リアリズム(2/3)
「ご無沙汰しております、レーゼル伯。こんな格好で失礼します」
口紅を塗って出迎えようとしていた男の台詞とも思えないが、一応は格好をつけるあたり、相手はやはり偉い人なのだろう。レーゼル伯と呼ばれたのは見るからに立派そうな格好をした紳士であり、その横に並んでいるのはまるで人形のように着飾った若く美しい女性だった。
「失礼、というなら」
男は白衣を着たベネディクトを見てから、部屋をゆっくりと見回した。遮光カーテンがかけられた薄暗い部屋。壁に備え付けられた棚に並んでいるのは大小さまざまなビーカーや、何に使うのか全く分からない多くの実験用具類である。整理整頓のされた部屋ではあるが、人を招くのにふさわしい部屋だとは到底思えない。
「格好もそうだが、この部屋は何だ?」
「さあ。主に実験をする際に使っている部屋ですが、特に名前はつけていません」
完全に論点のずれたベネディクトの返答に、男は顔の筋肉をぴくりと動かした。そんな彼らに、ベネディクトは何食わぬ顔で椅子を勧めたが、こぼれた薬品の染みがあるその椅子を見て、男はよりいっそう顔を険しくした。座りもせず、言葉も失ってしまったように見える男に対して、ベネディクトは軽く首を傾げて見せる。
「申し訳ありません。なにぶん、上流階級の方とは関わりが薄いもので、高貴な方に対する礼儀や作法には疎いのですよ」
「先日は、ファンディーヌ殿下が主催する茶会に参加されたと伺ったが」
「えぇ。ご招待いただきましたが、無作法なもので、殿下のご不興を買ったばかりですよ」
肩をすくめたベネディクトの台詞に、男はわざとらしく咳をした。 白々しい、と思っていることは明白だったが、特にそれについて言い返してはこなかった。ベネディクトが殿下のお気に入りであることは、周知の事実であるらしい。地位も爵位も持たない彼が、王宮に出入りしているのを快く思っていない人間は多いだろう。
「そちらの女性は?」
「ソフィア・メーヴィス・レイン。私の妻です」
さらりと言ったベネディクトに対し、レーゼル伯爵は鼻の上に皺を寄せた。さぞや驚くかと思っていたが、意外にも彼は知っていたらしい。その娘の方も、固い表情のまま私を見ているだけである。男は苦々しい口調で言った。
「君がそう言っているという噂は聞いているが、馬鹿げた話だな」
「ばかげた、とは?」
「君の意図は見え透いているというのだ。君が、君の言う"高貴な方"からの求婚を断り続けているのも、畏れ多くもさらに高貴な座を狙っているからであろう。——だが、馬鹿な話だな。分不相応な望みであると、そろそろ気づくべきではないかな。はっきりいって、国家に対する侮辱に等しい」
何を言っているのだろう。訳が分からず私は内心で首を傾げたが、ベネディクトはその言葉を平然と受けとめた。
「ファンディーヌ姫のことを仰っているのでしたら、それこそ馬鹿げた話ですよ」
「どうだかな。最近では臣である身も弁えず、多忙を極める王太子殿下にまでお時間を取らせていると言うではないか。君ももう、良い大人だからな。自分に足りないものが欲しくなったのだとしても、おかしな話ではない」
「私は身分を弁えておりますよ。身分や権力なんてものはお金では買えませんからね。王族の方に近づくつもりなど毛頭ありませんし、そもそも貴族の方とこうしてお話することすら、私には身に余ることだと思っています」
レーゼルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「だから私の娘を受け取れないとでも言うつもりか?」
「レーゼル伯爵のお言葉を借りれば、分不相応ですからね。まあ、そうでなくてもご遠慮しますが」
ベネディクトがそんな不穏な台詞を吐いたと同時に、机の下で何かが爆発した。
正しくは、爆発音が響いた、である。
何かが破裂したような音に、金属と金属がぶつかるような耳障りな音。思わず耳をふさいでしまうほどの衝撃音に、私は思わず椅子から飛び上がり、逆にレーゼルの娘は叫び声を上げて床にしゃがみ込んだ。レーゼルは目を白黒させながら、腰を引かせる。
「な……何事だ!?」
「実験が失敗したようですね。ここは危険ですから、今日のところはお帰りください」
「実験? 失敗!?」
レーゼルがそう叫んだ瞬間、また破裂音が響いた。たまらず、レーゼルは転がるように部屋を出ていき、置いて行かれた娘の方は、恐怖にかられて座り込んだまま泣き叫ぶ。私もどうしてよいのかわからずおろおろとしたが、ベネディクトが平然とした顔で立っているのを見て、とりあえずその場にとどまることにした。
ベネディクトはあくまで平然と、泣き崩れている娘を丁重に部屋から追い出すと、危険ですから、と扉を閉める。廊下からは、レーゼルが騒いでいる声とその娘が泣いている声が聞こえていたが、彼は容赦なく部屋に鍵までかける。爆発音はやんだが、廊下の喧騒は収まりそうもない。
私は、机の下をのぞき込んでいるベネディクトを見て、恐る恐る聞いた。
「大丈夫なの?」
「何がだ?」
「何がって……なにそれ?」
彼がテーブルの下から取り上げた箱を見て、私は目を瞬かせる。金属で出来た丈夫そうなそれは、一見すると小さな金庫のようである。彼がその箱を振ると、がんがんと金属音が響いた。
「実験が成功したようだ」
「成功?」
「三種の液体を箱の中で化学反応させると、分量の計算しだいで好きな時間で中の薬品を爆発させられるんだ。音も派手に響くように計算して、様々な種類の金属を入れてある。時限爆弾というほど大げさなものではないが、まあ、そんなようなものだな。適当な時間に調整したが、ちょうど良い頃合いだった」
「ちょうど良いって、わざと鳴らしたの? 何のために?」
思わずそう詰め寄ったが、何のためにと聞くまでもなかった。当然、伯爵とその娘を追い帰すために決まっているだろう。彼は答えを返す代わりに、あくまで軽い口調で言った。
「いつか試そうと思っていたが、失敗したな。時間を計るのを忘れていた」
壁掛けの時計を見ながら言った彼に、私はため息をつく。
いつそんなものを仕掛けたのかわからないが、仮にも伯爵様に対してあんまりな仕打ちだろう。時限爆弾と呼ばれた、その危険な箱から距離をとりながら、私は閉ざされているドアを振り返った。
部屋の外で騒いでいる男の足音と女の泣き声が遠ざかっていくのを聞きながら、ベネディクトは何事もなかったかのように、実験を再開する。私はもう一度、聞いた。
「大丈夫なの?」
「何がだ?」
「何がって……いろいろと」
貴族に対する振る舞いとか人付き合いとかいろいろである。
だが、彼は軽く首をかしげると、まったく見当違いなことを答えてきた。
「時間ならまた今度計れば良い。招いてもいない客は年中来るからな」
反論する気も失せて、わたしはただただため息をついた。




