「家の中で?」(2/2)
彼は毛布の上に転がったまま私のそばに膝をつくと、手を出してきた。起こしてくれるつもりかと思い、素直に彼の手を取ったのだが、ベネディクトは先ほどの犬の首にはまっていた首輪のようなものを私の手首に巻いた。
「ちょっと……何のつもり?」
鎖の代わりかと思いきや、彼は手首に巻いた革のベルトのようなものから伸びる紐を、ぐるぐると私の両方の手首に巻きつける。両手首を合わせるように完全に拘束されて、私は眉根を寄せた。ベネディクトはそんな私を見て、なぜだか首をかしげる。
「それは私も聞きたいな。こんなところで何をしていた?」
「……家出よ」
「家の中で?」
そう言われると辛いのだが、別にかくれんぼをしていたつもりはない。
「家の外に出たら、ベネディクトが心配するじゃない」
魔女だからと拐われたこともあれば襲われそうになったこともある。いつまたどこかに売り払われる、という可能性もないわけではないのだ。それを彼は一応は心配してくれていたし、私もまた拐われて彼に身代金を要求されてはたまらないと思っていた。
彼は私の言葉に少しだけ眉を動かした。
「家の中でも姿が見えないと聞けば、心配はする」
「……ずっと人の存在を忘れておいて、良く言うわよ」
確かに心配はしたかもしれないが、それは私の存在を思い出してからのせいぜい数時間なのだろう。それに比べてこちらは五日間も放置されているのだ。彼は私の言葉に、良く分からないといった様子で瞬きをした。
「そう言われてもな。十年前から計算している式がちょうど解けたところだったんだ」
そう言われても、というのはこちらの台詞でもある。だが、科学者達と何を計算しているのかは知らないが、一つの計算に十年なんて時間をかける男からすれば、私を放置した数日など瞬きするくらいの時間なのかもしれない。
彼は少し考えるようにしていたが、また首を傾げる。
「家の中で家出をした理由を、聞いたほうがいいのか?」
「……わからないの?」
「わからない」
むしろ何故分からないのかが分からないのだが、彼はどうしてそれが分かると思っているのかが分からないのだろう。私が顔を顰めていると、彼は思い出すようにして言った。
「私も子供の頃に家出をしたことはあるが、その時は帆船に乗ってオーロラを見に行こうとしたんだ。途中で父の追っ手に見つかって、連れ戻されたが」
「おーろら?」
「緯度の高い地域で見られる、夜空が明るく光る現象だ。そういえばまだ私も見たことはなかったな。とても幻想的で綺麗だと聞くから、一緒に観にいこうか」
彼はそういうと、おもむろに立ち上がった。そしてそのまま私を置いて行こうとするので、慌てて声を掛ける。
「ちょっと、どこに行くの?」
「オーロラの成り立ちについて書かれた論文がある。いつ頃みられるのかを確認しよう。オーロラは見られる時期も場所も限られているからな」
「え?」
そうして足早に去って行くベネディクトをぽかんと見送ってから、しばらくして私は深いため息をついた。そして起き上がろうと腕をつこうとして、身動きが取れないことに気づき、無言で両腕に巻かれた紐を見下ろす。そして、深い深い深いため息をつく。
——いったい、なんのつもりで彼はこんなことをするのだろう。
部屋に鎖で繋いだり、腕を拘束したり、本当にわけがわからない。百歩も千歩も譲って、せめてこれが彼の生きがいというのなら許容しないでもないが、このまま一人で放置することだけは、心底やめてもらいたいのだが。
完全に拘束されるようにぐるぐる巻きになったそれは、固くて全く外せる気配もなく、起き上がるのも一苦労だった。なんとか起き上がったものの、こんな格好ではまるでひっ捕らえられた罪人だ。すれ違う使用人達から送られる、いつも以上に哀れみのこもった視線を受けながしながら。
泣かなかった私を褒めて欲しい。
「……いつになったらこれ外す気なの」
そう言って開いた私の口の前に、スプーンが差し出され、私はしぶしぶとそれを口に入れた。食後の甘いケーキはとても美味しく、数日ぶりにまともな食事と食後のデザートまで食べられていることにはなんの文句もないのだが、いかんせん手首の紐は外されないままだ。
私を膝の上に乗せたままという謎のスタイルで、両手が使えない私の代わりに丁寧に食事を食べさせてくれるベネディクトは、何故だかやはり首をかしげた。
「家出の原因は、つまりは私がソフィアに構わなかったことなのだろう」
そんなことを言われて、私は眉根を寄せる。
「違うわよ。私はあなたが鎖で部屋につないだまま放置したことに怒ってるの。ついでに言えば、これをぐるぐる巻きにしたまま放置していることもね」
腕を見せながら怒りを表現したつもりだったのだが、ベネティクトは不思議そうな顔をした。
「どう違う? 放置したことに怒っているということは、構いさえすれば良かったということだろう」
それはそうかもしれないが、構うというのは別に膝に乗せられることではないし、食事を食べさせてくれるということでもない。
クリームでもついていたのか、ベネディクトは私の口の端をペロリと舐めた。急な行動にびくりと反応した私の瞳を覗くと、彼はそのまま口付けてくる。散々、私のことを放置していたベネディクトだが、もう頭の中には解いてしまった計算は残っていないらしい。彼が顔を離してこちらを見ると、いつもは涼しげな青い瞳が熱を帯びる。
私はそれを見てどきりとするような、苦笑するしかないような、そんな気分になった。つくづく本能のままに生きている男だと思う。ある意味でとても羨ましい。
「でも、また十年前から解いてる計算が解けそうになったら、私なんか置いてそっちに行っちゃうんでしょう」
手首をまとめられたままの両腕を上げさせられると、彼はその中にすっぽりと頭を入れてきた。そして私に改めて口付けると、そのまま服の中に手を入れてくる。肌に触れる指先のくすぐったさに微かに身をよじりながら、ねえ、と声をかけた。
「これ外してよ」
ベネティクトは私の言葉に、ゆるゆると首を横に振る。
「——それでソフィアがまた家出すると言い出すのなら、どこにもいかない」
それは計算が解けそうになったら、という言葉に対する返答なのだろう。そんなことを言ったところで、どうせ本当に目の前に彼の興味の対象が現れたら、私のことなど一瞬で視界に入らなくなるはずだ——が、少なくとも今この瞬間は私しか見ていないように見える。
まあいいか、少しは彼を見習おう。
そう思って、触れられる体温に身を任せる。とりあえずは私も、目の前にある彼の視線と彼の言葉に、満足をしておくことにした。




