サバイバリズム(1/2)
アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。
彼の屋敷には、大勢の人間がいる。
まず住み込みで働いている使用人と通いの使用人が大勢。彼らはベネディクトの身の回りの世話や、大きすぎる屋敷の清掃や、備品の交換などを行なっている。ベネディクトの与える破格の給金を目当てにやってくる使用人の数は多いが、ベネディクト一人でさほど多くの部屋や食器を汚せるわけもなく、多くの使用人達は少ない仕事を取り合いながら争うようにベネディクトの世話を焼いている。
それから、ベネディクトに腕を買われて雇われた料理人達や、芸術的な庭を維持するための庭師達。彼の体調管理を行う医師達。それから彼の持つ雑務をこなす執事達。彼らは使用人達に比べると、まだ仕事はある。料理人はベネディクトだけでなく、屋敷で暮らす大勢の人々の三食の世話がある。食材の手配なども行わなければならない。執事はベネディクトが所有している土地や建物の納税等の各種手続きを代行するほか、毎日のようにやってくる来客の対応や毎日届く手紙や贈り物の整理にてんてこまいである。
ほかに、ベネディクトの屋敷に居を構えて研究をする研究者や、学者や、芸術家や音楽家などの卵もいる。彼らはベネディクトから金銭的な支援や衣食住の世話を受けながら、芽が出る日を夢見て日々精力的に活動をしている。
そして、護衛達。彼らはベネディクトが屋敷の中にいても、二、三人は必ず側に控えている。が、彼らは剣を履いているが、彼らがそれに手をかけたところなど見たことがない。屋敷の外ではもしかしたら大活躍なのかもしれないが、ベネディクトが外に出ることは稀である。まあ、いざという時の保険というところか。
最後に、私。与えられた服を着て、与えられる食事を食み、眠くなったら与えられたふかふかの寝台で眠る魔女。客観的にみると、愛玩動物以外の何者でもないような気がする。
ちなみにベネディクトはこれで、独り暮らしだと思っているらしい。少しは他人に感謝するということを覚えれば良いと思う。
***
「今日は熱が36.8度ある。断ってくれ」
ベネディクトはソファにふんぞり返った姿勢のまま、そう言った。
ここは彼の寝室である。彼は五つほどの部屋を寝室として使用しているが、私から見るとどこがどう違うのかさっぱり分からなかった。部屋の大きさも変わらないし、置いてあるものや配置もさほど変わらない。ベッドもソファも同じもののように見えるから、五部屋もある必要は無いのではないかと思うのだが、ベネディクトは毎晩のように使う部屋を変えていた。今日いる部屋は、書斎に近い部屋である。
「それ、人間としては平熱じゃないの?」
「私の平均体温は36.7度だ」
0.1度の差が何だというのだろう。
そうは思ったが、彼の体が弱いのは事実である。無理をして倒れられても困るし、そもそも彼が客人と会おうが会うまいが私には何の関係も無い。私は何も言い返さずに、彼と、彼の前に立つ使用人とを見比べた。
青い顔をして立っているのが使用人であるのは、つい先日、執事が全員辞めたからだ。理由は知らない。お陰で、今まで執事が対応していた客人との取次ぎも、今は使用人がその役をこなすはめになっている。
「分かりました。体調が優れないから、と断っておきます」
「ああ」
直角に頭を下げる使用人に、ベネディクトは鷹揚に応じた。早足で出て行った使用人を見送りながら、ベネディクトは論文をめくる。
「最近、客人が多い気がするのは気のせいかな」
確かに訪ねてくる人は多い気がする。だが、それは執事が辞めたせいではないかと思っていた。これまではこの屋敷に長く勤めていた執事が適当に対処して帰していた客も、今は全てベネディクトに通されているというだけではないか。
そんな思いもあり、私は問いを返す。
「それより最近、この屋敷を辞める人が多い気がするのは気のせいかしら?」
「辞める人間が多いのは、今に始まったことではないが」
「でも、執事さんも全員いなくなっちゃったし、護衛も二人出ていったでしょ。使用人も減った気がするし。ベネディクトが追い出したの?」
「ふうん。どうりで最近、執事の顔を見ないと思った」
全く答えになってない返答をした彼は、ちょうど昼食を運んできた使用人の一人に目を留めた。普段は使用人の顔など見ない彼の視線に、見られている若い女性は明らかに顔を赤らめて動揺した。長年、屋敷で働いて彼を見慣れている使用人でも、ベネディクトに見つめられると平常心を失うらしい。とたんに危なげになった手つきで食器を並べている彼女を見て、ベネディクトは真顔で言った。
「確かに、彼女の顔も見たことがないな。新しく雇った女性か?」
「彼女は私がここに来たときからずっといるわよ」
ベネディクトの言葉にショックを受けた使用人の顔と、私の言葉を完全に無視した彼は、無言で目の前に置かれたスープに匙をさした。トマトがベースとなった赤いスープからは、ハーブの香りが立ち上っている。遅く起きたベネディクトに合わせて先ほど朝食を食べたばかりだが、温かいスープと焼きたてのパンの匂いはそれなりに食欲をかきたてる。私は、足首につけられた鎖を引きずりながらテーブルについた。
私の食事の時間は、完全にベネディクトが「食べたいとき」である。彼は平気で丸一日眠ったり夜中に活動したりするような人間なので、食べられる時に食べておくというのが、この屋敷で生きていくための秘訣である。私が食べようとした瞬間、それに水を差すかのような声が聞こえた。
「美味しくない」
スープに一口、口をつけたベネディクトが顔を顰めるのが見える。
彼は確かに食べる物にこだわりをもっているが、シェフの作った料理にケチをつけることはほとんどない。私は首をかしげてスープを口に運んだが、普段と変わらない味であるし、いつもどおりにちゃんと美味しい。
「美味しいと思うけど?」
胡椒の利いたスープを口に運び、パンをちぎる。平気で食べ続けている私を、ベネディクトは不思議そうに見ていた。しばらく、弄ぶようにスープをかき混ぜていたが、やがてスプーンを置く。
「魔女が味覚音痴だと言う話は聞いたことが無かったな。論文に加えようか」
「いつもと変わらないじゃない。何が気に入らないのよ?」
「さあ、分からないが妙な味がする」
「なによそれ」
私の抗議をよそに、彼は使用人たちを呼び寄せる。一口しかつけていない自分の皿と、食べている途中の私の皿を示して言った。
「下げてくれないか。口に合わないものを食べて太るのは馬鹿らしい」
「私はまだ食べてるわよ」
「そもそもお腹がすいてないんだ。さっき朝食を食べたばかりだからな」
ぜんぜん噛み合ってない返答をした彼に、私は何かを言い返そうとした。
——が言葉が出てこなかった。
代わりに込みあがってきたのは、胸を圧迫するような強烈な不快感。食べたものをいきなり戻しそうになって、私は息をとめる。すると今度は一気に血の気が引いた感じがして、視界がちかちかとした。何かがおかしい。私は自分の頬に手を当てた。ひんやりと冷たい感じがしたのは、頬の方か、掌の方か。
「どうした?」
何かを言いたかったが、吐き気が邪魔して声が出せない。テーブルについた片手で頭の重さを支え、もう片手で胸を押さえる。掌にかいた汗が、じっとりと服にしみこむのが分かる。急激に白くなる視界の中で、そういえば、と妙に冷静に聞こえるベネディクトの声が届いた。
「どこかで食べたことのある味だと思ったが、前に同じ風味のする食べ物を食べて死にかけたことがあったな」
なにそれ。
頭の中でぐるぐると問いが回ったが、考えようとすると、余計に気分が悪くなる。
「そう考えると、私も気分が悪くなってきた。——あぁ、そこの君。悪いが、医師を呼んでもらえないか。それから水が大量に欲しいな。メーヴィス、食べたものは全部吐いてしまった方が良い。どんな物質が混ぜられているのか分からないからな」
物質?
視線だけを上げた私に、ベネディクトは冷静な顔で言った。
「薬品とか、毒物とかいった方が分かりやすいか。スープに入れられているらしい」
毒、という単語を聞いた瞬間、吐き気を抑えきれなくなった。
使用人が差し出した何かの容器に、こみ上げてきたものを吐きだす。一向におさまらない吐き気とめまいに、椅子から崩れ落ちるようにして床に座り込んだ。それからは飛び込んできた医師に大量に水を飲まされたり吐き出したり良く分からない薬のような苦いものを飲まされたり吐かされたりしたが、誰かに抱きかかえられるようにしてベッドに横になってからはあまり覚えていない。
人間よりも体の丈夫な魔女は、ほとんど体を壊すことも無い。ほとんどはじめてと言って良いほどに寝込んだ私は、はじめて本当に死ぬかと思った。体の絶対的な不調と死の恐怖とを感じながら、体の弱いベネディクトの気持ちがちょっとだけ分かった——かもしれない。




