ディレッタンティズム(2/5)
実に数年ぶりに見る顔である。
それは去年、どんなに探しても見つからず、ここ数年間、連絡の一つも寄越さなかった薄情な魔女のもの。少女のように瞳を輝かせた彼女に向けて、私は思いっきり眉をしかめて見せた。
「こんなところで何やってるの、ママ」
数年ぶりに会おうが、いくら髪が金色になっていようが、真正面から見れば見間違いようも無い。いつ見ても全く年を取っていないから余計である。ほとんど私と年が変わらないようにも見えるが、彼女は正真正銘、私の母親だ。
ベネディクトはそれを聞いて、一つ瞬きをした。それと知らずに招き入れていたのだろうか。改めて私と彼女を見比べる。
「ママ?」
「ちょっと、ママだなんて冗談ばっかり。ソフィアのお姉さんでしょ?」
ぱっちりとした長い睫毛の下から、強い黒の瞳が私を見据えた。
魔女は長い人生の大半を若い姿で過ごすため、母はどう見ても、二十代も前半。下手したら十代に見えなくも無い。彼女はテーブルに片膝を乗せるという挑発的な姿勢のまま、にっこりとベネディクトを見下ろした。
「アグネ・ヘディン・メーヴィス。妹がいつもお世話になってます。」
「アルフレド・ベネディクト・ベラスコだ。お姉さん?」
「母よ」
私の冷たい突っ込みに、母親は子供のように唇を尖らせた。そんな顔も随分と可愛らしく見えるから、余計に憎らしい。ベネディクトはそれを見て、楽しそうに言った。
「さすがに随分と若いな」
「まあ、有難う。——アルフレドは随分と素敵ね。今まで出会ったどんな人間よりも魅力的だわ」
にっこりと、男達をなぎ倒す威力(魅力?)を持った笑顔が向けられる。
正直に言って、母は美人である。ベネディクトが、夜空に瞬く星々のような繊細な美しさを持っているとすれば、彼女は眩しい太陽のような美しさがある。なめらかな白い肌に、目鼻立ちのはっきりとした美貌。前に見たときは濡れたような黒髪だったが、今は女ならば誰でも憧れるような淡く煌く金髪である。
そして、人間は決して持ち得ない漆黒の瞳が、彼女を飾る一番の武器となる。きらきらと輝けば少女のように愛らしい印象を与えるし、すっと瞳を細めて挑発的に見据えれば、妖艶な美しさを演出する。どんな宝石よりも、見るものの心を釘付けにするのだ。
魔女を見下している男だろうが、貴族様だろうが、すぐに足元にひれ伏すようになる——そう語ったのは本人だったため、どこまで本当なのかは分からないが、何にせよ彼女が人間の男達に魅力的に映るのは本当らしい。
私はベネディクトをちらりと見ながら、釘をさすように口を挟んだ。
「どんなに若く見えようと、百歳はとうにすぎてるわよ」
「やーね。ソフィアってば、冗談ばっかり。私はまだ二十よ?」
「二十歳でどうやって私を生むのよ。百二十歳でしょ! そんなことより、何しにきたのよこんなところまで!」
私がそう叫ぶと、彼女は大きな目をぱちぱちと瞬かせる。どうして怒鳴られているのかさっぱり分からないという顔で小首を傾げて見せると、何のつもりか赤い唇の前に指を立てた。
「だってソフィアがアルフレド・ベネディクト・ベラスコに捕まったって聞いたんだもん」
薄情だ薄情だと思っていた母の口からそんな言葉が出てきて、私はどきりとした。何年会っていなくても、母と娘であることは間違いない。もしかしたら、人間に捕まった私を心配して来てくれたのだろうか。
そう思ったのもつかの間。母はすぐに言葉を継いだ。
「あなたは知らないでしょうけど、彼、社交界では超有名人なのよ? ちょっと変人だけど、すっごくお金持ちで、見たことないくらい格好良いって。噂ばっかり先行してて、実物を見たことある人はほとんどいないから、実在しないんじゃないかとも言われてるんだから。私も一度、会ってみたいと思ってたのよねー」
そんな理由か。
一気に脱力するのを感じ、私はドアにもたれかかる。
だいたい、ベネディクトはちょっと変人だけど金持ちで格好良いのではない。格好良くて金持ちだけれど、思いきり変人なのだ。——そんなことを言い返す気力もない私をよそに、母はきらきらとした瞳をベネディクトに向けていた。それはまるで、恋する少女の瞳そのものだ。
「実際会ったけど、ほんと今まで見たことがないくらい良い男。ねえ、ソフィアなんかより私を傍に置いてくださいません? 私の方が、何倍も魅力的だと思うけれど」
ママはそういうと、ほとんど唇が付くのではないかと思うほどベネディクトに顔を近づけた。赤い唇が、挑発的に動く。私が言い返す前に、ベネディクトが口を開いた。
「確かに魅力的だな」
きゃあ、と母が可愛らしい嬌声を上げる。
反対に私は咄嗟に声を出すことも出来なかった。幾ら本当のことでも、ずばりそんなことを言われるとさすがに腹が立つ。いや、そもそもベネディクトがそんなことを言うとは思っていなかった。何だか裏切られた気分で、私はふるふるとこぶしを震わせる。
ベネディクトは、目前にある顔を興味深そうに眺めて言った。
「百二十年生きていると言うことは、百五年前の無血革命や九十年前の記録的な大寒波を経験しているのか?」
そんな理由か。
私はまた脱力しそうになる。当たり前だが、ベネディクトは母の魅力だとか威力だとかに興味を持ったわけではないらしい。人間にはありえないほど長く生きた彼女の頭の中にあるものが、彼の不可解な頭の興味を惹いたのだ。
「あら、若いのに良く知ってるのね。そうそう、あの時は大変だったのよ。聞いてくれる?」
「もちろん。喜んで」
両手を合わせて可愛らしく言った彼女に、ベネディクトは口元を綻ばせる。
確かに、彼にとっても彼女は非常に魅力的な女性なのだろう。そもそも魔女には興味があるのだろうし、百年も昔のことを体験した人間など、普通はいない。彼は、そのまま母を自分の隣に座らせると、彼女の話を促した。そうやって美男美女で寄り添って語り合う様子は——話題はどうであれ——どうみてもお似合いの恋人である。もはや私の存在など、二人の頭の中にはないらしい。
私は完全に取り残された気分で、部屋を後にした。




