「帰るぞ」(2/2)
なるほど、星を見ようというのは口実ではなかったらしい。
まるで降るような満天の星を眺めながら、私は痛いくらいに鳴る心臓と戦っていた。
ベネディクトの寝室のうちの一つ、案内された部屋には大きなベランダがある。いつもは窓が閉められ、遮光の重いカーテンが閉められているのだが、今はどちらも開け放たれていた。そしていつもは置かれていない大きなソファが置かれている。ベネディクトに促されるがままに連れられ、こんなところに座らされているが、正直に言えば普通に歩けているかどうかすら不安だった。
「飲むか?」
星を見るためか、灯りはほとんど消されていたが、部屋の入り口近くの灯りだけ残されている。最初は彼の姿も何も見えなかったが、しばらく座っているうちに目が慣れて、彼の輪郭も表情も見えるようになっていた。
彼に差し出されたグラスを、最初は断ろうとして、やはり手に取った。少しだけ口をつけてから、しばらく手の中でもてあそび、やがて一気にあおった。わずかに口の中が熱くなったが、だからと言って全く酔える気はしない。ベネディクトはそんな私を見ていたが、空になったグラスを取り上げて床に置いた。
「大丈夫か?」
「…………何が?」
「アルコール。水でも持たせようか」
言われて、首を横に振った。
「大丈夫」
「そうか」
彼はそう言うと、視線を空に向ける。
黒く黒く、どこまでも深く吸い込まれそうな夜空に、これでもかというほどに敷き詰められた星々。新月だと言っていたし、屋敷の外の明かりも消しているらしい。いつもの何倍もの光が見える。ベネディクトが何も言わなくなってしばらく経つと、まるで自分も夜の中に溶けていくような気分にもなった。微かに吹く風が心地良い。だが、この息苦しいような緊張感を拭ってくれるほどではない。
突然、彼の手が触れてびくりとする。彼の指は私の手、いや、手首に巻かれたブレスレットにかかっていた。指先で弄ぶように銀の鎖を揺らす彼の手を見ていると、やがて彼の声がした。
「ソフィアは私と結婚して財産を手に入れることに、興味はないのだろうな」
静かに発された、唐突な言葉。
何を答えれば良いのだろう。それとも、私の返答を必要とする言葉ではないだろうのか。手首に触れる彼の指先が気になって、考えがまとまらない。
確かに、私は財産を手に入れることに興味はない。正直にいうと、魔女である私が人間と正式な婚姻関係を結べるとも思っていなかったから、そういう意味では結婚にも興味はなかった。母親も色々な男性と恋仲になっているが、結婚したと聞いたことはないし、他にも魔女が人間と結婚をしたという話を聞いたこともない。
きっとベネディクトなら、私が望めば正式な婚姻の手続きを踏んでくれるだろう。だが彼の考える結婚と、私の考える結婚は、本当に同じものなのだろうか。
「前に、金でも宝石でもソフィアの愛は買えないと言っていたが」
彼はそういうと、ゆっくりと距離を詰めてきた。ソファに膝をつき、ほとんど私の上に覆いかぶさるような体勢で、真正面からこちらの顔を覗き込んでくる。呼吸が届きそうなくらいに、顔が近い。私は知らず、息を止めていた。布ごしに触れる彼の体温が、熱い。
「私はソフィアが欲しいな。――どうしたらいい?」
心臓が一気に跳ね上がった。
最後は疑問形だが、彼は答えを欲しているのだろうか。
片手で頭を抱えるようにして髪に口付けて、頬に口付けて、それから唇にキスされる。腰に手を回され、腰を、背中を、それからうなじを撫でられる。彼の指が首の後ろで止まっていたホックにかかると、首元を覆っていたレースが外れた。さらりと布が流れ、彼は露わになった首筋と、胸元にそっと唇を落とす。
全身を強張らせたまま、私はからからに乾いた口を開ける。
「それなら」
私が呟くと、ベネディクトは動きを止めた。じっと私の次の言葉を待っているようだった。
「……私にも、ベネディクトをくれる?」
ふっと吐息が首にかかる。彼はどうやら声を出さずに笑ったようだった。どのくらいそうしていただろう。ベネディクトはゆっくりと体を離すと、私の目を見た。暗い中でそこまで見えるのか不思議だが、彼の青い青い瞳の中に私がいるのが見える。
彼はとても可笑しそうな顔をしていた。楽しくて仕方がないとでもいうように目を細めてから、私の頬を両手で包む。そして何度も唇をついばむようにしてから、深く口付けられる。
彼は私の耳たぶを噛むと、耳元で吐息のような声で、いいだろう、と言った。
「私は、ソフィア・メーヴィス・レインのものだ」
そういうと、ベネディクトは私の首筋に甘く噛み付いた。
『帰るぞ』(完)




