「私だ」(2/2)
どうやらとことん偉そうなベネディクトのことを、本当にどこかの偉い人だと思ったらしい。断るとまずいことになると思ったのか、それとも礼というのに期待しているのか。何にせよ、すんなり中に案内してくれて、すぐに厨房に火を入れてくれる。その様子は、まるで愛想の良い宿の店主だ。 もしかしたら、ベネディクトのような金持ちや貴族などの偉い人がこうして訪ねてくることは、平民たちの間ではままあることなのだろうか。
「まあまあだな」
夜中に家人をたたき起こしてスープを作らせておきながら、彼の言った言葉はそれだけである。後はもくもくと食事をして、食べ終わると疲れたから部屋に案内してくれと言う。本当に、なんて非常識な人だろうと思う。
ここの家族はさぞや嫌な思いをしているだろうと思いきや、彼らは手渡された銀貨に笑いが止まらないような様子だった。確かに、ベネディクトの礼は一般の人には大金だろう。一宿一飯でこんな金がもらえるのだと考えれば、幸運といえば幸運なのかもしれない。
男は上機嫌で、使用人や護衛たちのためにと自分たちの寝室まで譲ってくれ、その上で、ベネディクトと私を二階の客室に案内した。客室にも掃除の手が行き届いているし、長い間使っていなかったというような感じもない。わりあい客の多い家なのかもしれない。
ベネディクトは部屋の中を見回して、面白そうに言った。
「はじめに見たときは納屋かと思ったが、ちゃんと人間が暮らせているんだな」
失礼極まりない言葉に、私は慌てて振り返ったが、既に部屋のドアは閉められている。階段を下りていく足音もしているし、家主には聞かれなかっただろう。ほっと息を吐こうとした私だったが、別のことが気にかかって息を止める。
当然ながら部屋に置かれた寝台は一つである。そして綺麗に並べられた枕は二つ。――いったい私はどこに寝れば良いのだろう。
「どうした?」
「……わたし、奥さんだと思われているのかしら」
ベネディクトは首を傾げた。
「さあ。そうかもしれないし、愛人かもしれないし、恋人かもしれない。その辺で買った女かもしれない。それが?」
それがどうしたと言われても困る。
――確かに、私だって別にどう思われていようと構いはしない。構うのは、寝るところがそこしかないという事実だ。屋敷にいた時には、同じ部屋に繋がれていても別のベッドに寝ていたし、彼は大怪我をしたということもあるのかもしれないが、相変わらず私に触れることすら稀である。たまに、思いついたかのようにキスを落としてくるが、私はそれだって未だに心臓が止まりそうになるのだ。
ベネディクトはそんな私の考えに気づいているのかいないのか、静かな視線をこちらに向けていた。私はいったい、どうしたら良いのだろう。立ち尽くしていると、やがて彼は少しだけ首をかしげた。
「はじめに言っておくが、傷はまだ痛むし、医者からも極力動くなと言われている。そうでなくとも、こんな粗末な雰囲気のカケラもない場所で、ソフィアに手を出す気にはなれないな」
相変わらず、白黒のはっきりした男である。
いつもなら苦笑するところだが――今の私には、はっきり言ってありがたかった。いや、私にもわかっている。私はどうやらベネディクトのことが好きだし、彼もどうやら私のことを特別だと思ってくれているようだ。彼が私を求めてきてもおかしくないし、そうなったら私も応じるだろう、と思う。が、男女の仲というものがどんなものか、私は美しい物語の中でしか知らない。心の準備は、いつだってできそうにない。
「ソフィア」
名前を呼ばれて、はっとする。急に抱きすくめられる体勢になり、私はびくりと体を震わせた。そのまま、どうやったのか足をかけられ、体勢が崩される。気づくと寝台に押し倒されていた。目の前にベネディクトの秀麗な顔があり、私は息を止める。
「ちょ……っと」
「そんなにホッとした顔をされると、少し困るな。私に抱かれるのは嫌なのか?」
そんなことを真顔で聞かないでほしい、と心底思う。
だが、彼はじっとこちらの返答を待っている。私は口を開けたが何を言って良いのかわからず、結局、首をぶんぶんと横に振った。それを見て、彼の口元がわずかに笑んだのが見えた。
「ならいい」
彼はそう言って、私の口を彼の唇で塞いだ。深く口付けられる。そのまま、しばらく私の体にのしかかるようにしていた彼だが、やがて顔を上げた。窓の外からうっすらと差し込む光を、彼は目を眇めて見た。
真夜中に料理を作ってもらったり、食べたりしているうちにすっかり朝日が昇ってしまったらしい。
「おはよう。せっかくの寝台だ。少しくらいは寝るとしようか」
『私だ』(完)




