「何をしている」(4/4)
じんじんとした痛みは治まっていないが、それなりに慣れてはきていた。私は痛む左腕を撫でるようにしながら、両手を見下ろす。布が巻かれていて傷口は見えないが、左手は手のひらも指先も血に染まっていた。何かで拭きたかったのだが、あいにく汚れてもいい布など持ち合わせてはいない。
「きれいに切られていて縫合が必要な傷でもない。じきに血も止まるだろう」
「何か拭くもの持っていない?」
「血を拭くのか? もったいないからそのままにしておいてくれないか」
「……何がもったいないのよ」
ベネディクトとそんな会話をしながらも、表が徐々に騒がしくなってきたというのは感じていたのだが、実際に外に出ると想像よりも多くの人がいて驚いた。
ベネディクトが招集した仲間たちなのだろうか、それとも単に騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬か。七割ほどは作業服を着た研究者だか発掘作業員だかに見えるが、残りの私服は付近の村人にも見える。
斧を持っていた男はすでにベネディクトの護衛たちに取り押さえられており、その横には双子の男の子二人がぺたんと座り込んでいた。彼らは私の顔を見ると、はっと息を飲んでから、揃って泣きそうな顔をする。怒られると怯えているのか、悪いことをしたと思っているのか、それとも母親を救えなかったことを悔いているのか。
双子には膝や腕に擦り傷のような傷がたくさんあった。私と一緒に倒れた時に怪我をしたのだろうか。それでいてうるうると潤んだ瞳でこちらを見ている幼い彼らを見ていると、なんだか私の方が悪いことをしたように思えてくる。
「大丈夫?」
そうたずねると、彼らは迷ったような顔をしてから、同時にこくりと頷いた。彼らはいったいどうなるのだろう。だが、ベネティクトは彼らのことなど視界に入ってもいないかのように、歩を進めようとする。私が彼に尋ねる前に、困ったような声がした。
「あの、彼らのことはどうすれば……?」
聞いたのは彼らを抑えている護衛たちだった。ベネディクトはその言葉を受けて、首をかしげる。
「どうとは?」
「どう? ええと、治安を乱したとして領主に届け出るとか、村長に怪我をさせた責任を求めるとか…………とりあえず殴っておくとか」
いつも顔を合わせている気のいい護衛は、私の血に染まった腕に同情めいた顔をして、最後の言葉を付け足した。
とりあえず殴っておけ、とも聞こえる口調で足されたその言葉は、ベネディクト向けたのだろうか、それとも私に向けたのか。確かに、普通は怪我をさせられたのならそれくらいしても良いのではないかと思うが、別に私は殴りたいとは思わなかったし、ベネディクトも首をかしげた。
「レインがそうしたいなら、とりあえず殴ってみてもいいが」
ぶるぶると首を横に振る。
「それなら放っておけばいい。レインには悪いが、彼の心情はわからなくもない」
「は?」
普段は全く人の心を理解する気もないベネディクトの口から、共感めいた言葉が出て驚いた。しかもそれが私を縛り付けて怪我をさせた男に対するものなのだ。地面に取り押さえられた男を見下ろすと、彼も理解ができないといった顔でベネディクトを見上げていた。
「なんだって?」
「君は医者だろう——で、見たところ不治の病にかかっている。どうあがいても死が近いというところに魔女が現れたら、馬鹿げた迷信でも一度くらいは試してみようかという気にもなる」
「は?」
ぽかんと口を開けたのは、今度は私だけではなかった。男も口を開けてベネディクトを見る。
「医者なの?」
「落ちていたのは医療用にも使うナイフだし、レインの傷もある程度の医学的な知識がある人間がつけたものだ。両腕を縛っていた縄も、それなりに止血の役割をしていたしな」
「……で、不治の病にかかっている?」
「私は医師ではないから詳しくはないが。その顔や声の印象だと、最近学会をにぎわせているレンニの症例によく似ているな。だいぶ歳をとって見えるが、実際の歳は私とさほど変わらないのではないか」
確かに声は奇妙なほど低くしわがれているし、年齢も若いのか歳なのか全く分からなかった。男はぽかんと見上げていたが、やがて低く笑った。
「あんたに俺の気持ちがわかるって?」
「それなりに死は近くにあるからな——実際、私も試したことはある」
「は?」
思わず声をあげると、ベネディクトは笑った。彼は大事そうに持っている赤いグラスを少し覗いてから、男を見下ろす。
「さすがに試したのは自分の体でなく、実験用のラットでだ。私の体重で何mlの血液を摂取すれば効果があるのか分からないだろう? こんなコップ一杯では足りない可能性もあるが、ラットであれば数滴の血液でも試せる」
「……結果は?」
「二匹ともさっさと死んだ。偶然だったのか魔女の血が悪い方に作用したかまでの検証はできなかったが、自分の体で試す気にはならないな。まあ、検体の量が足りなかったというのはあるが」
彼はそう言うと、何を思ったのか私の手を取った。そしていきなり血に濡れた指先を彼の口に入れたので、驚いて振りほどく。傷口がずきりと痛んで、思わず声が出る。
「何するのよ」
「舐めるくらいならさすがに死にはしないだろうし、不老不死にもならないだろうな」
「……そうかもしれないけど、いまそれを試す必要ある?」
「手を洗われたら試せなくなる」
そんなことを言った彼に顔をしかめる。
私の血を与えたラットは死んだのだ。それを見て、それでも試そうと思う気持ちが分からなかったし、彼は前にも一度、怪しげな不老不死の薬を飲んで死にかけている。よほど好奇心が勝るのか、それとも医師の彼と同じように死を近くに感じていれば、馬鹿だと思いながらも試してしまうのか。
なんにせよ何事もなければ二百年を生きる魔女には想像のできない世界ではある。
私やベネティクトを複雑そうな顔をして見ていた男は、やがて双子に視線を向けた。
「彼の話を理解できたか? 魔女の血では、君たちの母さんの病気を治すことはできない」
堪えきれないように泣く双子を、医師だという彼は悲しげに見つめていた。ベネティクトは彼が自分の病気を治すために試そうとしたと言ったが、男が本当に救いたかったのは誰なのだろう。自分自身か、彼らの母親か、それとも双子たちか。ベネティクトは冷静な口調で聞いた。
「彼らの母親の病気とは?」
「……病気かどうかもわからん。もともと虚弱な女性で、ひと月ほど前に熱を出して寝込んだきり起きれなくなってる。ちゃんとした医師にみてもらって、山ほど薬や栄養や休養を与えれば快癒するのではと思っているのだが」
不治の病と言うわけではないのだ。それならなぜ魔女の血など——と思ったが、そもそも薬も高価で手が出ないことが多いし、医師に診てもらうだけでも一般的には敷居が高い。栄養や休養すらろくに取れない環境であれば、薬など手に入るわけがない。
「なるほど、魔女の血よりはだいぶ現実的な見解だ」
ベネティクトはそう言って頷くと、少しだけ首を傾げた。
「君の病気は?」
「……学会やらレンニやらと言われたところでよく分からないが、たぶんあんたの言っている病気なのだろうな」
「実験動物になる気があるのなら、研究者を紹介しようか。迷信に手を出すよりも現実的な治療を試してもらえる」
そんなベネティクトの言葉に、男は眉根を寄せた。
「あんたの魔女に怪我をさせた人間に、そんなことをしてやる義理があるのか?」
「君に義理などかけらも無いが、研究者にとっては一例でも臨床データが多い方がいいからな」
なるほど、と彼は自嘲した。
「有難い申し出だが、村には俺しか医者はいない。もうすぐ死ぬかもしれないし、医師としても未熟なんだが、それでもいないよりはマシだろう」
「誰でもいいなら、暇をしている屋敷の医師を送ろうか。君のいうところのちゃんとした医者ではあるし、本当に薬や食料で治るものなら、彼らの母が快癒する程度には支援できる」
ベネティクトがそう言うと、彼はまたぽかんと口を開けた。見ず知らずの人間、どころか、怪我をさせた魔女を探しにきた人間に、いきなり支援をと言い出されても、全く理解などできやしまい。
「義理はかけらもないのにか?」
そんな台詞にベネティクトは肩をすくめた。
「屋敷にいる医師にも金にも特段の使い道もない。別に君にもさほどの興味はないから、どちらにせよ好きにすればいい。そんなことより私は早く屋敷に戻ってこれを解析したいな」
そう言って森の外に向けて歩き出す。置いていかれてぽかんとしている男や護衛たちが気にはなったが、私は慌てて彼を追った。
どういうつもりだ、と聞きたかったのだが、彼の顔色が少しだけ悪く見えてどきりとする。二人きりになるとベネティクトはため息をついた。
「実のところだいぶ体調も悪い。早く馬車に戻って横になりたいな」
「……血なんか舐めるからじゃないの?」
「ここに来る前からだ。とりあえず舐める程度の量では頭痛薬としても使えないし、体調が戻ることもないことは分かった」
「ただでさえ弱い体でなに試してるのよ」
むしろ悪化したらどうするつもりなのだろう。呆れたように言った私に、彼は笑った。ベネティクトは傷に障らないようにか慎重に私の腕を取ると、傷に巻いた布に唇で触れる。
「実際に試せる機会はさほどない。本来ならレインの体には一片の傷もつけたくないからな」
そんな仕草と言葉に瞬きをする。そもそも彼は人に傷をつけるようなことはしないだろうが——自分の命を狙ってきた相手でも、彼がやり返すのを見たことがない——それでも想像以上に大切に扱ってくれているらしい。
彼は急に立ち止まると、なぜか思いついたかのように唇にキスをしてくる。
「——とはいえ、実際には唾液も成分は血液に近しいものだ。最近、外に出ても前ほど体調を崩さなくなったのは、もしかしたらコレのおかげかとも思っているのだが」
思いがけない言葉に瞬きをする。
「それを言ったら、魔女の血に効果があるってことになっちゃうんだけど……」
「検証はしていないから仮定の域にも入らない。が、それで魔女を狙う人間が増えると困るから、人のいるところでは言わなかっただろう」
そんなことを言ったベネティクトは、今度は私の赤く染まった指先に唇をつける。そしてこちらの瞳を覗き込むようにした。静かな瞳の青が、私の瞳を映して揺れる。
「あまり離れないでもらえないか。また誰かにとられそうになるなら、鎖でつなぎたくなる」
そんな言葉に、どきりとする。
何を言い返せば良いのか分からずに、ただただ頷いた。それに満足したのか、体調の悪いというベネティクトは、ゆっくりと馬車へと向かって森を歩いていく。
「本当に効果があるの?」
「なにがだ?」
「……キスが」
「どうかな、全く根拠はない。ただ、体調は前ほど悪くはないな。今度ちゃんと検証してみようか」
そんなことを青白い顔色で言われたところであまり説得力はないが、検証はどうであれ、ベネティクトの体調が前よりも悪くないというのは朗報だった。それが私のキスなんかで与えられるなら、いくらでも与えたい。
「ベネティクトの体調が良くなるなら、血でもなんでも研究してもらって良いのだけど」
私が言うと、彼は笑った。
「悪趣味だな——私はキスの方が何倍もいい」




