ヒロイズム(11/13)
私は全員が部屋から出て行ったのを確認して、ようやくソファに飛びついた。ベネディクトは首に負った怪我を右手で押さえ、体の方はぐったりと力なく背もたれに体重を預けていた。男達と喋っているときは凛として見えたが、彼らの姿が見えなくなると、途端に弱弱しく見える。
「大丈夫? 血は止まってるの? 痛む? 気分は悪くない?」
矢継ぎ早に言った私に、彼は無言で頭を傾けてきた。
「ちょっと……」
彼は首を片手で押さえながらも、中腰になった私の肩口に頭を乗せた。怪我の具合を確認したかったが、動くと傷口に障りそうで怖い。
「痛いに決まっている。それに血が足らないな。ぐらぐらする」
辛そうな彼の言葉に、私は何を返せば良いのか分からず、彼の背中にぎこちなく手を回した。子供をあやすように、背中を撫でる。それで痛みが和らぐとも思えなかったが、傷を診ることも出来ない私にはそれくらいしか出来なかったのだ。
「早く、医者に診せないと」
「この騒ぎで、医者が残っているかどうかはわからないな」
「……探してくるわ」
「外はまだ大勢の人がいる。迂闊に出ない方が良いだろう」
彼の言葉に、私は逡巡する。言っていることはわかる。屋敷に押し入った民衆は、今は略奪に必死になっているようだが、いつ気が変わるとも限らない。それに、医師が屋敷に残っている保証もないし、そもそもその医師が味方かどうかわからない。だが、このままでベネディクトは大丈夫なのだろうか。
そんな私の思いを読んだかのように、彼は言った。
「大丈夫だ。死ぬような出血でないのは自分でわかる」
私は少しだけ迷ってから、部屋を見回す。そして、ベネディクトに断ってから、慎重に彼の体をソファの背に預ける。私が部屋の隅に置かれた棚の上のタオルを取りに行くと、彼は傷口を押さえていた掌を外した。血まみれの肩口にすっと走った傷。深さはわからない。だが手を外してもどっと血が出ることはなく、私はそっとそこにタオルを当てる。ベネディクトが痛みに眉を寄せるのが見えたが、血が止まるようにぐっと力を入れた。
「痛い」
「自分で押さえた方が楽?」
「いいや。そのまま押さえておいてくれ。こちらの手が疲れた」
そういうと、ベネディクトは押さえていた方の手を開いた。その手は小さく震えていたが、ぐっと指を握り込むとその震えは止まったように見える。彼はしばらくその血のついた拳を見下ろしていたが、やがて疲れたように手を下ろし、ふっと目を閉じた。
「命を狙われたことは何度もあるが、今回はなかなか大がかりだったな。おかげで、自分の命の値段が随分と高くついた」
命はお金では買えないと言いたかったが、実際にベネディクトと私の命は金で助かったし、私なんてこれまでも何度もベネディクトに金で買われている。ベネディクトにとっては、本当に金で買えないものなど何もなかったのかもしれない。そう考えると、私は、急に不安になった。何せ彼は、生まれて初めて一文無しになってしまうかもしれないのだ。
「どうするの……? これから」
「とりあえずは、新しく医師でも雇うか」
「そうね」
彼の返答は私の意図した質問に対するものではなかったが、まだ先のことを考えられる状況ではない、ということかもしれない。しばらく、彼は力なくソファにもたれかかったままだった。眠ってしまったのだろうか。そう思えるくらいの時間がたってから、柔らかい声が聞こえた。
「ソフィアの体は私の体温より冷たいはずだが、今は温かいな」
急にそんなことを言われてどきりとする。私は彼の傷を押さえるためにかなり彼に近づいていた。同じソファに座り、腕や膝が彼に触れている。
「寒いの?」
「いいや。……いや、やっぱり寒いな」
出血もあるし、体が冷えているのかもしれない。慌てて何か体にかけるものを持ってこようと腰を浮かしかけた私の腕を、彼の手が掴んで引いた。意外と強い力に態勢を崩し、彼の体の上に覆いかぶさりそうになる。
「ちょっと」
「痛い」
彼は思わずといった声をあげていた。慌てて彼の傷口に当たらないようにとかばったが、衝撃はあったはずだ。私はとっさにごめんと言ったが、そもそも彼が引っ張ったのだから謝る筋合いなどない気もする。何するのよ、と言いかけた私の背に、彼の両腕が回る。
「あったかい」
耳元で彼の声がして、私は固まった。
彼は私の体をあったかいと言ったが、やはり彼の体温もあったかい。緊張に強張った私の体が、じわりと溶けていくような、そんな気分になる。
彼はしばらく動かず黙していたが、やがてぽつりと言った。
「屋敷の修繕や掃除のことを考えるのは面倒だな。元どおりになるまで、しばらく旅にでも出ようか」
「たび?」
おおよそ出不精の彼の口から出たとは思えない単語に、私は思わず目を丸くする。
「外出は好きではないが、いつか行ってみたいと思っていた場所はいくつかある。ソフィアと一緒なら、退屈しなくてすみそうだ」
さらりと言われた言葉にどきりとする。
「ふたりで行くの?」
「ああ」
彼は両手でそっと、私の頭を包むようにした。いつもは温かい指先が、今はひんやりとして冷たい。驚く間もなく、彼は私の頬に顔を寄せた。冷たい唇が額に当てられ、それから唇に重ねられる。触れるか触れないかくらい。だけど、火を飲み込んだみたいな熱さが、体中をめぐっていた。
「ついてくるだろう?」
絶妙なタイミングで重ねられた問い。
彼は、実はすごい女たらしなのではないだろうか。私はまともな思考を働かせる余裕もないまま、返答を口にしていた。




