「寒い」
背中に冷たい風を感じて、目を開ける。
と、目の前に見慣れすぎるほどに見慣れた顔があり、私は思わず息を飲んだ。陶器でできたような滑らかな白い肌に、長い睫毛。絶妙なバランスで目や鼻や口が配置された顔は、寝息さえ聞こえてこなければまるで芸術家の作った彫像のようだ。いくら見慣れても見飽きることのない、秀麗な顔貌である。それが今、すぐ目の前にあるということに、私は今更ながらに焦っていた。
どうしよう。
離れようか。隠れようか。それとも逃げようか。いやいや、逃げるってどこに? 自分の部屋に? いや、そもそも逃げることになんの意味があるのだろう。自問自答も甚だしいが、何故、と言われてもよく分からない。強いて言えば、二人きりで朝を迎えるというこの状況に耐えられないから、ということだろうか。少しだけ上体を上げようとすると、ベネディクトが身じろぎするのが見えて、私は動きを止めた。
寒い。
と思ったら、それもそのはずである。
服も着ておらず、ベネディクトと二人でかけあっているシーツからは、背中が完全に出てしまっている。後ろを見ると、大きな窓は完全に開け放たれており、そこからは薄っすらと闇を緩ませる朝の光と、湿気の混じった冷えた空気が流れ込んできていた。日中などは汗ばむような陽気になることもある季節だが、早朝は冷えるのだろう。
「寒い」
すぐ近くから声が聞こえて、私はびくりと体を震わせる。彼はシーツから腕を出して髪をかきあげるような動作をした。金糸のような髪がはらはらと頬に落ちてから、髪を束ねていたらしい髪紐が取れて下に落ちた。そういえば、彼は女性といる時には髪を結ぶ癖がある。そちらの方が雰囲気が出ると言っていたが、昨夜は髪型などに気が付く余裕もなかった。
腕を出したことによってシーツがめくれており、彼の胸あたりまで素肌が晒されている。なんだかよく分からないが、色気が凄い。
青い瞳はしばらく天井を見ていたが、ふいに横を向いて私を捉える。どきりと心臓が跳ねた。彼から見た私はいったいどんな顔をしているのだろう。どんな表情を取れば良いのか、そんなことにすら悩んでしまう。彼はじっとこちらの顔を凝視してから、寒い、と言ってシーツを首元まで引き上げた。
「ちょ、ちょっと」
代わりにこちらのシーツが引っ張られ、胸元がはだけそうになる。慌てて布を確保すると、彼は少しだけ首を傾げて言った。
「さすがに朝は冷えるな」
私が寒いからシーツを搔き抱いたとでも思っているのだろうか。彼は開け放たれた窓を見てから、部屋の入り口の方を見た。
「誰かに窓を閉めさせようか」
「正気!?」
朝から思わず大きな声が出た。彼はうるさそうな顔をしてから、眉をしかめる。
「特に狂気的な発言をしたつもりはないが」
彼はそう言ったが、ベネディクトと私は揃って二人で裸で寝台の上にいるのだ。この状態で、使用人を部屋の中に招き入れようというのは、私にとっては正気の沙汰ではない。——彼にとっては、もしかしたら日常茶飯事なのかもしれないが。
「ちょっと待って……服を着て私が閉めるから」
そう言って下着と服を探すが、どちらも手の届く範囲には見当たらない。ソファのところにあるのだろうか。だが、そこまで裸で取りに行くのはハードルが高い。そこまでを確認して動けなくなった私を見て、ベネディクトはわざとらしく首をかしげた。
「誰かに服を持ってこさせようか」
完全に面白がっている。
彼の顔を睨むようにすると、くつくつと楽しそうに笑った。自分で取りに行こうとか、自分で窓を閉めようとか、そんな発想にはならないらしい。
「私たちが服を着ていようが着ていなかろうが、窓を閉めるだけの使用人が気にするとは思えないがな」
「……ベネディクトなら、入ってきた使用人が裸でも気にならないんでしょうけど、普通は気にすると思うわよ」
私の言葉に、彼は少しだけ考えるような顔をした。
「いきなり裸で入ってこられたら、さすがに気にはなるな」
なるほど、と頷いてから、彼は何をおもったか私の体に両腕を回した。きゃ、と思わず小さな声が出たが、彼はそのまま自分の体の方に引き寄せる。ぎゅっと抱きしめられるような格好になって、私は身を縮ませる。
「な、何?」
「窓を閉められないなら、とりあえず暖を取るとしよう」
ペタリと触れ合った素肌が熱い。
「……ベネディクトが閉めてくればいいんじゃないの?」
「窓の開閉方法なんか知らない」
嘘か本当かは知らないが、彼の声音はいたって真剣だった。戸惑っていたが、しばし触れる肌の心地良さに身を任せることにする。
——どうやって寝台を降りて服を着れば良いのか、という問題は、先送りされただけで解決してはいないが。
私は彼の胸に額を当てる。
あったかい、という声は、果たして私の口から出たものか、彼の口から出たものか。
『寒い』(完)




