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囚われの魔女とベネディクトイズム  作者: 空色ねずみ
本編
3/88

インペリアリズム


 アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。

 

 彼はこの城のキングである。

 城としか呼べないこの大きな屋敷の、唯一の主だった。爵位を持っていないベネディクトは、領地も支配すべき民も持ってはいないが、彼の城の中では絶対的な権力を持っていた。

 

 例えば、彼が「プリンが食べたい」と呟いたとする。すると、使用人たちは我先にと厨房に走り、シェフに彼の御意を伝える。シェフは一分でも早くと、すぐさま卵と牛乳をかき混ぜ始めるだろう。もしくは、新鮮な卵を求めて近所の農家の鶏舎にまで走るかもしれない。何にせよ、出しうる限りの最高傑作を、可能な限りのスピードで提供するはずだ。実のところ、その頃になれば、彼は自分がそんな事を呟いたことすら忘れているのだが、彼は首を傾げながらも美味しく召し上がるだろう。

 

 例えば、彼が「虹が見たい」と呟いたとする。すると、使用人たちは我先にと庭に飛び出す。そして、雲ひとつ無い青空を見上げ、落胆——もしくは困惑するだろう。彼の命令は絶対なのだ。どうすれば虹が見られるのかと、屋敷にいる研究者たちに詰め寄るだろう。生物学を専門としている科学者は非常に困った顔をしながらも、専門外の知識をかき集め始める。数日後には、庭に巨大な「噴水」なるものを建設するための建築家が登場する。

 偶然、雨上がりの空に虹がかかったのは、噴水の建設に着工した直後である。ベネディクトは目を細めてそれを見上げ「やっぱり五色じゃないか」と呟いた。噴水が完成したのは一年後。彼は何故、庭に噴水があるんだろうと、首を傾げたらしい。

 

 例えば、彼が「魔女が飼いたい」と呟いたとする。

 ——それだけでここに引っ立てられた私としては、たまらない。


***

 

 右手に付けられているのは、細く縒り合された金属の鎖。

 無骨で太い鎖なんかで繋がれていると、本当に飼い犬か罪人に成り下がったようで気がめいるが、光沢の施されたそれは、首にでも巻けばアクセサリーにでもなりそうなほど、繊細で美しい。非常に長く作ってあるため、廊下を歩き回る事も出来るし、手首に巻かれているのは皮製のベルトであるため、直接鎖が当たって痛いということも無い。

 そうした配慮をしてもらえる点は、そこそこ好感が持てる部分でもある。

 

 ——が、鎖に繋がれているという事実は変わらない。

 

 右手を引かれる感触があって、私は眉をしかめた。無駄に広くて無駄に長い廊下の真ん中。鎖を引かれ、二度ほど右手が上がる。ベネディクトが部屋から私を呼んでいるのだろう。彼は暇な時や話し相手が欲しいときなどに私を呼びつける。そして、自分の部屋の壁に繋ぐのだ。

 別に壁につながれて何をされるわけではないが——この屋敷に来てしばらく経つが、想像していたような事態は何も起こらなかった。彼は私に触れることすら稀である——短い鎖で壁に繋がれた自分を他人に見られるのは不快である。そうそう彼の言いなりになるというのも、魔女の尊厳に関わる。

 

 と言う訳で、私は無視をすることにした。

 何度も右手が引かれるが、気にせず逆方向に歩き続ける。この「散歩用」の鎖は、計算されているかのように、屋敷の二階ならば隅から隅まで出歩ける。裏を返せば、他の階や庭には決して出られないということだが、城のように大きなこの屋敷には、二階だけでも数多くの部屋がある。図書館のように大きな書斎もあるし、退屈する事はない。

 

 だんだんと右手が重たくなってくるが、気にせず歩き続けた。

 歩くことすら困難になってきたが、こうなったら意地である。相手も本気で引っ張っているらしいが、今さら引くわけにはいかない。もはや歩くというより、全力で抗っているというのに近かった。左手で右手首を掴み、後ろに全体重をかけて、引きずられそうになる足を必死で止める。こう着状態が少しでも続くと、全身からどっと汗が出てくる気がする。


 赤い顔で一人綱引きをしている私の隣を、怪訝な顔をした使用人が通り過ぎていく。助けてくれるか、せめて笑ってくれればいいものを、彼らは決して私と係わり合いになろうとはしなかった。

 この屋敷にいる使用人や護衛達は、ベネディクトから何を言われているのか、もしくは魔女に偏見でもあるのか、決して私を受け入れてはくれない。冷たいわけでもないし、話しかければ答えてもくれる。が、別世界の住人、として線引きでもされているかのように、彼らは一様にそらぞらしい。自然、私の話し相手はベネディクトに限定されるのだ。


 また一人、視線をそらしながら使用人が通り過ぎていった。情けない恰好を見られている羞恥に、いっそ素直に向かった方が良いのではないかとも思ったが、ここまで来ると自ら後には引けない。意地である。

 

「強すぎるのよ……!」

 

 予想外に強い力に、私の腕と足は限界に達そうとしていた。ベネディクトのあの細腕のどこに、こんな力があるのだろう。じりじりと引きずられ始めていたが、ついには体勢を崩して廊下を体ごと引きずられた。一気に引く力が強くなる。うつぶせになった体の前面を、絨毯にこすられるようにしながら、私はなすすべもなく廊下を運ばれていく。突き当たりの角に、何度も腕や頭をぶつける。

 痛い、と声に出した時には、既にベネディクトの部屋の前だった。

 

 開け放たれたドアの中へずるずると手繰り寄せられる。

 顔を上げると、椅子に座って本を読んでいるベネディクトと、私の鎖の根元を持っていた三名の護衛が目に入った。彼らは「やりましたよ!」とでも言わんばかりの顔でベネディクトに視線をやる。ベネディクトは本に視線を落としたままだった。

 と言うか——どうりで、抗えないはずである。女の子一人に対し、大男を三人も呼ぶか普通。

 

「何するのよ」

 

 お腹を床につけたまま、私は座ったままのベネディクトを睨み上げた。

 彼はようやく本を閉じると、いたって普通の口調で言った。

 

「シェフがパンプキンプディングを作ったそうだが、ソフィアも食べるか?」

 

 小机の上に置いてあった小さな器を示してみせる。二つ置いてあるという事は、一つは自分の分で、もう一つは私の分なのだろう。彼は意外にも、甘いものが大好きである。もちろん、私もお菓子は好きではある。が。

 

「そんな理由で、わざわざ私をここまで引きずってきたの!」

「別に、わざわざ引きずられてもらわなくても、歩いてきてもらって良かったんだが」

 

 確かにそう言われればそうである。

 が、こちらにはこちらの事情というか、プライドがある。私は思いきり顔をしかめて見せた。立ち上がり、無言で服についた絨毯の繊維などを払う。彼はそんな私を見ながら、軽く首を傾げた。

 

「ソフィアが食べないなら、私が二つ食べることにするが」

「食べるわよ!」

 

 そう言ったソフィアの右腕を、すっかり顔を覚えてしまった護衛の一人が掴む。彼は右手首に巻いた革のベルトから細く長い鎖を外すと、この部屋の壁から伸びていた短い鎖に繋ぎなおした。私は軽い苛立ちとともに、思いきり鎖を引っ張ってみる。丈夫な鎖と壁は、みしりとも言わない。

 

「わざわざこの部屋の鎖に繋ぎかえる必要がどこにあるのよ」

「さあ。特に深い意味はないとは思うが」

「なら外しなさいよ!」

「私に買われたくせに、偉そうだな。ソフィアを生かすも殺すも、歌わせるのも踊らせるのもわたし次第だというのに、そんな口を聞いて良いのか?」

「……歌わせられるもんなら歌わせてみなさいよ」

 

 確かに彼は、私の生殺与奪権を握っているのだろう。生かすも殺すも彼次第。だが、私の感情や行動まで握れると思ったら大間違いである。彼に命令されたくらいで素直に歌うのは、この屋敷にいる間抜けな使用人たちくらいである。彼は少し首を傾げてから、真顔でプリンを持ち上げた。

 

「歌ったら、これを食べさせてやろう」

「どこの世界に、プリンなんかで自分のプライドを売り渡すバカがいるっていうのよ」

「プライドなんかで特製プディングを食べ損ねるというのも、あまり賢い生き方だとは思えないがな」

 

 彼はそう言うと、カラメルソースの絡んだプリンを口に運んだ。

 プリンなんかを自分の尊厳と同列にする気は無いが、むかつく事は確かである。無言で部屋を出ようとすると、壁に繋がれた右手の鎖が引っかかった。

 

「鎖を外しなさいよ! それを食べさせる気がないなら、わざわざ貴方の部屋に引きずってきた理由も無くなったでしょ!」

「食べさせる気がないとは失礼だな。歌ったら食べさせてやろうと言っている」

 

 そう言われても、いまさらプリンなんかの為に歌ってやれるはずは無い。

 結局、彼が二個目を食べ終わるまで、私は部屋で彼が美味しそうに食べる様子を見せ付けられていた。始めから、彼はこういう嫌がらせをするために、私を引きずってきたのでは無いだろうか。それを考えると、余計に腹が立つ。

 この仕返しは、いつか絶対にしてやりたい。

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