「帰るぞ」(1/2)
「帰るぞ」
いつもながらの急なベネディクトの号令により、私たちは急遽、屋敷に帰ってきていた。馬車に積んでいる衣服が足りなくなったのか、論文が足りなくなったのか、単に家が恋しくなったのかは知らない。ただ、二日後にはまた馬車に乗ると宣言していたので、別にこれで旅が終わりだというわけではないらしい。
ベネディクトに買われてこの屋敷に連れてこられてから、まだ一年と経っていない。だが、すっかり我が家という気分になっていた。泥だらけだった絨毯は全て張り替えられているようだし、各々の部屋の中はわからないが、見た目では綺麗な屋敷に戻っていた。ベネディクトも修繕具合を確かめているのか、廊下を歩きながらも視線をいろいろな場所に走らせている。
「外に出てるのに、体調を崩してないじゃない」
私の言葉に、彼は首をかしげた。
私がこの屋敷に繋がれている間、彼は外に出かけるたびに熱を出していたのだ。体が弱いせいで日光や外気に弱いのかと思っていたが、今はいたって元気そうに見える。
「これまでは外出するときは、王宮や貴族の屋敷や国の役所に呼ばれて、面倒な人間に会う必要があったからな。アレルギーかな」
「あれるぎー?」
「それに馬車での移動も苦手だったが、今回はソフィアも一緒だからか苦ではないな」
私の問いかけは完全に無視されたが、さらりと言われた言葉に私は嬉しくなる。一緒にいることで、少しは彼の力になれているのだろうか。そう考えたのだが、ベネディクトの言葉がここで終わるはずがない。
「うるさいくらいに話しかけてくるからな。車酔いする暇もない」
ああそうですか、すみませんね。私は口を尖らせる。
ベネディクトは軽く肩をすくめると、だが疲れたと言えば疲れたな、と言った。
「しばらく部屋で休む。夕食は一緒にとろう」
そう言って部屋に消える。私も久しぶりのシャワーを浴びてから、部屋に戻ることにした。確かにずっと馬車で揺られているのは、彼でなくとも疲れる。まだ昼食も食べていない時間だが、久しぶりの自分の寝台に入れば、眠れそうな気がした。
***
ベネディクトは夕食を一緒にとろうと言っていたため、夕方までは眠れると思っていたのだが。私はまだ陽の高いうちに、部屋を訪ねてきた見知らぬ人々に叩き起こされていた。
「……どちら様ですか?」
「失礼します。お着替えの手伝いに来ました」
にっこりと口元だけで笑った男性と、頭を下げた若い女性。彼らはたくさんの荷物を抱えていた。男性は私に服を見せると、ベラスコ様に頼まれて来ました、と言う。よくわからないが、ベネディクトの命であれば抗っても仕方があるまい。――寝起きの不機嫌な私にすら、そう思わせるベネディクトは本当にすごいと思う。
私は嘆息しながら、部屋の中に彼らを招き入れる。
男性に手渡されたのは淡いブルーのドレスだった。足元まで隠れてしまうような長い裾に、肩のないデザイン。体に沿うような細身のものだ。彼の好みなのか、それとも私に似合わないからかは知らないが、ふわりとした可愛らしいドレスにはまずお目にかかったことはない。
眠い目をこすりながらも、とりあえず服を着替える。首元は上の方まで繊細なレース細工で覆われていたが、少しも苦しくない。最近では、採寸することもなく、最後に裾の長さや体の周りを調整するまでもなく、ぴたりと体に合うようになっていた。それだけベネディクトが私の服を作らせたということだろう。
服を着ると二人がかりで念入りに化粧をされ、髪をアップに整えられ、イヤリングと、それから手首にはブレスレットをつけられた。何重にも巻かれた細い銀色のそれは、私を繋いでいた鎖を思わせる。ドレスもアクセサリーも、ベネディクトが選んだのだろうから、本当に鎖のつもりなのかもしれない。そう思うと、少しだけ笑える。
ちょうど支度が終わった頃に、使用人から呼び出される。
夕食は食堂でとるようだった。テーブルには皿やシルバーが準備されている。ベネディクトは自室で食べることも多かったが、調理場にも近いここは、できたての料理をこちらの食の進み方を見ながら提供できるところが良いらしい。席に案内されると、こちらもタキシードで正装したベネディクトがやって来たところだった。
彼が入って来ただけで場の雰囲気が華やかになるのは、きっと私の気のせいではないだろう。いつもながらの完璧な扮装は、なんならキラキラとした後光が差して見えるし、聞こえるはずのない入場ファンファーレまで聞こえて来そうだ。貴族たちが、こぞって彼を自身が主催するパーティに呼びたがる理由が分かる。これが黙って座っていてくれるなら、黙って立っていてくれるなら、もっと重宝されるのだろうが。
彼は私の目の前に座った。
そして私の格好を一通り見てから、首をかしげる。また何か髪型や化粧やドレスのダメ出しをするつもりかと思いきや、彼は使用人が注ぐシャンパンをグラスに受けながら言った。
「眠そうだな?」
「おかげさまで、この格好をするために深い眠りから叩き起こされたわ」
「なるほど。その甲斐はあったな」
「かい?」
「似合ってる」
短く言った彼に、私は目を瞬かせる。
私のグラスにもシャンパンが注がれ、それから前菜が運ばれてくる。乾杯をしてから黙々と食事を進める彼に、私も食事をしながら聞いた。
「二人で夕食を食べるためにわざわざこんな格好をしてるの?」
「せっかく久しぶりに屋敷に帰って来たんだ。こちらの方が雰囲気が出るだろう」
なるほど、屋敷の外ではかっちりとした格好をして食事をとることなどそうはない。たまに貴族の屋敷に呼ばれて行ったが、そこでは食事を取るというよりは酒を片手に談笑する、というスタイルが多いらしい。たまにはコースで食事がしたくなったのかもしれない。
ふーん、と適当な相槌を打っていると、彼は青い瞳をこちらに当てて、口元だけで笑った。
「――それに、どうせ脱がせるなら、綺麗な格好の方がいい」
持っていたナイフとフォークが皿に落ちた。
大きな音がして、パスタのソースがテーブルクロスに飛ぶのが分かる。私は慌てて落ちたシルバーを揃えて、ドレスに染みができていないか確認した。淡い色のドレスだから焦ったが、見た目で汚れているところはなさそうだ。
え、何か言いました?
ベネディクトを見ると、彼はグラスに口をつけているところだった。こちらの手を滑らせておいて、彼は全く他人事である。私の視線に気づくと、彼は憎らしいほど美しい顔で小首を傾げた。
「今日は新月だ。食事が終わったら、私の部屋で一緒に星でも見ようか」
そんなことは、せめて食事が終わってから言って欲しかった。
せっかくの美味しい食事なのに、全く味がわからなくなってしまったではないか。




