ヒロイズム(13/13)
「さて、行くか」
ベネディクトはそう言うと、庭に用意した馬車を見た。
白い大きな幌のついた四頭立ての馬車は、襲撃されたときに乗っていたものである。内装は相変わらず豪奢なもので、最高級の絨毯の上にはソファの他に、寝台や本棚まで運び込まれている。本やら着替えやらはたくさん入っているものの、食料や水を詰め込む様子はない。
「ねえ、食べ物とかはどうするの」
「買えば良いだろう」
「お金は?」
「金か」
思いついたように言った彼に、そこはかとない不安を感じた。彼と一緒に旅になんか出て、本当に大丈夫なのだろうか。頭が良いのは間違いないが、私よりもずっと世間知らずに違いないし、何よりこれまで屋敷の外で苦労をしたことがあるようには見えない。
ベネディクトは少し考えるようにして、腕を組んだ。
「実のところ、金なら腐るほどある。しばらくは、先日売ったキャエリーの絵画の代金で暮らせるし、困ったら他の絵画でも、鉱物でも土地でも山でもなんでも売ればまとまった金になるからな」
そういえば山を持っている男だった。先日の貴族は、屋敷や金庫を襲撃されたベネディクトはもはやただの人だとほくそ笑んでいたようだったが、実のところ彼はそれくらいでは痛くも痒くもないらしい。
「それに父の遺産は、ほとんどが金庫の中でなく埋蔵金なんだ」
「埋蔵金って?」
「埋蔵金といったら埋蔵金だ。庭に埋めてあるらしい。仮に盗人が押し入ってきたところで、五重の金庫の中に大量の金があればさすがに庭を掘り返そうとまでは思わないだろう、と考えたらしいな。しかも、それを死ぬ三分前まで息子にも言わないんだから、守銭奴っぷりも徹底している」
彼は苦笑しながらそう言うと、まあしばらくは掘り起こす必要もないだろうが、と言った。さすがと言うべきか当然と言うべきか、ベネディクトの父も屋敷を襲撃されることくらい予測していたらしい。父も彼も何度も殺されそうになったことがあると言っていたし、もしかしたら彼らにとって今回のことは、特別な大事件では無かったのかもしれない。——こんな騒ぎが日常茶飯事であると言うのなら、私の心臓がいくつあっても足らないが。
なんにせよ、金はあるに越したことはないが、あれば良いというものでもない。私は控えめに提案をすることにした。
「いくらお金があっても、食べ物と水くらいは持ってた方が良いんじゃない? お店が無い場所もあるし、閉まっている時もあるから、いつでも買えるとは限らないし。お水は、場所によってはとっても貴重だから、譲ってくれないかもしれないわ」
「なるほど。それもそうだな。用意させよう」
彼はそういうと、控えていた使用人たちに準備を始めさせた。
どうやらベネディクトには人望があったらしく、ぼろぼろになった屋敷とベネディクトを見て、給金は要らないからこれまでの恩返しをしたいと屋敷の片付けを始めてくれた使用人たちも少なからずいたのだ。ベネディクトの体調を管理していた医師も残っていたし、そんな彼らと主人に料理を出そうと腕をふるってくれた料理人もいた。
だが、ベネディクトは金の絡まない関係というものをまったく理解出来ないらしく、しばらく奇人でも見るかのような目で彼らを見ていた。屋敷で雇っていた半数の人間は、襲撃してきた領民たちと一緒にどさくさに紛れて金目のものを持ち出して逃げたから、彼の認識もあながち間違っているわけでもない。が、全員が全員、そうした人間ばかりでもないということだ。
ベネディクトは彼らに無償で働いてもらった後、改めてこれまでの給金以上の金を払って彼らを再雇用したらしい。随分と数は減ったが、そもそも多すぎて持て余していたのだから、ちょうど良い機会だったと彼は言う。
なんにせよその内の数名が、馬車の御者や護衛や身の回りの世話役として旅にも同行してくれるというから、私も少しは安心していた。冷静に考えてみると、ベネディクトと二人で外に出るなど無茶にもほどがあったのだ。
必要なければ指一本たりとも動かしたくない人間である。馬車の運転や食料や水の調達、衣服の洗濯などを彼が行うとも思えないし、そもそも屋敷の外に暮らす一般市民とまともな会話が成立するとは思えない。
そんな私の心配など、彼は全く気づいてはいないのだろう。ベネディクトはいつになく楽しそうな顔で、行き先を口にする。
「まずはどこに向かおうか。ラオヌの天文台は向かうだけで二週間以上はかかるが、近くにナマカサ遺跡もあるから行ってみる価値はあるな。サンマルコの海底鍾乳洞も見てみたいんだが、なにせ海の中だ。泳いだことはないが……海の塩分濃度は約3.4パーセントだったか。私の体が浮くほどの浮力はないが、泳げるかな? 先に塩分濃度が30パーセント以上あるというゴラ塩湖に行って、泳ぐ経験をした方が良いだろうか」
疑問系にも聞こえるが、きっと独り言なのだろう。聞いたことのない単語と理解できない言葉を並べられても、私にどうすることもできない。だいたい、荷造りをして今から行くぞと言った後に、行き先を考えるというのはどうなのだろう。普通は場所に応じて必要な荷物が変わってくると思うのだが。
そうは思ったが、ベネディクトの行動にいちいち疑問を持っていては進まないだろう。これからしばらく、一緒に旅をするのだから。そんな諦めにも似た気分と、言い知れぬ不安感——それから自分でも不思議なのだが心躍るような期待感、それぞれを持ちながら私はベネディクトの言動を黙って見守る。
やがて彼は眩しそうに眇めた瞳で青い空を見上げてから、私を見た。
「ソフィアはどこにいきたい?」
彼の宝石のような青い瞳が、ソフィアを射抜く。口元に楽しそうな笑みを浮かべて、子供のような顔で言う彼に、ふいに私はめまいに似たものを感じた。そしてある確信を得る。
——完全に、私は彼に囚われているのだ。
それを恋というのか愛というのかは知らないが、とっくの昔に私は彼に囚われていた。まるで鎖でぐるぐる巻きにされているかのように、彼から逃れられないのだ。
私は、見えない鎖に引かれるようにして彼の手を取る。
彼は面白そうに私を見る。
そして私の指先を持ち上げると、そこにそっと唇を落とした。
『囚われの魔女とベネディクトイズム』に最後までお付き合いいただきありがとうございました。少しでもお楽しみいただけたのでしたら何よりです。よければ一言でも残していってくだされば励みになります。
(2021/4/1追記) 続きに、番外編と後日談を追加します。番外編は、しょうもないベネディクト観察日記、後日談は彼らのその後を少しだけ書いたものになります。もし、興味のある方がいらっしゃいましたら、しばしお付き合いください。




