ミーイズム(5日目)
彼は昨日買った水晶玉を書斎に飾った。が、それを覗き込む気配は全く無かった。既に興味を失ってしまっているのだろう。いつまでも覗き込まれていても気持ち悪いが、だからと言ってすぐに用済みになってしまっても水晶玉さんに申し訳ない。魔力を封じられたと言う大魔女も、魔力を封じたと言う大賢者もきっと嘆いているはずだ。
――もちろん、信じているわけではないが。
さて、今日の彼は珍しくやる気があるようだった。
朝早くから一番近くの町にいる楽団を探させて声をかけさせると、夜に屋敷にある劇場でコンサートを開くという。コンサートと言っても、観客は僅か一人。私だけである。どうしてそこにベネディクトがいないかと言うと、彼は舞台に上がって演奏する側だからだ。彼は音楽鑑賞よりも演奏する方が好きらしい。
「……ねえ、こんなに広いのに観客は私だけなの」
広い部屋の中央にぽつんと置かれた椅子。私はそこに座り、複雑な顔つきで準備を進めている楽員たちを見回した。ベネディクトはホールの右端で、使用人が持ってきた数種類の楽器の前に、腕組みをしている。どの楽器を弾こうか決めかねているのだろう。
「フルートの気分じゃないな。ヴィオラにするか」
床に置かれた楽器のどれかを指した言葉だろうが、私にはヴィオラというものがどんな楽器なのか想像も出来なかった。私が見ている前で、彼はヴィオラ――どう見てもバイオリンにしか見えないそれ――を拾い上げると、ようやく質問に答えた。
「私はただこれが弾きたいだけだ。見物人が必要なのか?」
「でもせっかく、こんなに本格的な楽員がそろってるのに」
単なる練習ならばもちろん観客などいらない。だが、舞台の上に上っている人々は優に三十人以上はいるだろうか。一楽団が丸ごとそろっているのである。楽器もきちんとそろっているし、着ているものも立派だ。名のある楽団なのだろう。きっと、こんな少ない観客の前で演奏したことなど無いはずだ。
私の言葉に、彼は不思議そうに首を傾げた。
「それが?」
何が問題なのだと言外に訴える彼に、私はため息を漏らした。楽員たちの胸中は何にせよ、彼は自分の腕前を人に見せびらかしたいとか、自分の演奏を聴いて欲しいとか、そんな感情は無いらしい。私の反応を見て、彼はまた首を傾げる。
「よく分からないが、なんなら今から観客を雇っても良いが」
「……なんで観客からお金を徴収するんじゃなく、観客にお金を渡すのよ」
「手っ取り早く人を集められるだろう」
それはそうだろうが、そんなことをすれば常日頃からお金をもらって演奏している楽員たちの矜持が傷つくに違いない。顔を強張らせているようにも見える団員たちから視線を外して言った。
「別にベネディクトが良いなら良いけど……それなら無料で解放すれば、人は集まるんじゃない?」
「そうか?」
彼はそう首をかしげると、使用人を呼び出し、その辺の人間に適当に声をかけるようにと言った。その面倒くさそうな物言いにはどちらでも構わないという様子がありありと出ていたが、緊張した面持ちで頷いた青年はそうは取らなかったらしい。是が非でも人を集めなければ、という悲壮感を漂わせて足早に広間を出ていく様子を視線で追い、ちょっとだけ申し訳なかったかなと反省した。
使用人の頑張りがあってか、夜になると大広間にふさわしいほどの人が集まっていた。半分が屋敷に勤めている使用人や護衛たちだが、後の半分はほとんど人前に姿を現さないベネディクトを一目見たいと集まった近くの村の人たちだろう。彼らはとても幸運だった、と私は思う。こんな本格的な音楽などほとんど耳にしない私にさえ、素晴らしいと分かる演奏だったのだ。その中で彼らは、ベネディクトの姿に魅了され、そして彼の奏でる音楽に魅了された。
煌びやかな楽団の中にいても、ひときわ目立つ存在。
異様なほどの存在感を放ち、「浮いている」とさえ思えるほどに目を引く存在。
それがベネディクトである。ただし、目立つのは外見だけであり、彼は一度きりの練習で、全体に調和する一つの音を奏でていた。一流であるであろう楽師たちと、完全に息を合わせて演奏している。
たまにこうした格好良さを見せるから、詐欺だというのだ。
彼が楽しそうに音楽を奏でる姿を見ていると、ぐらりと地面が揺らぐ感じがした。




