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囚われの魔女とベネディクトイズム  作者: 空色ねずみ
本編
9/88

ロマンチシズム(1/2)


 アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。

   

 彼は、ロマンからは程遠い人間である。

 彼にとって夢とは眠っている間に見るものでしかなく、理想とは幻想の同義語である。彼には金も才能も余るほどある。他人が夢や理想とすることを簡単に実現できてしまうのだ。何であれ手にとって試してみなければ真価は分からないと知っているし、実際、大抵のものは試してみることが出来る。

 例えば、騎士のように颯爽と馬に乗ることを夢見る少年は多いのだが、彼に言わせれば、乗馬など振動と尻の痛みに耐えるだけの自虐的な嗜みである。市民が夢見る馬車にしたって、実際に乗ってみればさほど乗り心地の良いものではない。それで王族の城に乗り付けて、王家主催の煌びやかな夜会に出席したところで、彼にとっては単なる時間の浪費だ。屋敷で論文の一本でも読んでいるほうがよっぽど有意義な時間を過ごせると、彼は考えている。


 そんな彼にも、夢見がちな少年時代があった。

 幼い時分の彼の夢は「宇宙に行くこと」だったらしい。うちゅうとは、夜の空に輝いている星たちがある世界なのだと彼はいった。実に子供らしい、荒唐無稽で突拍子の無い夢である。彼にもそんな可愛らしい子供時代があったのかと思うと心が和むが、同時に時間の流れの恐ろしさを感じてしまう。彼をこんな大人にしてしまったあたり、時間というのは残酷なものである。


 ちなみに私の幼い頃の夢は、玉の輿に乗ることだった。

 実に可愛げのない子供だ。


***


 かん、と金属の甲高い音がして、私は背後を振り返った。

 無人の部屋で、柱に巻きつけられた鎖だけがゆらゆらと揺れている。廊下側に伸びている銀色の鎖は、私が見ている間にも大きくたわんで柱にぶつかった。ベネディクトが呼んでいるのだろう。彼は私を呼ぶときはいつもそんな方法をとる。私を繋いでいる鎖を問答無用で手繰り寄せる——正確には、護衛たちに手繰り寄せさせる——のだ。こちらの都合などお構いなしである。


 そんなことを考えながらも、私は一人で笑いをかみ殺していた。

 私の手首から伸びた長い鎖は、途中で部屋の真ん中を支えている真っ白な柱にぐるぐると巻きつけられてから廊下に伸びている。強い力で引かれているのだろう、鎖はぎしぎしと嫌な音を立てているが、何せ相手は太い柱である。数名の護衛が引っ張ったくらいで、折れるわけもない。

 そうそう、ベネディクトの好き勝手に引きずり出されるようでは、魔女の矜持にかかわる。


 久しぶりに誰にも邪魔されない午後を手に入れた私は、ぐっと伸びをした。目の奥がきんと痛くなるような金色の光を放つ太陽は、青い空をより青く染め、庭の緑をより緑色に染めた。明るい陽射しに照らされた庭は、いつにもまして活き活きとはずんで見える。庭を流れる小川はきらきらと光を反射し、噴水から上がるしぶきは白く輝く。足元を抜ける透明な風を心地よく感じながら、私は二階から庭を見下ろしていた。

 腰をかけているのは、バルコニーの手すりだった。一つ間違えば庭に落ちてしまう不安定な場所だが、眺めも気分も最高である。裸足の足をぶらぶらと揺らしながら、暖かな日の光を楽しんでいた。

 もともと、太陽を浴びたり外に出たりすることが大好きだったというわけではないが、ベネディクトと一緒に生活をしていると、やはり外は良いなと思う。彼は、ほとんど外になど出ないのだ。たまに庭を歩くにしても、月明かりの下が多いし、彼が本格的な外出をするとき私は屋敷につながれている。そして、ベネディクトの部屋や書斎は本が色あせないようにか、直接日の光が入らないようになっているのだ。明るさは十分だが、太陽を拝むことすら出来ない。


 私もたまには散歩したり、町に出て買い物したりしたい。


 そう考えると、思わずため息が出た。ここの暮らしは嫌だというほど嫌ではないし——鎖に繋がれながらそんなことを言うのは我ながら可笑しいとは思うが——彼は文句なしの変人だが、まあ、嫌うほど嫌な人間でも無い。

 が、たまには外にも出たい。

 私はいつまでここに繋がれて、いつまでこんな暮らしをするのだろう。

 

「何をしている?」


 背後からの声に、思いきり不意をつかれた。

 私はとっさに振り返り、そこに人の顔があったことに思った以上に驚いた。一瞬、自分の居場所を忘れる。驚いた拍子に、バルコニーの手すりからずるりと腰を滑らせていた。落ちる。そう思った瞬間、私の体は外に飛び出していた。落下の感覚に、細い叫びを上げる。落ちる。


 ——が、何かが当たった衝撃音とともに、私の体は停止していた。


 抱きとめるように体にまわされた二本の腕。視界を埋めるのは、白いシャツだった。

 何が何だか分かっていない私の、靴もはいていない足裏を冷たい風が撫でた。危険な体勢であることに今更ながらに気づかされ、改めて恐怖が襲ってくる。凍り付いていた背筋が悲鳴を上げた。私は思わず、目の前の首にすがりつくように腕を回していた。しっかりとした手ごたえに、ようやく一心地つく。


 そのまま、しばらく静止していた。

 どきどきと痛いほどに鳴る鼓動が収まるのを待ってから、私は控えめに声をかける。


「ベネディクト?」


 助けてくれたのは、彼だろう。

 私の肩口に伏せられているため顔は見えないが、ついさっきかけられた声も、振り返った時に目に入った姿も、ベネディクトのものだった。いかにもか弱そうな彼が、私の体重を支えられるというのは意外であるが、私の両腕の下にまわされた腕の力は強く、しっかりとした感触が伝わってくる。

 ——が、返事が無い。私を引っ張りあげてくれる様子も無い。どうしたのだろう。


「ねぇ、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。胸を打って声が出なかった」


 本当に掠れた声が返ってきて、私は思わず身を縮める。大丈夫なの、ともう一度聞く前に、耳元で彼の吐息が聞こえた。


「痛くて動けない」

「え?」

「重い。胸が痛い。腰が痛い。腕が痛い。動けない」

「ちょっと、落とさないでよ……!」


 慌ててそう言ったが、改めてしがみつくまでもなく、彼はしっかりと私を抱きとめたままだった。正直、ベネディクトならば、私が二階から落ちたところで、笑うだけだろうと思っていた。意外な優しさに、何だか胸が苦しくなる。触れている肌がいやに熱く感じられ、今更ながらに彼の首に回している手の置き場所に困った。

 耳元に彼の息が当たる。薄手のシャツを通して彼の体温が伝わってきて、そんな場合ではないのに顔が赤くなるのが分かった。彼の胸の鼓動までも聞こえてきそうな距離に、どうして良いか分からなくなる。狼狽している私に、静かな彼の声が届いた。


「怖いのか?」

「え?」

「震えてる」


 その言葉に、びくりと体を震わせる。

 震えているのだとしたら——それは恐怖とは違う理由でだ。彼から私の顔が見えなくて良かったと、心底思う。きっと、今の言葉でさらに赤面しているだろう。彼は私の心内には全く気づかなかったようで、考えるような間をおいてからゆっくりと言った。


「落ちはしない。私も一緒に落ちるほどこの手すりは低くない」


 ベネディクトらしくない言葉。私は言葉を探したが、返す言葉は何も浮かばなかった。居心地の悪い沈黙が落ちる中、私は必死で彼に抱きとめられている事実を忘れようと努めていた。だが幾ら忘れようとしても、嫌というほど彼の温度が伝わってくる。彼のにおいがする。心臓の鼓動がおさまってくれず、もしかしたら彼にまで聞こえているかもしれない。


 と。そのとき、部屋に大勢の人がなだれ込んできた。

 二人の事態に気づいた庭師から護衛たちに連絡が行っていたらしい。助かった、と色々な意味でそう思う。私は引き上げられ、ベネディクトは大勢の使用人や護衛たちに囲まれて部屋に入っていく。ベネディクトは、私を捕まえたときに手すりにぶつけたらしい胸を押さえ、大きなソファに慎重に座った。いつも以上に青い顔をしているベネディクトを見て慌てたのは私だけでなく、彼の周りにいる護衛たちも同様だった。


「大変だ、医師、医師はどこだ……!」


 そんな護衛の嘆きに応えるように医師が二名、医学を専門としている研究者が一名、飛び込んでくるまで、さほど時間はかからなかった。普段ならばそれを大げさだと言って笑っているところだが、さすがにそんな気分にはなれない。ベネディクトが医師たちの質問に答え、彼らにされるがままにシャツを脱がされようとしている様子をただ見ていることしか出来なかった。

 そんな私に、ベネディクトはこちらに視線を向けないまま冷静に言葉をかけてきた。


「裸が見たいのか?」


 そこでようやく我に返った。ボタンをはずされたシャツから覗く、いやに白い肌。滑らかな肌に浮いた鎖骨の形がやたらと目について、私は慌てて目を逸らした。


「ご、ごめんなさい!」


 そのまま部屋を出ようとしたが、私は大事な一言を言っていないことに気づいた。

 ドアの前で立ち止まると、彼の体は視界に入れないようにして、恐る恐る振り返る。


「あの、ありがとう」


 彼は一度、視線を上げただけで、返事を返してくることはなかった。

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