ディレッタンティズム(5/5)
私はそのまま屋敷に運ばれた。 檻の中に入れられたまま運ばれる私を見て、屋敷の使用人たちはさすがに唖然とした。——が、そこはプロ根性と言うべきか、それともベネディクトの奇行に慣れているだけと言うべきか、彼らはすぐにそれぞれの仕事に戻っていく。奇異な視線を向けられるのも辛いが、あまりに早く受け入れられるのも悲しい。
また、未だに図々しくベネディクトの部屋に居座っていたママはといえば、唖然とした表情すらしなかった。彼女は檻入りの私とベネディクトが入っていくと、ぱっと顔を輝かせた。しかも、その微笑みは私を通り過ぎて、ベネディクトに向けられる。
「おかえり。遅かったじゃない」
彼女はそういうと、ベネディクトの首に手を回した。出会って一日しか経っていないはずなのに、まるで恋人同士みたいなやり取りである。私が攫われてこんな鉄格子に入れられている間に、二人はいったい何をやっていたのだろう。考えると、いてもたってもいられない気分になるが、こんな檻に入れられていては文字通り手も足も出ない。
視線を向けていたからだろうか。彼女はようやく私の存在に気づいたようだった。
「あら、ソフィア。誘拐されたって聞いたけど、無事でよかったわねー」
「……無事に見えるのかしら」
こんな檻に入れられている娘を見て、何とも思わないのだろうか、彼女は。私が冷めた視線で見つめると、ママは目をぱちりと瞬きをした。
「怪我はないみたいだけど?」
「まあね」
「それなら良かったじゃない。アルフレドはソフィアのために一万も払ってくれたんだから。普通はいないわよー、金持ちでもそんな気前の良い人。幸せねー、愛されてるわねー。ちょっと弱そうで頼りないのが玉に瑕だけど」
彼女はベネディクトの首にぶら下がったまま失礼なことを言うと、彼に視線を戻した。 ハイヒールを履いてさらに背伸びした彼女は、ベネディクトの顔に鼻先を寄せる。
「とはいえ、やっぱり格好良いのよねー。何度見ても飽きないわ」
「私は君の顔は見飽きた。そろそろ離れてもらえないか」
「ふふ、冷たいことを言う唇も好きよ」
彼女はそういうと、ベネディクトの唇に指先を当てた。
「ソフィアに飽きたら私を呼んでね。じゃ、私はこれで」
「は? どこに行くのよ」
「今夜はパーティに呼ばれてるの。最後に挨拶して帰ろうと思ってたんだけど、二人とも帰ってこないんだもの。遅れたらどうしようかと思ったわ。ねえねえ、庭にある馬車、御者付きで貸してくださらない?」
なんて図々しい。私はそう思ったが、ベネディクトは楽しそうに笑った。
「馬車でも御者でもお好きにどうぞ。必要なら従者や護衛も連れて行くといい」
「まあ、有難う。それじゃあ、お言葉に甘えて、格好の良い護衛さんを五人ほど見繕ってもらえるかしら?」
「悪いが、あいにく私にはどの顔が良いかなど分からない。どれでも好きなのを連れて行ってくれ」
ベネディクトの言葉にきゃあと手を叩いた母は、軽い足取りで部屋を出て行った。二人のやり取りに呆然としたままの私が、声をかける暇も無い。
「何しに来たの、あの人」
しばし沈黙した後、私が言うとベネディクトは首を傾げた。
「ソフィアを心配して来たと言っていたが」
「そんなわけないでしょ」
「そうか? だが、ソフィアが誘拐されたと聞いたとき、私は彼女に刺されそうになったぞ」
「は?」
意味が分からず、私は瞬きをする。
ベネディクトの話によれば、ママは懐から取り出した短剣をベネディクトに突きつけ、「もちろん、お金は用意してくれるのよね?」と迫ったらしい。彼が自分の黒のスーツを引っ張ると、左胸の近くに小さな穴が開いているのが見えた。
「お陰でジャケットに穴が開いた」
「大丈夫なの、それ?」
「服だけだ。だが、金を払わないと言えば、本当に刺されていたかな。年の功と言ったら怒られるのだろうが、剣の扱いも堂に入ったものだった」
彼はそう言うと、何故だか楽しそうに笑う。刺されそうになったとはいえ、彼女のことを嫌っているわけではないらしい。それどころか、ドアの向こうのママを見るベネディクトの視線は、それこそ恋をしているようにも見えて、私はどきりとした。彼はいったい、ママのことをどう思っているのだろう。そして彼はいったい、私のことをどう思っているのか。
「だから、私を助けてくれたの?」
思いきって言った私の言葉に、ベネディクトは首をかしげて見せた。
「ママに脅されたから、お金を払ってくれたんでしょう?」
「別に、脅されなくても一万くらいなら払うが」
一万くらいって。
軽く言ったベネディクトに私は眉を寄せる。普通の人間が逆立ちしても手に入れられないお金である。それが、ベネディクトにとっては単なるはした金なのだろうか。
「それなら、幾らなら私のことを見捨てたのよ」
「さあ。自分がいくら持っているのかなど知らないからな。払える額なら払うし、払えない額なら払えない」
それは全財産であろうと払うという意味なのだろうか。私が何かを言い返す前に、彼は思い出したように懐から鍵を取り出した。
「そういえば、そこから出たいと言っていたか?」
「当たり前でしょ。ベネディクトなら喜んで入ってるの」
「狭いところは嫌いじゃない」
それは、こんな立つ事も十分に手足を伸ばすことも出来ない冷たい檻の中に閉じ込められた後で言ってもらいたい台詞である。無言で返すと、ベネディクトは仕方無いといった顔をしてから、鍵を回した。てっきり外に出してもらえるのかと思ったが、彼は何を思ったか、自分自身が檻の中に入ってくる。
「ちょっと、何してるのよ」
「一生に一度くらい、檻の中に入ってみるのも悪くない。——いや、以前、カモノハシと一緒に檻の中で過ごしたことがあったか」
ベネディクトはそういうと、鉄格子の外の景色を興味深そうに見回した。普段使っている部屋が、いつもと違ってでも見えるのだろうか。狭い檻の中で、ベネディクトの体が私に触れる。
「私はカモノハシじゃないわよ」
「そうだろうな。カモノハシならもっと安く買える」
そういう問題なのか。
呆れた私をよそに、彼は近くにいた使用人に檻の鍵を閉めさせる。私はさらに呆れた。
「そこまでするの」
「そちらの方が雰囲気が出るだろう」
「何の雰囲気よ」
「再会したという雰囲気だ。君のママもだが、私もそれなりに心配したんだ」
私の手に指を絡ませながら言ったベネディクトに、私の心臓はどきりと跳ね上がった。目を伏せたまま「ごめんなさい」とも「ありがとう」とも言えないでいる私の手首をベネディクトが掴んだ。
「ここを出たいと言うのならそれも構わないが、また鎖に繋がせてもらおう」
「……なにそれ」
「また他人に連れ去れられるのは困るからな」
彼は私の手を引き寄せると、指先に唇を落とした。そのベネディクトの横顔と指に触れた感触に、私の思考は完全に固まった。彼の淡い青の瞳が私を見る。
「昔、"恋愛について色々な人間が偉そうなことを言っているが、恋とはただ純粋に相手と一緒にいたいと思う欲望のことで、愛とはただ純粋に相手と離れられない感情のことだ"などと偉そうに言った人間がいたな。その男の考えを当てはめれば、私はソフィアに恋をしているのかな?」
疑問系で聞かれても困る。
ベネディクトは檻から出ると、綺麗な細工のされた銀の鎖に私を繋いだ。
それに少し安心してしまったのは、彼風に言えば、私も恋をしているのだろうか?




