カニバリズム
アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。
彼にとって、他人が定めた法など何の意味も持たない。
彼とて一市民、一国民である以上、市長や国家の決めた法には従わなければならないはずだが、彼がそんなものに縛られることは無い。まず、この国には人身売買禁止の法があるらしいが、彼は人どころか、魔女ですらあっさり買い取ってしまう。また、国で定められている錬金術禁止の法や私的な場での賭博禁止の法も、彼の辞書の中には書いていないようである。
同時に、彼にとって他人の常識など何の意味も無い。
早朝だろうとシェフをたたき起こしてデザートを作らせるし、深夜だろうと人を招いて演奏会を開くし、真昼間だろうと気にせず眠り続ける。食事中に会話をするのは非常識だとされているが、彼は食べ物を口に放り込んだまま、気にせず喋り続ける。また、彼の立場を考えれば妻の二人や三人、最低でも婚約者の一人や二人くらいはいて当然であり、彼の年齢で未だ妻帯していないのはかなりの非常識なのだが、結婚の「け」の字を考えている気配すらない。
同様に、他人にとっての禁忌が、彼にとっても禁忌になりうるのかどうか。
——正直、自信が無い。
***
「魔女と人間の一番の違いはなんだと思う?」
彼が唐突にそう言ったのは、テーブルに並べられた、とても食べきれないと思うほどの量の料理を格闘している時のことである。ベネディクトは早々に食事を切り上げて、食後の紅茶を飲んでいた。彼はシェフに山ほど料理を作らせるくせに、自分ではほとんど食べない。いつも、もったいないので私が食べるハメになる。
「食欲なんて言ったら怒るわよ」
「魔女の方が食欲旺盛だという話は聞いたことがないが」
彼は手の中のカップを優雅に傾けながら言った。いつ割れてもおかしくないような薄手のカップは、それだけで家が建つほどの値段らしい。私が同じようなカップにヒビを入れたとき、その場にいた使用人たち全員が悲鳴をあげたのだ。以来、私には使用人が使用しているものと同じ、安物の食器を出してくれと懇願してある。
「私も聞いたことはないわ。ベネディクトが少食すぎるのよ」
「私は私に必要な熱量を摂取しているだけだ。不足しているわけではない」
「じゃ、必要な量だけ作らせれば良いじゃない。いつもこんなに余らせてどうするの」
「メーヴィスが食べるだろう」
確かにいつも私が食べている。食べ物を残すなどという概念がないのだ。普通の人間ならば、目の前に置かれた食べ物を捨ててしまうなんて、そんな罰当たりなことはできないだろう。おかげで最近ではだいぶ太ってきたような気がしていた。
ため息をついた私を無視して、ベネディクトは話の続きを促してきた。
「食欲は種族差ではなく個体差だろうな。他には?」
「魔女と人間の一番の違いでしょう? 寿命が長いことかしら」
人間の寿命が六、七十年であるのに対し、魔女の寿命はおよそ二百年。十五・六年ほどで大人と変わらないほどに成長するのは人間と同じだが、若い女でいる時期が抜群に長い。二百年のうち、百五十年ほどは若い女の姿である。だからといって、怪我をしないわけでも病気をしないわけでもない。倒れる時は倒れるし、死ぬ時はあっさり死ぬ。その辺は人間と全く変わらない。
だが、人間は自分が老いていってもなお若い姿で時を止めている魔女を見て、不老不死であると誤解する。だからこそ、古くから魔女は人智の超えた存在だとして崇め恐れられてきたのだ。魔術を使えるとさえ信じられてきた。が、もちろん魔術など使えないことはご存知のとおりだろう。そんなものが使えたら、今頃こうして鎖に繋がれていたりはしない。
「違う」
「ちがう、って正解があるの?」
ベネディクトの言葉に、私は疑わしげに眉を寄せる。そんなものに明確な順位などつけられるはずもない。所詮はベネディクトの主観ではないだろうかと思っていると、彼はあっさり頷いた。
「正解があるかは知らないが、私は違うと思っている。魔女と人間の一番の違いは、魔女からは魔女しか生まれないことだ」
「魔女から男が生まれないってこと?」
「そう。魔女には牡という性別がないため、魔女は人間の男と交わることでしか、子孫を残すことができない。その上、半分は人間の血が混ざっているにもかかわらず、生まれる子供は全て魔女になり、男は生まれない。おかしいと思わないか?」
彼はそう言ったが、私の感覚では魔女が人間の男を産む方がよっぽど違和感がある。言いたいことを理解できずにいると、彼はそんな私が理解できないように首をかしげた。
「生物として非常に不完全な存在だということだ。自分たちの種だけで繁殖できないんだからな。普通の生物は子孫を出来るだけ多く残そうとするが、魔女の場合は子をなせばなすほど種の存続が危うくなる。なにせ、男が生まれなければ、繁殖相手がいなくなるんだからな」
種の存続だの繁殖だのと難しいことを言われたところで、いまいちピンとこなかった。だが、私の理解が追いつかないことなど、彼にとっては何の障害でも無いのだろう。生返事しか返せない私に対し、彼は饒舌に言葉を続ける。
「だから、魔女は黒髪黒目なのではないかと私は思っている。魔女にとっても人間にとっても、両者の見分けがつかなければならないんだ。魔女と人間の女が全く同じ姿をしていれば、人間の男は知らないうちに魔女と交わり魔女を生む。男女比が崩れ、気づけば魔女だらけになっている可能性もあるからな。だが、だからといってあまり人間と異なる姿にしてしまうと、男も抱こうという気にはならないだろう。もしも交尾が可能だったとして、ボノボを抱こうと思うか?」
そんなことを真顔で問われても困る。私は人間でもないし、男でもない。だいたい、ボノボとはなんだ。聞き返す前に、彼は勝手に言葉を継ぐ。
「——だから魔女は大前提として美しい女性の姿をしている。それでいて人にはない黒を使って強烈な違和感を覚えるように計算してある」
ベネディクトは私の黒い瞳を覗き込むようにして言った。
確かに魔女と人間を見分ける一番の方法は、髪の色と瞳の色だった。人間の髪には茶色や赤毛、金髪など色々あるが、真っ黒な髪をしたものはいない。瞳の色も同じで、人は様々な色の瞳を持っているが、黒色をした人間はいない。それは、人によってはひどく違和感を覚える姿らしく、地域によってはひどい差別もあると聞く。だが反対に、艶やかな黒髪や、濡れたような黒い瞳に魅入られてしまう人間もいるらしい。
「ベネディクトも違和感があるの?」
「いいや。所詮、魔女と人間は違う生物なんだ。メーヴィスだって、目の前の馬が黒色だろうが栗毛色だろうが気にしないだろう」
「魔女と馬を一緒にしないでくれる?」
「同じことだ。要するに、相手を自分と違う存在と認識しているかどうかだな」
そう言って、ベネディクトは楽しそうに笑った。
「ただ、気にする人間が多いからこそ、魔女は長命なのだと思っている。ただ寿命が長いということだけではなく、成人した期間がほかの生物と比べて異様に長いんだ。成人した期間——子供を産める期間が長いということは、裏返すとそれだけ子供を産むのが難しいということになる」
相変わらず、なんでも理詰めで考える男である。
魔女として生まれた私だって、魔女がなぜ長命なのか、人間と違うのか、考えたこともなかった。人間というのは、そこまでして自分と違う生物を分析したいのだろうか。彼が特別であると思いたいが、彼が山ほど持っている論文には、山ほど魔女に関する記述があるらしい。存外に暇な人間が多いのかもしれない。
「そんなことまで、ベネディクトの読んでる”論文”に書いてあるの?」
「いいや。魔女について研究している学者はいるが、魔女の進化について書かれたものは見たことがないな。論文には、生態や効能について記載されているものが多い」
「効能?」
意味が分からず、眉を寄せる。魔女の生態ならばわかるが、魔女の効能とはなんだ。彼は、例えば、と前置きしてから、とんでもないことをさらりと言ってきた。
「長命とされている魔女の血を飲むと、長生きできるらしい」
「はあ!?」
「魔女の血や涙に万病に効く成分があるとかないとか書いてある。他にも、魔女を抱けばどんなに老いた男でも精力が回復するとか、魔女の肉を食べると不老不死の体を手に入れることができるとか、そんな論文を発表した学者がいるんだが、どう思う?」
そんなことを真顔で聞いてくるから怖い。
「その学者、頭がおかしいんじゃないの」
「頭がおかしかったかどうかは知らないが、三十歳そこそこで病に倒れた。魔女の血にも魔女の肉にも出会わなかったらしいな」
「それは何よりね」
ため息をついた私を見て、彼はくつくつと笑った。そして、思い出したかのように余った料理をこちらに押しやってくる。
「メーヴィスはもう少し太ったほうが、食べごたえがありそうだな」
「食べごたえ!?」
持っていたスプーンが、皿の上にがしゃんと落ちる。
驚いた私を、彼は楽しそうに眺めている。冗談なのだろう。冗談だと思う。が、果たして彼は冗談をいうような人間だろうか? 慌てて頬に手を当てると、ここに連れてこられた時よりうっすらと肉がついているのを感じた。もしかして、彼が多めに料理を作らせているのは、私を丸々と太らせるためではないだろうか。
「ねえ、そのふざけた論文を信じているわけじゃないわよね?」
「もちろん」
即答されて、ほっと息をついた。のも束の間。
「私は自分で実証したもの以外、信じないことにしている」
「実証!?」
思わず声をあげた私を見て、彼はまた笑った。
こちらの反応をいちいち楽しんでいる彼を見て、冗談なのだろう、と私は思う。これは彼なりの暇つぶしなのだ。悪趣味であるが、相手が彼であればさほど驚くことでもない。そうだと思いたい。が。
とりあえず痩せよう、と密かに心に決める。
命に関わる。