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囚われの魔女とベネディクトイズム  作者: 空色ねずみ
本編
5/88

ペシミズム


 アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。


 彼は意外にも、厭世的な人物である。

 金と暇を持て余していながら、ほとんど自分の城から出ることは無い。こまごまとした買い物は使用人たちが行うし、自分の欲しいものがあれば、屋敷に商人を呼ぶ。会いたい人物がいれば相手を呼びつける。意外と厭人的でもある彼が会いたい人物といえば、彼が気に入った論文の著作者だとか、新大陸や未開の地を目指して旅をする航海者たちだとか、そのくらいのものだが、それでも自分で会いに行ったりはしない。女が欲しい時も、女に金を渡して屋敷に呼んでいる——らしい。考えたくも無いが。

 

 彼の屋敷の中には、世界中の本をかき集めた書斎があり、様々な楽師や芸人を呼べる劇場があり、運動が出来る巨大な室内演習場がある。ベネディクトのお気に入りの芸術家達の作業室や、有名な画家達が描いた絵などが飾られた美術館のような部屋もある。

 庭には、魚も泳ぐ人工的な小川があり、美しく形の整えられた草木があり、色とりどりの花が咲き誇る大きな花壇がある。噴水が透明な空に向かって透明なしぶきをまく。配置や配色の妙か、庭自体が一つの芸術作品のように完成されていた。

 

 彼の世界は、彼の屋敷の中だけで完結しているのだ。


***

 

 宙吊りの痛みに耐えながら、私は足元を見下ろす。

 あと十数センチなのだ。もう少しで、つま先が地面につけられる。だが、あと十数センチがどうしても届かない。左手につながれている鎖は、バルコニーの端に引っ掛かっているのか、少し揺らすくらいでは外れそうになかった。というか、少し揺らすだけでも左手に激痛が走るこの体勢からでは、軽く引っかかっているだけだとしても外せるとは思えない。


 ——こんなはずではなかったのに。そう考えながら、今度はバルコニーを見上げる。腕に付けられた鎖は、庭に降りられるだけの長さは十分にあったはずだった。木を伝えば、安全に庭に降りることもできるはずだったのだ。が、バルコニーの出っ張りにでも鎖が引っかかったのか、急に鎖が短くなったことで体勢を崩して木から落ち、左手一本で宙づりにされて今に至る。


 よっぽど私の運が悪いのか、何なのか。

 腕にかかる痛みとともに鎖を見つめていると、鎖に対する怒りまでわいてくる。なんて頑丈な鎖なのだろう。私の体重すべてをかけても、切れる気配はない。そもそも、どうして私が鎖でつながれなければならないのだろう。枷がなかったとしても、これだけ使用人や護衛が多いこの屋敷から逃げられるとは思えないのだ。逃げ出せたとしても、屋敷の周りは高い塀に囲まれている。門には門番がいる。空を飛べるわけでもない私を鎖でつなぐ必要性がどこにあるというのだろう。

 だいたい、私は悪いことなど何もしていない。どうして、こんな屋敷に閉じ込められなければならないのだ。


 考えれば考えるほど、理不尽である。

 本来ならば、小さな村で、貧乏ながらも普通の生活をしていたのだ。今よりもずっと粗末な服を身に着け、粗末な食事をしていたが、別段、それを苦しいと思ってはいなかった。それが普通だと思っていたからだ。みんな、生きることには苦労しているのだ。額に汗して懸命に働き、必要な家事をこなすことで、ようやく一日を生きる事を許される。

 そんな生活はベネディクトなどには欠片も理解出来ないだろうが、生きるという事は、本来ならば非常に辛いことなのだ。 それを考えると、ベネディクトと言う人間の存在じたい、甚だ理不尽である。

 

 痛みから逃れるようにそんなことを考えていたが、やがてそんな場合ではないと思い直す。左手は血が止まって真っ赤になってしまっているし、このまま体重を支え続けていると左手首を脱臼してしまうかもしれない。左手だけで全体重を支え続けて、もうどれくらい経つだろう。そう長い時間ではないかもしれないが、私にとっては永遠に近しい時間だった。そもそも転落した際に手首に負荷がかかった事によって、骨折まではしていないと思うが捻挫しているのは間違いない。

 

 とはいえ、素直に助けを呼べないのが私である。

 屋敷の人間に助けを求めれば、すぐに二階まで引っ張り上げてもらえるだろう。屋敷には大勢の人が働いている。ちょっと声を上げれば気付いてもらえるだろうし、私の体重を引っ張り上げるくらいの人間はすぐに集まる。

 が、ベネディクトに知らされることは避けられないだろう。ベネディクトに内緒で、と言って、屋敷の人間が聞いてくれるとは思えない。私を助ける前に、真っ先に彼のもとに走るに違いないのだ。こんな姿をしているところをベネディクトに見られでもしたら、末代までの恥である。

 それにこの格好を見れば、私がベネディクトから逃げ出したくて、ベランダから脱走をしたと思うのではないだろうか。彼のもとから逃げ出そうとした。彼が私を見てそう考えたとき、どんな反応をするだろう。怒るだろうか——それとも。

 またしても思考に沈んでいると、頭上で足音がした。

 

「それは楽しいのか?」

 

 まさしく、聞きたくなかったベネディクトの声だった。思わず声の方を仰ぐと、二階のバルコニーにベネディクトの顔がある。

 

 彼は、綺麗な金髪を後ろで一つに結んでいた。男にしては長めの髪ではあるが、一つにまとめるには無理がある。ばらばらと無造作に頬に落ちる髪は、妙な色気を感じさせた。白いシャツのボタンも、上から二つほど留まっておらず、異様なまでに白い肌が太陽に透かされる。鎖骨がいやに目に付いて、わたしは眉根を寄せる。

 女と一緒にいたのだろう、と思う。彼は女を呼ぶときには髪を結びたがる。


「楽しいわけないじゃない」

「何をやっている?」

 

 それを最初に聞いてもらいたい。

 いや、普通の人間ならば、はじめの台詞は「大丈夫か?」のはずだ。

 

「足を滑らせてそこから落ちただけ。助けてよ」

「ここから足を滑らせて落ちた? それは随分な才能だな」

 

 手すりをなでながら、わざとらしく驚いた顔をして見せた彼に、私は顔をしかめた。

 確かに、しっかりとした高さのある手すりがあるバルコニーから足を滑らせる人間など、普通はいないだろう。私だって苦しい言い訳だとは分かっている。そんな私をベネディクトはまじまじと見下ろしていたが、助けてくれる気配は全く無い。

 

「腕が抜けそう」

「それは見ごたえがありそうだな」

 

 何だその返しは。

 

「変態」

「今の格好だけを見れば、誰が見てもレインの方が変だと思うだろうがな」

 

 そうだろうか。可憐な少女が片手一本で宙吊りになっているのだ。同情を誘いこそすれ、変態だと思う人間などいるのだろうか。それよりも、そんな可哀想な私を無表情で見下ろしているベネディクトの方が、間違いなく変態である。ついでに言えば、真昼間から女を連れ込んでいる彼の方が変態である。


「どうしてここがわかったの?」

「庭師が飛んできた。使用人たちも騒いでいたが」


 要するに、私の宙吊りになっている姿は丸見えだったということだ。助けを呼ぼうか呼ぶまいかと考えていた自分が馬鹿みたいである。顔を赤らめた私に、彼は冷静な言葉を投げつけてくる。


「脱走でもしようと思ったのか? 鎖をつけたまま?」


 そういった彼は、別段、私の行動を面白がっているようにも、馬鹿にしているようにも見えなかった。もちろん、ショックを受けたようにも見えない。ただ純粋に、疑問に思ったことを聞いただけ、という顔でこちらを見下ろしてくる。


「まさか。ただ、庭に出たかっただけよ」


 私の言葉に、彼は目を瞬かせる。

 

「何をしに?」

「何って、こんなに屋敷に閉じ込められてたんじゃ、ちょっとは外に出たくなるでしょ」

 

 ベネディクトは不思議そうな顔で首をかしげる。

 が、そんな顔をされても困る。本当にただ、庭に降りてみたかっただけだったのだ。高価な絨毯ではなく、たまには緑の芝生を踏もうと思っただけである。気晴らしに外に出たいと思うのが、そんなに変なことだろうか。

 聞きたいのはやまやまであるが、そんなことよりも腕の痛さが限界である。


「ねえ、助けてくれる気はないのかしら」

「その格好も似合っているが」

「だから何なの」


 そう言ってにらみ上げると、彼は軽く肩をすくめた。それから、彼が呼んだ護衛たちによって、私はようやくバルコニーに引っ張り上げられる。どうでも良いが、屋敷に数多くいる彼の護衛は、こういう時にしか活躍しないのではないだろうか。ベネディクトがほとんど外に出ないため、彼らが外に出るのを見たことも無い。こんな厳重な管理のされた屋敷の中では、騒動など起こらないだろう。


「腫れてるぞ」

 

 ベネディクトは無造作に私の手首を触った。痛みに眉を寄せると、彼は驚いたように眉を上げる。彼は慌てて使用人に医者を呼びに行かせると、大げさに処置をさせた。

 人の痛みなど意に介さないだろうと思っていただけに、意外な一面を見た気がするが、温室育ちの彼はちょっとした怪我に対しても大げさに受け取るのだろう。医師はただの捻挫だと言ったのだが、彼はまるで骨折をしたときのように腕に包帯をぐるぐる巻き、肩から吊らせた。

 私は腕をなでながら首をかしげる。


「ベネディクトは、どうして外に出ないの」


 彼は外出するのが稀であれば、庭に出ている姿を見ることですら稀である。鎖で繋がれているわけでもないのに、彼は常に屋敷の中で過ごしている。


「どうして外に出る必要があるんだ?」

「どうしてって、たまには外に出ないと体が腐るわよ」

「非科学的だな。外には、悪魔やら色々な病気やらが蔓延しているだろう。屋敷の中にいるのが一番安全だ」

「どっちが非科学的なのよ。でも、私を買いに来た時は外にいたじゃない」

「お陰さまで、あれから二日間寝込んだ」

 

 ひ弱すぎる。

 優遇されすぎた生活をしているから、こんなにひ弱なのだ。

 そう考えながら、どうりで姿を見せなかったはずだ、とようやく納得した。買われて鎖に繋がれたまま、彼はしばらく姿を見せなかったのだ。彼が私の存在を思い出したのは、私を屋敷に連れてきて三日後。その時には、気まぐれな彼は私に対する興味をとっくに失っているようにみえた。おかげで解剖をまぬがれたのかもしれない。

 


 ちなみに、数日後。

 彼はぶつぶつと文句を言いながらも、久しぶりに家を出た。

 王様に呼び出されたんだと言っていたが、私は屋敷に繋がれていたのでそれが本気なのか彼の冗談なのかどうかは分からない。何にせよ、帰ってくるなり、今度は三日間ほど熱を出して寝込んだあたり、決して彼の話は大げさではなかったらしい。

 しばし床に伏した彼は、私を部屋に呼びつけ絵本を読ませた。

 私はベネディクトの母ではない。そうは思いながらも——青白い頬に薄っすらと紅を乗せて眠っている彼の顔は、意外と可愛い。

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