「結婚して欲しいんだが」(2/2)
「結婚して欲しいんだが」
昨日も聞いた言葉を改めて言われ、私は目を瞬かせた。
ちなみに今日は食後の珈琲に口をつけたところであり、相変わらずの苦さに眉をしかめたタイミングだった。おかげで昨日とは違い、吹き出しそうになることはない。苦い珈琲をテーブルに置いて、口直しに小さなチョコレートを放り込んだところで、私は首を傾げる。
「何それ」
「何それとは?」
「どういうつもりで言ってるの?」
「どういうつもりとは?」
まともな会話にならないのは何故だろう。
何を聞けば良いのかと私は困っていたのだが、ベネディクトも困ったような顔をしていた。少しだけ考えるような間を置いて、彼は首を傾げる。
「別に役所に届出を出すつもりはない。書類を出すだけ出してみても良いが、なんだかんだと言われて処理自体を引き延ばされるだろうし、財産を動かすような手続きなどをしたら私もソフィアも命を狙われかねない」
それは嫌だ、と眉根を寄せる。
何故、ベネディクトまで命を狙われかねないのかは分からなかったが、少なくとも私に彼の財産が降ってくることは勘弁してもらいたい。不吉すぎて考えたくもないが、もしも彼の身に何かがあった場合に彼の屋敷だの山だのを管理しろと言われても困る。
「別に教会に行くつもりもない。神父に結婚を認められる必要も、神前で永遠の愛を誓う必要性も感じていないからな」
わけのわからない言葉に、私は首をひねる。
「じゃあ、何のために結婚するの?」
「どうして素直に私の愛の告白だと受け取ってもらえないのかは不思議なんだが、どうしても理由が欲しいのなら、契約内容の変更手続きだと言おうか」
「は?」
プロポーズ、などと言う言葉が出て一瞬固まったが、契約だの手続きだのと言う単語にぽかんと口を開ける。いったい何を言っているのだろう、と思っていると、彼は一つ息を吐いてから席を立った。無言で部屋の外に出ていったことに困惑していたのだが、しばらくすると戻ってくる。
一枚の紙を見せられて首を傾げる。中には数字や文字が色々と書かれていたが、達筆すぎるのか字が汚すぎるのか、何が書かれているのかも分からなかった。
「何それ」
「ソフィアを商人から買った時の契約書だな。額面上は雇用契約の譲渡ということになっている。人身売買は禁じられているからな——厳密に言えば魔女には適用されないのだが、それでもグレーゾーンではある。商人達も保身のためにこうしたものを準備するということだ」
「はあ」
私からすれば、問答無用で拐われて売り払われて雇用契約も何もないのだが、書類上はそうした取引で売られたということだろう。
「……で? それがどうしたの」
「先日、書斎を整理していたらこんなものが出てきたからな。燃やそうかとも思ったんだが、そうすると私とソフィアの間の関係が何もなくなってしまう。ならば、婚姻契約に切り替えようと思ったのだが」
相変わらず理解のできない思考回路に、私は頭を捻る。
全く形式だの契約だのこだわらないと思っていたベネディクトだが、意外に書面などを気にするのだろうか。だが、気にするのなら、役所に届出は出しそうな気はするし、せめて中央教会で神の前なり神父の前なりで挙式したいと思いそうな気もする。結局、契約の変更だなどといっても、届出を出さない以上、正式なものではないのだ。
「……よく分からないんだけど」
「正直に言えば、私にもよくは分からない」
「は?」
彼はしばし考えるようにしてから、口を開いた。
「別に結婚をする必要などない。これを燃やしても、鎖を外しても、ソフィアがずっと私から離れないでいてくれれば、それでいいのだが」
思いがけず真剣に告げられた言葉に、私は思わず息を止めた。
そもそもそんな書面の存在は知らなかったし、今はほとんど鎖で繋がれていることなどない。それでも自分から彼のそばを離れるつもりなど全くなかったし、それはベネティクトも分かっているだろうと思う。が、逆に気まぐれな彼が私に飽きていずれ放り出されるのではないか、と不安になることはあった。彼も同じように不安に感じることがあったのだろうか。
結婚して欲しい、というのは私を永遠に繫いでおくための言葉なのだ。
なるほど、それであれば確かに、愛の告白だと素直に受け取っても良かったかもしれない。どきどきとなる心臓が、今更ながらに彼の言葉を飲み込んで、さらにうるさいくらいに鳴る。
プロポーズなら、食後の珈琲を飲んでいるときに軽く言わないで欲しい。星空の下で指輪でも見せびらかしながら言われでもしなければ、彼の言葉の意味になど気づけまい。
「……でも、私に結婚して欲しいって言った?」
「ああ」
「届出も挙式もしないけど?」
「必要か?」
言われて私は首を横に振る。ベネディクトは口元に笑みを浮かべたままそっと私の耳元に唇を寄せた。彼は吐息のような声で、愛の言葉を囁いた。
「完璧だな」
頭の先から足の先まで彼が選んだアイテムを身につけさせられ、髪を結い上げたのも、指先の爪を磨いて色を塗ったのもベネディクトだった。気分は着せ替え人形である。彼は朝から私をドレスアップさせていたのだが、日もそろそろ落ちるという時分にようやく満足したように頷いた。
「挙式はしないんじゃなかったの?」
「神の前で愛を誓う必要などないと言っただけだ。私はソフィアのドレスを作って着せたかったからな」
私が身につけている白いドレスは、彼がデザインしたものらしい。ウェディングドレスがどんなものか分からなかったが、きらきらとした宝石が散りばめられたようなそれは、これまで着せられたどんなドレスよりも美しくて繊細で手が混んでいた。それを着ている自分まで、五倍増しくらいで美しく見える。馬子にも衣装とはこのことだなどと思いながら、鏡越しにベネティクトの姿を視界に入れた。
男物のタキシードは管轄外なのか、自身が身につけている礼服はデザイナーに作ってもらっていたが、それでも彼が抱えているデザイナーたちが最高の晴れ舞台をと意気込み、途中で二人ほど過労で倒れながら作りあげられたものだ。それを着て髪型を整えただけの彼だが、実のところ眩しすぎて真正面から一度も正視できていない。
「完璧に着飾らせすぎてソフィアを人前に出したくないのだが、どうすればいいと思う? 新婦が不在でも許されるだろうか」
そんな戯言をつぶやいたベネディクトに、私はため息をついた。
許されるか許されないかで言えば、許されるに決まっている。
ここはベネディクトの屋敷であるし、大広間に集まっているのは彼が声をかけた人間ばかりだ。科学者なり芸術家なり医者なり冒険家なり、数少ない社交界内での知人なりで、彼が屋敷に呼んでも良いと思う人間に声をかけているらしい。他人の夜会に呼ばれるのは死ぬほど嫌がる彼だが、たまにこうして屋敷に人を招いて夜会のようなことをするのは嫌いではないらしい。なんにせよ集まった人々の目当てはベネディクトで、飾りの女性になど興味はあるまい。
「そういえば、君のママも呼んでいるんだったな。隠しておくわけにはいかないか」
「……ママもベネディクトさえ見られれば満足すると思うけど」
実の娘にも全くどこにいるかも分からなかった母親だが、何故かベネディクトには連絡先を教えているらしい。なんにせよ私の縁者は彼女だけで、あとは知らない人ばかりだ。だがベネディクトは使用人達や護衛達や付近の住人などにも広間を解放しているそうだから、見知った顔も見られるだろうか。
「まあいい。早々に引き上げて二人きりになろうか。ドレスはベッドの上で脱がせやすいように作っているんだ」
——そんなところの機能性にこだわったデザインだとは思わなかった。
複雑な顔で自分の格好を見下ろし、それからベネディクトを見る。口紅が取れないようにだろう、彼は慎重に私に唇をつけてから、どきりとするような綺麗な瞳で笑った。
「私が死ぬまでそばにいてもらえるだろうか」
「……できれば、私が死ぬまで一緒にいて欲しいんだけど」
二百年は生きる魔女の言葉に、彼は可笑しそうに笑った。
「不老長寿の薬はずっと探させてるし、医師とも研究を続けている。——最大限の努力はしよう」
(完)
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
本編完結で完結にしたのち、番外編等を追加するために連載中に戻していましたが、一区切りつきましたのでまた完結にさせていただきました。
書いていてとても楽しい二人ですので、またいつかどこかでお会いできれば幸いです。——読者の方に最大限の感謝と敬意を込めて。空色ねずみでした。




