モダニズム(2/2)
彼の体が弱いのだと聞いたのは、ついこの間である。
子供の頃から長くは生きられないと医師から言われていたらしい。それを聞いて、私は少なからずショックを受けた。魔女である私の寿命はおよそ二百年。まだ十六年しか生きていない私にとって、自分の死というのはひどく遠いものだった。もちろん、突発的な事故や病気で死ぬ可能性があるということは知っているが、それらを本気で考えたことなどなかったのだ。が、彼にとっては日々、直面する問題であるらしい。物心ついた頃から、明日にでも死ぬかもしれないと考えながら生きることなど、私には想像も出来なかった。私は、赤の他人である彼が死ぬかも知れないと想像するだけでも恐ろしいのだ。
おかげで、少なからず彼に対する見方が変わってしまった。もともと線が細い細いと思っていた体は壊れ物のように脆く見えるし、彼の透明な白い肌は命の儚さを映しているようにしか見えなくなる。彼に対する接し方も、彼の言葉に対する返事も、よく分からなくなった。同情しても良いのかどうか、どうすれば彼に優しくできるのか、ベネディクトは何を望んでいるのか。 私に何ができるのか。
——が、同情しようにも優しくしようにも、ベネディクトは相変わらずのベネディクトだった。女の子とダチョウを一つの部屋に鎖で繋ぐような変人である。 複雑な思いを抱きながら袖を手放した私に、彼はそっけなく言った。
「おやすみ」
「……眠るの?」
太陽はまだ昇りきっておらず、私は先ほど目を覚ましたばかりである。こんな午前中から寝るなど、また、体調が悪くなったのだろうか。ひそかに顔色を窺おうとした私の顔を、彼は逆に覗き込んできた。熱があるのかもしれない。青色の瞳は、わずかに潤んでいるように見えた。静かに揺らめく湖面のような青に吸い込まれ、動けずにいた私の顔に、彼は額を寄せる。
「ちょ、っちょっと」
驚いて声を出した私には構わず、彼は私の前髪を持ち上げると、額と額をぴたりとくっつけた。内心で悲鳴を上げるが、目の前にある彼の顔は真面目だった。私は目を閉じることも出来ず、彼の青い瞳から目を逸らすこともできず、体を固まらせる。ひざが震えそうになるのを押さえるので精一杯だった。
彼の額は、驚くほど熱い。
「冷たい」
「あなたが熱いんでしょう」
額を離されないまま、私は何とか答えた。彼の口元が笑むのが見える。彼は額を離すと、首を横に振った。
「魔女は人間より体温が低い。それが長生きの秘訣かな」
「知らないわ、そんなこと」
「私も今度から体を冷やして眠ってみるか」
冗談とも本気ともつかない口調で言った彼に、私は何も言い返せずにいた。時折、彼が長寿や不老不死を口にするのは、生に対する執着からだろうか。そんなことを考えていると、私の手首を熱い手のひらがつかんだ。どきりと心臓が跳ね上がる。咄嗟に視線を上げられないでいる私の耳の近くで、彼の声がした。いつになく真剣に聞こえる声。
「最近、優しいのは私に同情しているからか?」
そんなことは無い。
びくりと体を震わせてしまってから——それをごまかす言葉を捜すため、私は顔を上げた。そこには思いがけなく近くに来ていた彼の顔がある。私が口を開こうとすると、それをいきなりふさがれた。唇で。
唇に押し付けられた熱い唇。
それを、キスされているのだと気づくだけの余裕はなかった。頭が真っ白になる。思わず見開いた目には、彼の長い睫毛と、額にかかる金色の髪しか映らない。彼を突き飛ばすことなど考え付かないまま、ゆっくりと唇が離されるのを感じていた。何の前触れも無く私の唇を奪った男は、放心している私を見てふっと唇だけで笑った。
「ただでキスが出来るあたり、同情されるのも悪くない」
「な」
信じられない。
かっと頭に血が上った。それは怒りなのか、それともキスによる感情なのか、分からないまま彼の体を突き飛ばしていた。ベネディクトはドアにぶつかったが、大したダメージは受けなかったらしい。変わらぬ表情で、私を観察するように見下ろしている。もしかしたら、彼にとっては魔女も駝鳥も変わらないのではないだろうか。どちらも希少で、物珍しい。彼にとっては単なる研究対象に過ぎないのではないだろうか。
何だか色々な意味で泣いてしまいたい自分を必死で制していると、彼はひらりと手を振った。
「人間も魔女も、誰もが死ぬように出来ている。大した話じゃない」
私に同情されていると感じた上での台詞だろう。同情するなと言いたいのか、彼は本気でどうでも良さそうにそう言った。が、私には納得出来ない点がある。
「それとキスと何の関係があるの」
「最近、気味が悪いくらいにレインが静かだからな。今ならひっぱたかれないだろうと思っただけだ」
体調を壊して寝込んでいた彼に気を使っていた私に対し、そんな仕打ちをするわけか。
私は思わず唇を拭った。彼はそんな私を見て、わざとらしく首を傾げた。
「ダチョウと一緒にいるのが嫌なら、私の部屋に来るか?」
「結構よ!」
調子に乗って、何をされるか分からない。即座に言い返した私に、彼は笑いながら部屋を出ていった。もちろん、彼に伴って護衛たちも移動していく。広い部屋に残されたのは、地上でばたばたと羽を動かし続けているダチョウと、ずっとその場から動けないでいる私だけ。
私は足につけられている鎖を蹴飛ばす。じゃらりと重たい音がした。
「お互い、空を飛べないのは不便ね」
一人きりになった部屋で、私はダチョウに話しかけた。
今なら良いルームメイトになれる気がする。




