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囚われの魔女とベネディクトイズム  作者: 空色ねずみ
後日談(ジャーナリズム)
83/88

「冷たい」(1/1)

 

 何度見ても心臓に悪い。


 瞼を閉じて浅い呼吸をして眠るベネディクトの顔は、全く血の気を感じさせないもので、このまま呼吸が止まってしまうのではないか——と日に何度もハラハラさせられていた。


 彼の言う「体調が悪い」には段階がある。体調が悪いからと言ってベッドの上で論文だか何だかを読んでいる時にはまだ元気で、読むのも面倒だと言って私を呼んで喋っている時にも余裕があり、やがて徐々に口数が少なくなって、最終的にこうして死んだように眠っているときは、本当に弱っている時らしい。


 だからと言ってどうすることもできず——医師ですらおろおろと見守っているだけだ——おろおろと見守ることしかできない。大抵は二日もすれば勝手に回復して勝手に喋り出すから、それを待って祈ることしかできないのだ。そんな時には時間が経つのが、気が遠くなるほど遅い。


 気を紛らせるために彼の枕元で編み物でもしようかと、屋敷の使用人に毛糸と編み棒を頼んでみたのだが、あいにく屋敷にそんなものは置いていないと言われた。急いで調達してきますと走って出て行った彼はいったいどこまで買いに行ったのだろう。一向に戻ってくる気配もない。


 薄いノックの音とともに医師が部屋に入ってきて、私は椅子を立って彼に場所を譲った。医師は定期的にやってきて、はだけたシャツの間から胸の音を聞いては、廊下に戻る。前に意味はあるのかとベネディクトに聞いたことはあるが、生きているか確認しているだけではないかと言われたので、大した意味もないのだろう。起こして薬を飲ませるでも、何をするわけでもない。


 だが、今はちょうどベネディクトが瞳を開けた。


 とびきり澄んだ綺麗な水面のような、うんと寒い日の晴れた空のような、そんな青い瞳が薄く開かれ、天井を見る。目が少し潤んで見えるのは熱があるからだろうか。どこか違う世界を見ているかのような顔に向けて、医師が控えめに声をかける。


「ご気分はいかがでしょうか?」


 何かを言いかけたのか口を開けるが、声は出ない。


「大丈夫?」


 こちらも控えめに声をかけると、ベネディクトは何度か瞬きをした。それから彼はこちらに顔を向けてくる。先ほどまでは血の気の失せたような白い顔をしていたのだが、今はわずかに頰と唇に紅が乗る。


「……悪くない」


 気分が悪くないと言っているのだろうか。わずかに掠れたような声ではあるが、それでも彼が目を開けて喋ったことに安堵した。これまで何度も同じように寝込んだ体の弱い彼を見てきたのだが、大抵はここから回復していくのだ。


「メーヴィス」


 声をかけられて近くによると、手を出された。なんの気はなしにそれをとると、そのまま引き寄せるようにされる。


「なに?」

「熱い」


 急にそんなことを言われて首を傾げる。確かに彼の手はとても熱い。頰も赤くなっていたし、熱は下がっていないのだろう。だが、だからと言ってどうすれば良いのかわからない。


「お水でも持ってくる?」

「起きるのが面倒だな。口移しで飲ませてもらえるなら飲む」

「冗談でしょう」


 私が言うと彼は笑った。


「冗談ではないが、まあいい。——水を。ついでに薬も飲む」


 医師にそう告げると、彼は何度も頷いてから部屋を出ていった。なんにせよベネディクトの声は先ほどまでよりは力があったし、熱はあるにせよ体調は少しは良くなったのだろう。彼は私の手を握っていた手を離すと、ずるりと体を起こした。随分と重そうな動きではあるが、私が手を貸すまでもなく自分でベッドに体を起こす。


「元気になった?」

「これが元気に見えるなら、メーヴィスは医師にはなれないだろうな」

「医師になるつもりはないからいいわよ別に」


 そんな言葉に笑ったベネディクトに、やはり私は安堵の息を吐く。彼はまた手を伸ばしてくると、今度は私の首に触れた。ぺたりと触れた手のひらが、驚くほどに熱い。


「冷たい」

「あなたが熱いんでしょう?」

「そうかもしれないな」


 そのまま彼に首を引き寄せられたので、抗わずに顔を寄せた。触れられた唇も熱い。彼はもう片方の手で私の背を触る。それが私の服の中に入ってきたので驚いて顔を離した。


「なにするの」

「冷たい」


 背中に回された腕が熱い。

 彼はすぐ近くから、私の瞳を覗き込む。


「ここで一緒に寝ないか。どうせもうしばらく私は動けないし、メーヴィスの体は冷たくて気持ち良さそうだ」

「……濡れタオルの代わりにするつもり」

「魔女の体温は低くていいな」


 服の中で動く指の感触に背中を緊張させていると、水と薬を持った医師が戻ってきたので慌てて体をはなす。気づかなかったのか気にもならないのか、ベネディクトが薬と水を飲み干すのを見届けてから、ベネディクトの手首をとる。脈をとったり胸の音を聞いたり口内を見たりなどしていた医師は、やがてベネディクトを見て言った。


「まだ調子は戻っていません。——くれぐれも無理はなさらず」

「無理などしない。しばらく二人で眠るから朝までは入ってこなくていい」


 わかりました、と言った医師はちらりとこちらを見てから部屋を出こうとする。どういう視線なのだろう。どんな顔を返せば良いのか考えていると、ベネディクトはベッドに横になる。メーヴィス、と名前を呼ばれて、彼を見下ろす。


「本当に一緒に眠るの?」

「寝るだけだ、なにか問題か? 無理をするななどと言われるまでもなく、メーヴィスに手を出す気力などない」


 医師の言った無理をするなとはそういう意味なのか。


 私は内心で苦笑しながら、そっと彼の横に入り込む。私が彼の隣に横になるのを待って、彼は私の体を包み込むようにぎゅっと腕を回した。薄いシャツ越しに感じる彼の体温は本当に熱い。ひたいをぺたりと彼の肌につけるようにすると、少しだけ彼が笑ったようにも思えた。


「冷たい」

「……すぐに温かくなると思うんだけど」


 彼に触れている私の肌は温かくなるだろうし、むしろ二人でこうしている方が熱いのではないだろうか。


「そのときは外の風でも浴びて体を冷やしてきてもらえないか」

「本当に濡れタオルの代わりなのね」


 ——それでも別に構わないけれど。


 苦しんでいる彼のために出来ることが何もないよりもよほどいい。私が顔を上げると、彼は私の額にキスをして、髪にキスを落としてくる。


「おやすみなさい」


 私がそういうと、潤んだ青い宝石のような瞳が、驚くほど嬉しそうに笑った。

 

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