ヒロイズム(8/13)
剣を持って向かい合っているこの状況で、悠長に手当てなどさせてはくれないだろう。私は冷たく感じる自分の指先を握り込んで、上体を起こした。ベネディクトは私をかばうように立ったまま、軽く剣先を動かす。
「何故、黙って突っ立っている? 言いたいことがあるのなら言えば良いし、私を殺すつもりならかかってくれば良い。それとも、奇襲が失敗したら打つ手なしか?」
ベネディクトのその言葉を挑発ととったのか、護衛だった男は口元をゆがめた。どこか悲愴な顔をして、ゆっくり首を振った。
「べラスコ様には本当に世話になりました。ここで雇っていただけなければ、私も、私の家族も生きてはいなかったかもしれません。だからせめて、一撃で仕留めて差し上げたかったのですが」
「それはありがた迷惑というものだ。私は死ぬときはゆっくり死にたい。恐怖や痛みを受け入れながら、徐々に体と心の機能が死んでいく様を感じるのが楽しみなんだ」
「それなら、出来るだけ期待に添うように努力しましょう」
「いらぬ世話だな。わざわざ剣で切り刻まれなくても、いずれ人は老いて死ぬ」
護衛の言い分も、ベネディクトの言い分も、どこかずれている気がするのは気のせいだろうか。何を言っているのか、私には全く理解できなかった。護衛は、剣を構えながら言う。
「大人しく剣を渡してはくださいませんか。べラスコさまが趣味として剣技を嗜んでいることは存じておりますが、護衛として剣を取ってきた私に勝てるとは思わないでしょう」
「あいにく君の腕は知らないが、これまで無数にあったチャンスを全て見逃して、結局私を殺すことすら出来なかったということを考えると、たかが知れているな。私だったら、とっくに私を殺せている」
挑発、と聞こえたが、ベネディクトは単純に考えを言っただけだろう。だが、護衛の方は、矜持を傷つけられたかのように、顔色を変えた。
「殺すことが出来なかった、とは、まだ分からないでしょう」
男は強張らせた顔でそう言うと、床を蹴った。一足でベネディクトの目前まで距離を詰める。私は思わず身を引いて、ベネディクトから距離をとった。再び、剣と剣のぶつかり合う音が響く。
「いつから私を狙っていた?」
ベネディクトは顔の側を通った剣先を紙一重でかわしてから、一息で言った。声を出しながらも、手にした細剣を巧みに操る。細腕にも関わらず、重さを感じてるようには全く見えない。軽やかな動きで、相手を翻弄し、隙を付こうとする。
だが、相手もさすがにプロである。練習や試技でしか剣を持ったことの無いベネディクトと違い、彼は剣の扱いには慣れているのだろう。ベネディクトの攻撃は全てかわされ、すぐに反撃してくる。
「ほんの数時間前ですよ!」
「なに?」
「信じていただけないかもしれませんが、それまではあなたを殺そうなんてこれっぽっちも考えたことがなかった。恩人に剣を向けるような真似は、本来ならば出来ないでしょう」
ベネディクトの剣がはじかれ、剣先が窓枠にぶつかる。一拍遅れて、ガラスが割れる大きな音が響いた。ばらばらと落ちてくるガラスの破片が、床に落ちてさらに小さな破片となる。ベネディクトが、痛みにか眉根を寄せるのが見えた。
押されているのだろうか。はらはらとベネディクトの動きだけを見ている私には、どちらが強いとか弱いとかは分からなかったが、ベネディクトの息が上がっているのだけは分かる。体力が無いせいなのか、それとも首に負った怪我のせいなのか。何とかしたかったけれど、何も出来ることがない。無力な自分を思い知らされるかのように、ベネディクトの短い声が耳を打つ。
「ソフィア、邪魔だ」
声に押されるようにして、二、三歩下がる。
ベネディクトは、荒いと感じられる息と共に言葉を吐き出した。
「数時間前と言えば、馬車が襲撃されたときか。平民達に何か言われたのか?」
「いいえ、彼らじゃない。オスカー侯爵様ですよ!」
「オスカー?」
ベネディクトの怪訝そうな声が聞こえる。
オスカー侯爵といえば、ここ一帯の領地を所有する貴族の名だ。一市民であるベネディクトにとっては、自分を統治する人間ということになる。もちろんベネディクトと仲が良いわけはないが、特段、悪いとも聞かなかった。
男は、攻撃の手を緩めないまま、大きな声で言った。
「べラスコさまが魔女を連れてきたせいで、人々が不幸になっている。今の不作も魔女のもたらす災厄の一つだし、放っておけばもっと酷いことが起こる。オスカー侯爵様はそれを憂いていらっしゃるのです」
「オスカーがそんなことを憂うとは、それこそ天変地異の前触れだな。それで? 私の首に懸賞金でも出したか」
「べラスコさまが亡くなれば、べラスコさまの財産は全てオスカー侯爵様のものになる。私たちが納めている年貢の何十倍にもなるでしょう。だから、べラスコさまを殺せば、一年間、全村人の納税を免除すると約束してくださいました」
「なるほど」
ベネディクトはしばし、考えるように言葉を切った。だが、その間も攻撃の手は緩まない。彼は攻撃を受け流しながら、真顔で呟いた。
「さほど巧い嘘とは言えないが、民衆を騙すにはこれくらい単純な方が良いということか。そこまで計算していれば、相手もまあまあ頭が良い」
それこそ計算しているのだろうか。独白するように言われた言葉は、逆にどんな言葉よりも強く耳の中に入ってきた。数時間前まで護衛としてベネディクトに仕えていた男が、驚いたように目を大きくするのが分かる。
「嘘ですって?」
「当然だろう。私が死ねば、財産はオスカーのものになる? まさか。そうだとしたら、オスカーはとっくの昔に私を暗殺しているはずだ。だいたい、オスカーは民の暮らしを憂うような男ではないし、不特定多数の領民なんかに私の殺害を頼むほど自暴自棄な人間でもない。そんなことが露見すれば、破滅するのはオスカーの方だからな」
「ですが、オスカー侯爵さまからの使いが、ちゃんと」
「ふん。いかにも貴族の使いらしい立派な人間が家の紋章付きの書状を抱えてきたのだろうが、そんなもの、私にだって偽造できる」
ベネディクトの言葉に、男はあからさまにうろたえた。
だが、振り上げた剣を収めることは考え付かないのか、彼は攻撃をやめようとはしない。そのとき、階下でガラスの割れる音と、使用人のものだろう、女性の悲鳴が聞こえてきた。私はびくりと体を震わせる。庭にいる民衆達が屋敷に乗り込んできたのだろうか。護衛の男も、びくりと体が震えたように見えた。
「だが、嘘だとしたら、誰がそんなことを」
「それこそ、レーゼルたち他の貴族の仕業だろう。私を始末して、その責任を全てここの領民達かオスカーになすりつけるつもりだ」
なんのために、と彼は口にした。もはや、男の声も攻撃も、力をなくしているように見える。ベネディクトはその隙を狙ったのか、一気に男との距離を詰めた。次の瞬間、完全に覇気をなくしていた男の手から、剣がはじけとんだ。顔の前に突きつけられた剣先に、青くなるのが見える。
「なんのために? さあ、それは私が聞きたいくらいだ」
ベネディクトの言葉の末尾にかぶさる様に、「いたぞ!」という太い声が廊下に響いた。階段を上ってきたのは、兵士でもなんでもない、普段は農作業に精を出しているのだろうと思われる平民達である。高価な絨毯の上を、泥が付いたままの汚い靴が踏みにじる。彼らが手にしている斧や鋤は、何故か剣や槍などよりもずっと恐怖を感じさせた。
「魔女も一緒だ! 殺せ!」
叫び声のように発された言葉に、私の体は凍りつく。
彼らの憎悪の対象は、ベネディクトではなく本来は私なのだろう。それを考えると、ここから逃げ出したい気がしたが、彼らの鋭い視線に縛られて、私は目を逸らすことすら出来なかった。




