「何をしている」(2/4)
「たしかに本物の魔女だな」
地を這うような低い声に、私は震える。片手に斧を持った男は、ゆっくりと斧の先を地面から持ち上げた。振りかぶるというほどではないし、古く錆びた斧は刃も鋭くは見えなかったが、力いっぱい叩きつけられれば当然怪我では済まない。
「……なに?」
「悪いが、死にたくなければ大人しく中に入ってもらえないか」
そんなことを言って崩れかけの小屋の方を示されるが、どうすれば良いのか分からなかった。座り込んだまま、ただゆるゆると首を横に振る。死にたくはない、だが、小屋に入るというのも同じくらいに恐ろしく、全く足は動かない。
男はどこか冷めた表情でこちらを見下ろしていた。それは狂気めいた恐ろしさも感じさせたが、顔や体つきなどはどこにでもいる普通の人間にも見えた。若くも見えるし随分と年配にも見える。名前を呼ばれたということは、二人の父親ではないのだろう。
「大丈夫?」
すぐそばで子供の声がする。だがそれはこちらに向けられたものではなく、私が下敷きにしてしまった双子の片割れに向けたものなのだろう。大丈夫、と同じように聞こえる声で返事があり、少しだけほっとしたのだが、そもそも彼らがこの斧の男と仲間なのかもしれない。どういうつもりかはわからないが、彼らは私をここまで誘き寄せたのだ。
「これでお母さんが元気になる?」
「……どうかな」
「なるって!」
意味の分からないやりとり。だがその意味を考える間も無く、男に腕を掴まれて恐怖を覚える。振り払おうとしたが、もう片方の手に握られたままの斧が気になって力が入らない。そして、強い力にほとんど引きずられるようにして、小屋の中に連れて行かれる。
「ちょっと……ねえ、私をどうするつもり?」
ドアを握って立ち止まると、男は無造作に斧を放ってから今度は懐からナイフを取り出す。
「いいから黙って入れ」
鋭い刃を首元に突きつけられて、体が震える。言葉を封じられ、手を引かれるがままに室内に連れ込まれた。このまま殺されてしまうのだろうかと思うとざっと血の気が引く。魔女を連れてきた、と言ったということは魔女を探していたということだ。
動けないでいると、小屋の真ん中に立つ柱に後ろ手にくくりつけられた。さほど太い柱でもないので背中側で両腕を縛られても痛いと言うわけではないのだが、両手にかちりと巻かれた縄に、全く身動きが取れなくなって冷たい汗が流れる。
「これでお母さんが元気になる?」
「何度も同じことを聞くな」
「でも、魔女の血を飲めば病気が治るんでしょう?」
は、と私は思わず口を開けた。
私が声を出したことで、三人が一斉にこちらを見た。二人の男の子の視線はとても真剣なもので、男の視線はやはりどこか冷めているようにも見える。
「お前らは少し外で待ってろ」
「どうして?」
「いいから出てろ」
そう言って男は子供たちを小屋の外まで連れていくと、戸に鍵をかける。密室に二人きりになったことで、緊張感がさらに増す。男がすぐそばまで近づいてきたが、逃げることなどできやしない。ふと膝の力が抜けて、私は柱に沿ってずるずるとその場に座り込んだ。
男はそんな私の背後にまわると、すぐ側にしゃがみ込む。
——瞬間にびくりと体が跳ねた。
何が何だかわからぬまま衝撃と熱さを感じ、それが自分の手首の痛みだと自覚した時には、さっと手のひらに血が流れ落ちてきていた。
「すまないな」
腕を掴まれて、また体が震えるような痛みがあり、思わず息を飲む。痛みに潤んだ視界で、床に転がる血のついたナイフを捉えた。それで手首を切られたのだろう。血を飲めば病気が治ると言っていたから、本当に血を取ろうと思ったのか。私は思わず口にする。
「魔女の血で病気が治る……なんて、本当に信じているの?」
「いいや」
低い、しわがれるような声だった。
「本当であれば今ごろもっと広まってるだろう。魔女なんて狩り尽くされてとっくに絶滅してるだろうな」
「それならどうして」
男は私の腕を押さえたまま、床に座ったようだった。表情を確認したかったが、私の後ろに座っており腕や足しか見えない。
「彼らにも迷信だろうとさんざん言ったんだがな。それでも信じているのか、それとも母親を助けるために藁にでも縋りたいのか、一昨日、あんたの姿を見かけた時から奴らは俺のそばを離れない」
奴らというのは双子のことだろう。母親を助けるために魔女の血を飲ませようというのだ。だが、本当に私の血などで命が救えるものなら、とっくにベネティクトに与えている。
「だからって、子供の迷信に付き合ってこんな馬鹿げたことに協力しているの?」
やっていることは犯罪である。——実際には人間たちの法律が守っているのは人間だけで、魔女のことを守ってくれる法などないのだが、子供はともかく良識のある大人がやっていいこととは思えない。それに、それをしたところで母親が救えないとなれば、子供たちは余計に悲しむのではないだろうか。
私の言葉に男は低く笑った。
「魔女の肉を食べれば不老不死になるという話もある。実際に魔女は人間よりもずっと長生きするらしいが、それも迷信か?」
不老不死など馬鹿げている。だが、たしかに彼らからすると、何十年も若い姿のまま変わらない魔女は死なないように見えるのかも知れない。
「……魔女だって歳はとるし、怪我をすると痛いし、たくさん血が流れれば簡単に死ぬのよ」
切られたところは実際にじんじんと痛むし、今のところ死ぬほどの出血ではないだろうが流れ落ちる血の感触にはぞっとするものがある。
「そうか、それは残念だな」
男はそう言ったが、全く残念がっているような口調ではなかったし、握っている腕を放す気配もない。
——口では何と言っても、本当は彼自身が信じているのかもしれない。もしくは本当だろうが嘘だろうが、魔女の血肉を売って一儲けしようなどと考えている可能性だってある。それを考えると、彼が魔女の肉を食べて不老不死になると口にしたことが恐ろしく、改めて嫌な汗をかいた。
「ねえ、私をどうする——」
どうするつもりか、と震える声で問いかけたちょうどその時、どんどんとドアが叩かれてびくりと体を震わせた。




