ぐ見つめて、懇願する桃。
『お前の考えと違う球を要求したらお前のリズムが狂うんじゃないのか』、『俺のリードが間違っているかもしれないだろ』など、克弥に反論の手はいくらでもあった。
しかし、言えない。
昔から克弥は、桃のこういう眼を伴った懇願には弱い。
『お前を信じている』という期待と信頼が込められた、強い意思を感じさせる眼。
「……分かったよ! 見学してくりゃいいんだろ!」
傍目から見ると、捨て鉢のようにも見える克弥の了承。
しかし、幼馴染たちは克弥の性格を熟知しているため、何も心配はしない。
「じゃあな、頑張れよ、かっちゃん!」
「私たちは先に帰っておくわね」
「あ、あの、頑張ってください!」
責任感の強い彼なら、しっかりやってくれるだろう、という信頼を激励に変えて、幼馴染たちは鞄を取りに、教室へと帰っていく。
「ありがとう、克弥」
桃がまた克弥の目を見て、礼を言う。
「……見学するのはいいけどよ、誰の情報をどうやって集めるんだ? さすがに全員分、集めるには時間が足らないし、俺、野球部のレギュラーとかの名前と顔、知らねぇぞ」
克弥は見つめられることの気恥ずかしさから目線を逸らして、桃に尋ねる。
「その辺りのことをよく知る人に教えてもらえばいい」
桃は、さも当然といったように答える。
「まさか、野球部の奴らにレクチャーしてもらえと? あいにく、野球部に知り合いはいねぇし、見ず知らずの奴がわざわざ情報を渡してくれるとは思えねぇぞ?」
呆れて言う克弥に、桃も呆れながら返す。
「何を言う。野球部にはボクたちに関わりがある奴がいるじゃないか。そいつに聞けばいい」
「……………………………………………………あぁ、いたな、そういや」
昼休みにも聞いた内容だったが、すっかり忘れていた。
こんなことを本人が知ったら、またグチグチと小言を言われるだろう。
「頼んだぞ」
桃はそう言って、教室へと戻る。
残された克弥はため息をつき、野球部の専用グラウンドを眺める。
「――さっきは専用グラウンドにはいなかったみたいだな」
あれだけの大騒ぎを克弥たちは起こしたのだ。彼が黙って見逃すとは考えにくい。グラウンドにいたのならば、間違いなく、桃のパフォーマンス中に小言を囁きにくるはずだ。
「どこにいるかなぁ、遊理のやつ……」
独り言を呟きながら、克弥は目的の人物を探し始める。
次回更新は未定です。詳しくは活動報告にて。