シンボリズム(1/2)
アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。
彼は、こだわりの多い人間である。
まず食べ物にこだわる。食材は、行商人が運んできた新鮮なものの中から、自ら選び出す。そして、それを使ってシェフに料理を創らせるのだ。献立や調理過程に口を出す事は稀で、出来た料理に文句をつける事もないが、そもそも彼は、自分が才能を認めたシェフしか雇わない。
また、着るものにもこだわる。彼は自ら布を買いつけ、様々な職人に服を仕立てさせる。袖を通すのは、その中でも自分が気に入ったものだけだ。後は全て、その辺に立っている使用人だか護衛だかにあげてしまう。抜群に顔もスタイルも良い彼のために仕立てられた服が、その辺の人に似合うとも思えないが、高価なものだからだろう。貰った人は非常に感激している。また、彼は書斎にいる時にはだて眼鏡をかけ、実験を行う時は必要がなくとも白衣を身につける。細剣を佩く時は前髪を後ろに撫で付けているし、女と一緒のときは何故か髪を後ろでひとつに結びたがる。まったく理解は出来ないが、本人に言わせればその方が気分が出るらしい。
一方で、形式には全くこだわらない。
古くからあるしきたりなどに何の意味も見出していないし、社交辞令など時間と言葉の無駄だと思っている。どんなに正式な式典に招待されても、自分に似合わないと思えば正装などしないし、空々しいだけの挨拶回りなどしない。貴族に対する手紙だろうと彼女にあてる手紙だろうと、一意であり、かつ簡潔な言葉を使った読みやすい文章がベストだと考えている。
——考えているだけならまだ良いのだが、彼の場合は実際に、貴族に対して「了解しました。アルフレド・ベネディクト・ベラスコ」とだけ書いた手紙を返信して激怒されたという過去がある。文面よりも署名の方が長い手紙を書ける人間など、彼以外にいるだろうか。以来、手紙は屋敷の人間に書かせるようにしているらしい。
ちなみに先日、珍しくも外出していた彼が私に宛てた手紙には、ただ一言。
「朝から雨だ」
——だからなんだ。
***
「私がソフィアの愛を買うには、幾ら払えば良い?」
この男は、何を言い出すのだろう。
ビーンズのシチューを口の中に入れたまま、私はベネディクトを見返した。彼はいたって真面目な顔でこちらを見ている。私は唇に挟んだままだったスプーンを抜くと、ゆっくりと咀嚼した。ごくんと飲み込んでから、匙を彼に向ける。
「愛がお金で買えると思ってるあたり、腐ってるわよ」
「地獄の沙汰も金次第だろう」
「そうかしら。幾ら金を持っていても、ベネディクトみたいなのは絶対に地獄に落ちると思うけど」
そう言って私がシチューを口に入れると、彼は無言で皿を取り上げた。そしてそれを、私の鎖が届かない所においてしまう。
「ちょっと」
「ソフィアの黒髪に似合う、ダイヤの首飾りを作らせようか」
唐突な台詞。
彼は手を伸ばすと、自然な動作で指に私の髪を巻きつけた。警戒していなかっただけに、思わず体がびくりと反応する。いきなり何をするのだろう。驚いている私をよそに、白く細い指はゆっくりと黒髪を弄ぶ。
「ちょっと、何のつもり?」
普段のベネディクトは、私に触れるどころか近づくことすら稀である。普通ならばそれを紳士的だと表現するのかもしれないが、彼の場合はどうだろう。毎日のように同じ部屋で過ごしていても、彼が私に向ける視線は女に対するそれではないのだ。
だが、今は。
彼は真っ直ぐに私を見つめていた。彼の瞳の青には、湖の底から太陽を見上げた時のような、水面の美しさがある。透明な水の煌きを透かしたような青。がらにも無く心がざわめいて、私は息を止めた。
何度見ても——というより、彼という人間が分かっていても——思わず見惚れてしまう、秀麗な顔がすぐ傍にある。壁を背にしているため逃げる事も出来ず、私はひたすら固まっていた。彼の指に遊ばれ、さらりとゆれる黒髪が自分の頬を掠める。熱を感じないはずの髪が、指先の熱に焦がされる。
「宝石では不服なら、そうだな。ソフィアのために家を建てようか。一軒でも何軒でも」
それにしても、真摯な視線とこの軽い台詞のギャップは何だ。
いや、これが普通の男から言われた台詞だったならば、熱烈なプロポーズと取ったかもしれない。が、何せ相手はベネディクトである。体は壁に背を押し付けるように固まったままだったが、幾分、冷静になった気分で言葉を返した。
「家を貰ったくらいで、ベネディクトに惚れるわけはないでしょ」
「ならば、私が死んだら私の財産の全てをソフィアに譲ろう」
「は?」
「どうせ私の寿命は短い。跡継ぎがいるわけでもない。全てソフィアに譲って良い」
確かに人間の寿命は私の寿命に比べれば半分以下である。彼が死んだ後も、私は長く生き続けるだろう。ベネディクトの財産がどの程度あるのかなど想像も出来ないが、私が死ぬまで遊び続けることが出来ることは間違いない。
彼の言葉の意図が汲み取れないまま、私は呆れた顔を作った。
「だから、お金なんかで愛を買えるはずが無いでしょ。私はそんなに安くないわ」
「ならばこのシチューでは?」
どうして全財産の次がシチューになるのだ。
私のため息から、気持ちを読み取ったのだろう。彼は「それは残念だ」と言った。そして肩を竦めると、あっさり私から離れる。ベネディクトとの距離が開き、強張っていた体の力が一気に抜けた。
それを少しだけ、本当に少しだけ残念だと感じてしまったのは、我ながらどういう感情だろう。わけのわからない気分で彼を見ていると、ベネディクトは引っ込めていたシチューを私の前に戻した。そして、普段どおりの淡々とした口調で続ける。
「まぁ、実のところ、愛を買う必要など無い。ちょっとした尊厳だけ売り渡してくれれば良いんだが。——幾らで売る?」
「そんなもの、もっと売れるわけないじゃない」
訳が分からず、眉根を寄せる。
だいいち、先ほどから金金と言っているが、私はベネディクトに買われた身なのだ。ずっと鎖に繋がれたまま、屋敷に外に出ることすらできない。そんな私が金を受け取ったところで、いったいどうしろと言うのだ。
「要するに、何が言いたいわけ」
「つまり」
彼は私の手から匙を取り上げると、私のシチューを食べた。そして一言。
「結婚して欲しいんだが」
——どうしよう。本気で意味が分からない。