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囚われの魔女とベネディクトイズム  作者: 空色ねずみ
本編
31/88

スーフィズム(2/4)


 毎日のようにベネディクトの部屋に繋がれていると嫌になるが、呼ばれなければ呼ばれないで寂しい気がしてしまうから不思議である。いつまでたっても引かれる気配のない鎖をぶらぶらと揺らしながら、ベランダの手すりに腰をかけた。

 昨日も一日中、こうして一人で過ごしていたし、今日も朝から何のお呼びもない。お陰で好き勝手に屋敷を動き回れるため、快適といえば快適なのだが、やはり退屈である。ベネディクトの方は一人で論文を読むなり研究者を呼んで話をするなりすれば満足なのだろうが、私の方には話し相手すらいないのだ。

 ——ならば、こちらからベネディクトの部屋を訪ねれば良いと言われそうだが、それはそれ、何だか負けた気がするではないか。あくまで私は、ベネディクトに引きずられ「仕方なく」彼の元に行くのだ。それ以上でもそれ以下でもない。 はずだ。

 

 その時、部屋のドアがノックされた。

 一瞬、ベネディクトが訪ねてきたのかと思ったが、すぐに思い直す。彼ならば部屋のドアをノックするような紳士的な真似はしない。だが、だからと言って彼以外の人間が私を訪ねてくるようなことは、今までほとんど無かったのだ。私は首をかしげながら、ノックに応じた。入ってきたのは、もうすっかり顔を覚えてしまった護衛が二人である。


「どうしたの?」


 彼らは問いには答えずに、黙って私の手首につけられていた鎖をはずした。鎖を付け替えられどこかに連れて行かれるのかと思っていたが、護衛は鎖をはずすだけはずして、そのまま部屋を出て行こうとする。


「ちょっとちょっと、何するのよ」


 鎖を外してもらって、何するのよ、と言うのも何か間違っている気がしたが、他に言いようもない。彼らは扉に手をかけたまま、ぐるりと振り向いた。


「べラスコ様のご命令で、鎖を外すようにと」

「何それ? 鎖を外してどうするの? 私は?」

「ご自由に。あなたが何をされようと、一切の干渉をしないようにと命令されております」


 どう言う意味だと聞き返す前に、大きな音を立てて扉が閉まる。

 私は、私に与えられた部屋で一人きりになった。鎖を外された右手首を何となくさすりながら、私は意味もなく部屋を見回す。はじめは寝台と鏡台しかなかった部屋には、いつの間にか増えすぎた服を入れるためのクローゼットが増え、ベネディクトがくれた異国の置物だかアクセサリーだかを並べる棚が増え、彼が勝手に持ち込んだ論文やらを置く本棚が増えた。ほとんどがベネディクトの趣味で作られた部屋だが、半年以上もこの場所で暮らしていればそれなりに愛着もわく。私は傍にある鏡台の縁を撫でながら、眉をひそめた。


「ご自由に……って、逃げても良いってこと?」


 鎖を外したと言うことは、そういうことなのだろうか。

 気味が悪いくらいに軽くなった右手を握って、私は一人で呟く。

 彼は気分屋であるし、そもそも何を考えているか分からない人間でもある。いきなり私に飽きたとでも言うのだろうか。だが、それならせめて、彼自身の口から聞きたい。鎖を外されて自由になることを願ったことはあったが、こんな風に、急に解放されても困惑するだけだ。


 私は自分の部屋を出て、彼の部屋に向かった。歩くときにじゃらじゃらと鎖がならないことをひどく不自然なことに感じながら、廊下を歩く。いや、走っていた。——私は、不吉な予想を拭えずにいたのだ。

 彼はことあるごとに、自分が死ねば私は自由になれる、と言っていた。彼は最近、ずっと寝台から下りようとしなかったし、昨日は姿を見せなかった。もしかしたら、彼の体調がそれほどまでに悪くなったということだろうか。私は彼が寝室として使用している部屋を西から順に探していき、三つ目でベネディクトのいる部屋にあたった。廊下にまで使用人や護衛、医師たちがたくさん控えているからすぐに分かる。


 ドアの前にいた医師を押しのけて中に入ると、ベネディクトが寝台に横になって眠っていた。誰もいない部屋で、静かに目を瞑っている。その白皙の顔は、もしかしたら、もう死んでいるのではないかと思わせるほどに安らかなものだった。白いレースのカーテンから、柔らかな陽光が差し込む。

 まさか、死んでいるはずはない。そうでなければ、医師たちが部屋の外に控えていたりしないだろう。何より、死人の額に濡れタオルを乗せるはずもない。私は努めて冷静にそう考え、足を止める。


「うるさいな」


 彼の口が、開かれた。うるさい、とは私が駆け込んできたことを言っているのだろうか。何にせよ、彼が声を出したこと——そしてそれが普段どおりの声であったことにほっとして、私はその場に座り込みそうになる。

 

「どういうつもりなの」

「それは私も興味があるな。鎖を外せば、ソフィアはすぐに出て行くと思っていた」

「……逃げ出す前に、一発や二発は仕返ししとかなきゃ気が治まらないでしょ」

「なるほど」


 何がなるほどよ。

 いつもどおり、どこまで本気で言っているのか分からない言葉に、私は思いきり毒づいた。そのまま、歩を進める。顔をすぐ見下ろせる位置まで来ても、彼は瞳を開けなかった。長い睫毛が、白く透き通るような肌に影を落としている。また、痩せたのではないだろうか。目を瞑っていても分かる、目の下にある大きなくまが、やたらと彼を弱弱しく見せた。


「ねえ、大丈夫なの?」

「あまり大丈夫ではないな」


 彼はまぶたを落としたまま、口元だけで笑んで見せた。


「ベッドから一歩も動けなくて、ずっと退屈しているんだ。喋るのも話を聞くのも面倒なんだが、それでもやはり暇だな。ソフィアの台詞ではないが、暇すぎて死にそうだ」

「あなたが言うと冗談にならないわよ」

「冗談ではないからな。そろそろ死ぬかもしれないと思ってソフィアの鎖を外させた。私が死ねば、屋敷内でもめたり知人や国の役人が訪ねてきたりと色々と面倒だろうからな。ここを出るなら、その前が良い」

「……本気で言ってるの?」

「もちろん。金が必要なら好きなだけ持っていくと良い。屋敷の人間には、ソフィアが何をしようと干渉するなといってある」


 干渉するなと言う命令は、そういう意味だったのか。私は顔をしかめる。


「元気じゃない。普通、死にそうな人間は暇だなんて言わないわよ」

「死にそうな人間が忙しいと言ったのも聞いたことがないがな」

「そういうところが元気そうだって言うのよ。ねえ、本気で死にそうだと思っているのなら、なんでそんなに平然としてるの。もっと慌てるとか取り乱すとかしなさいよ」

「ソフィアは慌てている病人をみたことがあるのか? 慌ててみせるのも取り乱してみせるのも疲れるんだ。そんな体力があれば、もっと別のことをやっている。だいたい、死ぬことを後悔するような生き方はしていないからな。今更、取り乱すべきこともない。唯一、後悔することがあるとすれば——」


 彼はそこまで言って、ふっと息を吐いた。

 瞳を開けてから、部屋に充満する光の眩しさに目を眇める。青い瞳は一度、窓の外に向けられ、そして私を見た。熱があるせいか、海のように青く透明な瞳がきらきらと光って見える。


「ソフィアを買ったことかな。うるさくてかなわない」

「……悪かったわね」

「出て行くなら、一発でも二発でも殴っていけば良い。私は眠いんだ」


 なにそれ。

 面倒くさそうに言った彼に、私はぐっとこぶしを握る。本当に殴ってやりたくなったが、何せ相手はもうすぐ死ぬと言っている——ここまでくるともはや冗談にしか聞こえないが——病人である。眠るためか、それとも殴られるためか、彼は黙って目を瞑った。


 もしかして彼は、単に私を追い出したいだけなんじゃないだろうか。


 死ぬとか死なないとか関係なく、単に私を追い出したいと思ったのかもしれない。だから、鎖を外したのだろうか。しばらく立ち尽くしていた私は、ようやくそこに思い至る。違うにせよ、喋るのも聞くのも疲れるといっているのだ。彼は私が近くにいることが面倒くさくて、鎖を外した。

 私はぐるりと背を向けると、部屋を出た。

 ——出ていくしか選択肢がないではないか。


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