アナーキズム(1/4)
アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。
彼は権力などに興味は無い。
権力とは、つまりは他人を動かすための力である。他人に興味がない彼が、そんなものに意義を見出すはずがない。そうでなければ今頃、ありあまる財力で爵位を買うなり、ありあまる才能で議会の一員になるなりしていたことだろう。王家が主催する夜会にも積極的に参加していただろうし、有力な貴族たちからの結婚の申し込みを片っ端から拒否することもなかったはずである。
同じように、名誉にも興味が無い。
名誉とは、つまりは他人に認められるということである。他人に興味がない彼が、自分の名を売ることに意味を見出すはずもない。だから、世紀的な大発見をしたところで自分の名前で論文を発表しようとは思わないし、貧しい民を救っても、それを世間の人に知らしめようとは思わないのだ。
だが、彼に興味を持つ人間は、権力者が多い。
彼らは手っ取り早く彼の持つ財産を手に入れるために、自分の娘なり孫なりを彼に紹介する。彼には婚約者も恋人もおらず、それどころか家族や親戚すらいない。彼を婿に出来れば、彼の有り余る財産は自分達のものになるのだ。
また、あれほどの金を持ち、あれほどの才能を持ち、あれほど容姿に恵まれた男が、一市民として燻っているなどということが信じられないと言う権力者もいる。裏で何かたくらんでいるに違いない、もしくは今後、自分の地位を脅かす存在になるかもしれない。そんな無駄な心配をし、彼の動向から目を離せないでいるのだ。
さらには、彼の抜群の容姿に惹かれ、または彼の浮世離れした雰囲気に惹かれ、または才気溢れる人物像に惹かれ、手に入れたいと狙っている人間も多い。金や権力を持った人間には、物好きが多いのだ。
何にせよ、彼の意思には関係なく、彼の周りにはさまざまな思惑を持った人間が集まってくる。
だからと言って、私には何の関係も無い。
——そう言えたのも、今や昔。今更ながらに、偽装結婚などを持ち出した彼が恨めしい。
***
ベネディクトは知らないことだと思うが、私にも友達が出来た。
彼の名前はエリック。私の2つ上、ベネディクトの4つ下で18歳になるらしい。彼は一月ほど前から、屋敷で使用人をやっていた。使用人の仕事はベネディクトの身の回りの世話や掃除や洗濯が主であるため、自然と女性が多くなるが、中には力を必要とする仕事もある。荷物を運び入れたり、シャンデリアの手入れをしたりすることが彼の主な仕事らしい。彼は他の使用人たちと同じように家が貧しく、家族を養うためにここで働かせてもらっているのだと言った。
「母が病気がちでさ。薬代が工面出来なくなって、何でもするからここで雇ってくれと頼んだんだ。べラスコ様は気前の良い方で、ここで働けばとびきり良い給金がもらえると聞いていたから」
ベネディクトは自発的に周囲を救おうという気は無いが、頼ってくる民を無下に追い払ったこともないらしい。単に追い払うのが面倒くさいだけかもしれないが、多少の労働力と引き換えにすることで、必要な金を渡すのだと言っていた。そのため、付近の住人だけでなく、遠い土地の人間もベネディクトの下で働かせてくれと頼みに来る。
「だからべラスコ様には本当に感謝しているんだ。なんと言っても母の命の恩人だからね。ここで働いているおかげで、母にも十分なお金が送れるし、弟や妹たちにも美味しいものを食べさせてやれる」
エリックはそういうと、何を思ったか身を乗り出してきた。
テーブル越しに座っている私の首に触れる。思わぬことに私が驚くと、彼は慌てたように謝り、手を離した。代わりに、首から伸びた鎖を手のひらに乗せる。
「でも、女性を鎖で繋ぐなんてひどいことをする。見損なった——というよりは、噂どおりだけどね」
「ベネディクトの評判って悪いの?」
「噂だけどね。とびきり大金持ちでとびきり美男子だけど、決して人前に姿を現さない変人。王族でも、ましてや貴族でもないのに、市民のことを見下してる。自分以外の人は人とも思ってないって。雇ってもらってる僕が、べラスコ様のことを感謝しているのは本当だけどね。でも、彼が僕を高額で雇ってくれたのは、単に僕のことを憐れんだだけだ。彼にとっては、野良犬に餌をやっているのと変わらないんじゃないかな」
彼はそういってから、ふっと目を伏せた。
彼の容貌は、はっきり言って非常に整っている。ベネディクトに並ぶほど、というには多少年が足らない気がするが、それでも魅力的な容姿であることは間違いない。くるくると変わる表情に、生き生きとした明るい茶色の瞳。笑うと目じりにしわがよって、とても愛嬌のある表情になる。野良犬というよりは、育ちの良い子犬のような印象だった。彼は視線を上げると、言葉を撤回するように両手を振る。
「ごめん、ソフィアにこんなこと言って。べラスコ様も、ソフィアのことは大事にしているんだと思うよ」
「そう見えるのかしら」
大事にしているのだとしても、それは私が稀有な犬だという点でだ。魔女という珍しい代物だから、彼は鎖に繋いで自分の飼い犬にしているだけである。嫌そうに言った私に、エリックは首をかしげた。
「だって、結婚するんでしょ?」
「するわけないじゃない」
「でも、お役人さんにソフィアの事を妻だと紹介したって聞いたよ。他の使用人たちが噂してた」
「そんなの、ベネディクトが勝手に言ってるだけよ」
「そうなの?」
私が「そうなのよ」というと、彼は「そうなんだ」と考えるようにして言った。
「そうだよね、四六時中奥さんを鎖で繋いでるなんてどんな趣味だろうと思ったし」
「奥さんじゃなくても、どんな趣味だと思うけどね」
「それはそうだ」
彼は目を細めて笑った。
屋敷に来て以来、普通の会話というものがほとんど出来ていなかった私にとって——ベネディクトとの会話は間違っても普通とは呼ばない——彼と話している時間はとても楽しいものだった。これまでは、ベネディクト以外の人間は誰も、話しかけてもろくな対応をしてくれなかったのだ。まるで違う世界の住人だとでもいうように、一様に空々しい反応しか返ってこなかった。
彼が申し訳なさそうに語ったことによれば、どうもこの辺りの土地の人間は、魔女の存在を快く思ってはいないらしい。土地によっては、魔女はあからさまに差別される。ここも同じようなものなのだろう。屋敷の主であるベネディクトが私に構っているから、あからさまに差別が出来ないというわけだ。
ショックは受けたが、なるほどと納得する部分もあった。 何も聞かされずに嫌われるよりは、嫌われる理由が分かっていた方がある意味、せいせいする。私が魔女であることは私にも他人にもどうしようもないことだし、私は魔女である自分を嫌ってはいない。それを理由に拒絶されることは悲しいが、そうした人間ばかりではないことは分かっていた。事実、エリックは「魔女とか人間とか、何が違うんだろうね?」なんて言って、こちらを気遣うように笑ってくれたのだ。
明るくこちらを気遣ってくれる人柄は、一緒にいるととてもほっとする。年が近いということもあるのだろうし、何より彼は、ベネディクトのように浮世離れした人間ではない。
そのとき、私の首につけられている鎖が引かれた。私が顔を曇らせる前に、彼が綺麗な顔を思いきり顰める。
「べラスコ様がお呼びみたいだね」
「そうみたいね」
私はため息を付いて、立ち上がる。呼び出しに応じなければ、ベネディクトは護衛たちに鎖を引っ張らせるのだ。腕くらいなら抵抗もするが、首に着けられている鎖を力づくで引かれるわけにもいかない。大人しく部屋を出ようとした私に、彼は苦笑するような笑顔でばいばいと手を振ってくれた。




