ミーイズム(13日目&15日目)
さて。また一日分、日記が開いてしまった。風邪がぶり返したのだ。
ほとんど病気などしない私にとっては、たかが風邪でも人生の重大事件である。
ベッドに体を横たえ、額に冷たいタオルを乗せられていると、何だか明日にでも死を迎える病人のような気分になってくる。重たく砂が詰まったみたいな体。寝返りをうっただけでがんがんと痛む頭。これは本当に治る病気なのだろうか。もしや、難しい病気にでもかかったのではなだろうか。これまで生きてきた十六年間を振り返り、まだまだやりたいことがあったのに――なんてことを、半ば本気で考える。
そんなときは、ベネディクトの声も、優しく聞こえるから不思議である。
「眠った方が良い。睡眠が何よりの特効薬というからな」
彼はそう言って、額のタオルを変えてくれた。
私はぼーっとする頭で、彼を見上げる。いつもは寝込んだベネディクトを見下ろす側だから、下から彼の顔を見上げているのは何だか不思議である。それに体調が悪くて心細いからだろうか。いつになく彼の存在を心強く感じる気がした。
「眠くないもの」
「眠れないときは、羊を数えれば良い」
意外と可愛いことを言う。
持ち上げたシーツの下でくすりと笑った私に、彼は首を捻った。
「――と言うが、どうして羊なんだろうな?」
はい?
「数を数えるという単調な行為によって眠気を誘うというのは分かるし、まあsheepという単語が発音しやすいのは分かる。だが別に羊じゃなくても良いはずだ」
そこまで聞くと、やはりいつものベネディクトだった。
――と言うか、そんなことを真顔で聞かないで欲しい。一応、私は病人なのだ。
「羊が一番、よく眠れるんじゃないの」
「そうでもない。ヤギとかうさぎとかあるぱかとか色々と試してみたが、どれも大差なかった」
「……試したの?」
「ああ。ただ、手近なところで執事を数えてみたが、これは逆に眠れなくなったな。どうも実際の顔が浮かぶのは良くないらしい。だいたい、執事が一匹と言ってよいものか、それとも執事が一人と数えるべきなのか、そこから迷うからな」
はあ、と言うしかない。
もはや言い返す気力も無い私に対し、彼はずっと羊だとか執事だとか淡々と語っていた。ぐるぐると回り続ける単語にめまいを感じ、私は控えめに声をかけた。
「ねえ、やっぱり眠くなってきたみたい」
「そうか、おやすみ」
ようやく静かになった。おやすみなさい。
*15日目
さすがに三日も安静にしていれば、風邪も良くなる。
ベネディクトは彼なりに私のことを心配してくれていたのか、それとも単に私を呼びつけられなくて暇だったのか、私が寝ている間はほとんど私の部屋で読書をしていた。最初は、看病してくれるなんて意外と優しいところもあるなんて思っていたのだが、喋り始めると数時間ほど一人で喋っている――正確には喋りかけているのだろうが、私は途中から相槌を打つ気もうせた――のだ。
ありがた迷惑とはこのことである。
さて。今日は体調もすっかり良くなったし、最近、屋敷に住み始めた生物について語ろうと思う。
そいつの名前は「あるぱか」。あるぱかという動物にあるぱかという名前を付けて呼びかけるのは、飼っている猫に「ねこ」と名前を付けるようなものではないだろうか。どう考えても、おかしなセンスである。私はそう言ったが、ベネディクトは意に介さなかったようだ。
「名前とは、要するに個体を識別するためのものだ。この屋敷には人間がたくさんいるからそれぞれを名前で呼んでいるが、あるぱかはこの屋敷に一匹しかいない。わざわざ名前を付けて識別する必要があるのか?」
そう言われると、取り立てて言い返すほどの理由は見つからない。
というか、もしもこの屋敷に人間が一人しかいなかったら、彼はそいつを「にんげん」と呼ぶ気だろうか。――ベネディクトならばやりかねない、と思いながらも私は肩を竦めて聞いた。
「だいたい、どうしたのよ、これ」
もこもことした白い毛に覆われたそれは、まるで置物のように大人しく部屋の中央に座り込んでいた。平和そうな顔に、平和そうな姿。動物がいきなり人間の屋敷に連れてこられたら、多少なりとも身構えて良さそうなものだが、彼からは警戒心の「け」の字も感じられない。長い首に鎖を巻かれていることに気づいているのかさえ疑問である。白い彼は、大きくあくびをした。
「拾った」
「……拾うわけないでしょ、こんなもの」
「そう言われても、道で拾ったんだからしょうがない」
彼はそう軽く言ったが、猫を拾ってくるのとはわけが違うのだ。その辺にこんなものがうろついているとは思えない。だいたい、私は見たことが無かったが、これは野生に生息している動物なのだろうか?
私の質問に、ベネディクトは「まさか」といった。
「あるぱかは家畜用だからな。そもそも、この大陸には生息していない」
「なんでそんなものが、道に落ちてるのよ」
「さあ」
首を傾げた彼に、私はため息をつく。
「だいたい、なんで拾ってきたの?」
「シェフ達が喜ぶだろうからな」
私が視線を向けると、あるぱかは大きくのびをしているところだった。――そんな平和そうな顔で和んでいる場合じゃないと思うわよ。私は心の中でそう言ったが、もちろん、通じるはずもない。
「……美味しいの?」
「さあ? この文献によれば、食用ではなく、専ら毛を刈って織物を作るのに使用する動物らしい。刈り取るまでは毛が伸び続け、二年ほどで地面に届くほどに成長すると書かれているが、一生、刈らなければどんな姿になるんだろうな」
彼は資料らしきものに目を落としながら言った。彼が興味を持つのは専ら医学や物理学だと思っていたが、意外と生物学にも興味があるらしい。――もしくは、どうやって食べようかなんて物騒なことを考えているのか。
私はぶるりと体を震わせた。
「それ、試してみたら? そんなに毛が長くなったら、面白いじゃない」
というか、食べるよりはずっと良いはずである。
この愛嬌のある姿を見て、どうしてシェフが喜ぶなどと考えるのかがベネディクトの理解しがたいところである。
彼は小さく首を傾げていたが、やがて頷いた。
「別に面白いとは思わないが、どこまで毛が伸びるのかは興味があるな」
こうして私は、私を噴水に突き落として風邪をひかせた動物の命を救った。
我ながら心の広い魔女である。




