エロチシズム(2/2)
夜は夜で、彼はご機嫌だった。
両脇に大勢の女性をはべらせ——彼の周りに自然に女性たちが集まったというだけだろうが——彼女たちが注ぐお酒を片っ端から空けていく。私はそれを呆れた顔で眺めていた。普段は酒を飲む方ではないが、決して弱いわけではないらしい。酒を好まないのは、単純に頭の回転が鈍くなるのが嫌なだけだと彼は語っていた。
私の前にも高価なワインが注がれていたが、正直、あまり美味しいものだとは思えなかった。はじめこそ、貴婦人ぶってグラスを傾けていたのだが、すぐに気分が悪くなってやめていた。身の丈にあわないことはすべきではない。そう考え、私は自分の格好を見下ろす。
身に着けているのは、淡い紫色のドレス。銀色のビーズが縫い付けられたそれは、煌びやかなシャンデリアの灯りに照らされて、きらきらと輝く。身に沿って流れるようなデザインのドレスは、片方は膝丈、片方はくるぶしまであるアシンメトリーなもので、ベネディクトが指示して仕立てさせたものらしい。彼はそろいでハイヒールも作らせ、ネックレスや髪飾りまで自分で選んだ。自分の衣装にこだわる彼だが、意外にも女性の格好にもこだわるらしい。
何にせよ、普通ならば一生、縁が無いだろうと思われる高価な衣装を着せられ、念入りに化粧をされて私はここに座っている。丹念に髪を結い上げられ、爪の先まで磨かれると、我ながら自分とは思えないほどに大人っぽくなった。私も一応は女の子である。綺麗な格好をするのは好きだし、きらきらとしたアクセサリーを身に着けると心が弾む。
——が、それでここが楽しいかといえば、それは別の話だった。
ベネディクトは他人の主催する夜会に出席するのは大嫌いらしいが、たまに自宅に人を招いて騒ぐのは嫌いではないらしい。ベネディクトは私には全く構わず、美しい女たちに囲まれて酒を呷っていた。楽しそうな女たちの嬌声に挟まれ、彼も楽しそうに見える。
一方、私の方は、手首につけられた鎖ははずされないままだった。それはそのまま、広間の柱に繋がれている。ドレスに合わせてか、いつも以上にきらきらとさせた鎖に白のレースが巻きつけてあるのは、なんの冗談だろう。どんなに鎖が可愛かろうが、大勢の人間に囲まれ、鎖に繋がれている自分を見られるのが愉快なはずが無い。単なるさらしものだ。
そんな私の目の前に、大勢の女を引き連れた諸悪の根源が現れる。
「不機嫌そうだな」
「あなたはご機嫌そうね」
かけられたベネディクトからの言葉に、たっぷりと毒を込めた声で返す。彼はふっと口元に笑みを浮かべると、ぞろぞろとついてきていた女たちを下がらせ、私の隣に座った。
「その格好が気に入らないのか?」
「……別に」
「そうだろう。よく似合ってる」
彼は私の髪に手をやり、髪飾りの位置を直した。どきりとするよりも早く、彼は私の前においたままになっていたワインを呷った。酔っているのだろうか。彼は空になったグラスに赤い液体を注ぐと、私の手に握らせた。
「飲まないのか?」
「美味しくないもの」
「それはもったいないな。さすがに魔女は買えないが、人が買えるほどの値段なのに」
あっさりと言われた言葉に、私はグラスを持ったまま固まった。
なんて無駄な金の使い方をするんだろう、この男は。真っ赤なワインを見下ろしながら、ふるふると指先を震わせる。この夜会を開いている金だけでも相当なものだろうに、たかが飲み物にその値段。——というか、ワインが人一人の値段で取引される社会そのものが、そもそも間違っている気がする。いや、それより人間にワインと同じように値段を付けているところが、一番、間違っているのか? 何にせよ、最低の人間である。
彼は私の手からグラスを救い出すと、また一気にあおる。美味しくないと言って残した私の言える台詞ではないが、ちょっとは味わって飲め。
「あなたね、何でもお金で買えると思ったら大間違いよ」
「それはそうだろうな」
彼はあっさりと頷いた。本当に分かっているのだろうか。しれっとした表情を崩さないを眺めていると、彼は軽く肩をすくめる。
「だが、大抵は金で買える。物だろうが体だろうが命だろうが、金のために差し出すという人間はいくらでもいるからな。対して、それを買おうとする好事家も多い。この世に値段のつけられないものなど、そうは無いだろう。実際、レインだって簡単に手に入った」
確かに私も値札をつけられて売られた。
これだから金持ちは手に負えないのだ。何でも値段をつけようとするし、何でも値段で判断する。全ての基準はお金である。私は思いきり顔をしかめる。
「昼間も女の人を買ってたものね」
「そうだな」
彼はあっさりと頷いた。私の言葉では、嫌味にもならないのだろう。ふいと顔を背けた私のあごに、彼の指先が触れた。驚いた私をよそに、彼はそのまま私の顔を彼の方に引き戻す。
「レインならいくらで私に買われる?」
「……もう、とっくにあなたに買われたんだと思っていたけれど」
その証拠に、私の腕には鎖がつけられ、この屋敷から外に出ることが出来ないのだ。だが、彼が言いたいのはそういうことではないのだろう。彼は軽く目を眇めて私を見る。
「黒髪には白い肌と銀細工が良く映えるな」
彼は無造作に、私の頬に手のひらを触れさせる。私は慌ててその手を払い、何するのよ、と彼を睨み返した。視線を受けた彼は、さぞ不機嫌になるかと思いきや、実に楽しそうに笑っていた。お酒が入っているからだろうか。彼が大きな声を立てて笑うのは珍しい。
「知っているか、レイン」
「何を?」
「男が女に服を送るのは、それを脱がせるためだと言うらしいが」
言葉を失った私は、彼の顔が近づいてきていることに気づいていなかった。
我に返ると、吐息が顔にかかるほどに近くに彼の顔がある。少し紅の差した彼の白い頬と、形の整った綺麗な鼻が、ふれあいそうなほど近い。唇と唇がぶつかりそうになった時、私は思わず彼の体を突き飛ばしていた。彼の体はテーブルにあたり、がしゃんと派手な音を立てた。グラスが床に落ちて割れ、高いワインボトルが倒れ、皿が大きな音を立てる。
一瞬、場が静寂に包まれた。全員の視線が、私と、それからテーブルに伏したベネディクトに向けられている。白いテーブルクロスには、ワインが赤い染みを広げていた。私はそれを見ながら、ただ立ち尽くす。彼にキスされそうになったことに対する驚きと、テーブルにぶつかったまま動かないベネディクトに対する焦り。それから少し、こぼれるワインに対する申し訳なさもあっただろうか。何せ人が買えるほどの値段のものである。
はじめに動いたのは、近くにいた出席者、それから護衛たちだった。彼らは突っ伏したままのベネディクトに駆け寄ろうとした。——が、その前にベネディクトがゆっくりと顔を上げた。
人々が心配する言葉を笑ってかわし、人々が寄って来ようとするのを、手を振ってやめさせる。そして彼は、熱っぽい視線を私に向けた。潤んだ青の瞳に、どきりと心臓が跳ね上がる。
「なに、」
咄嗟に言いかけた言葉は——自分でも何と続けようとしたか分からないが——すぐに霧散した。何を思ったか、彼ははまた、私のほうに顔を近づけてきたのだ。周囲が見守る中、ゆっくりと彼の体が私に向けて傾ぐ。私は今度こそどうすれば良いのか分からずに、ただ固まっていた。
だが、彼の頭は、今度は私の顔までは届かなかった。途中で、がくりとうなだれると、私の肩にもたれかかるようにして停止する。彼の呟きが、静かになった広間に響いた。
「ねむい」
「は?」
聞き返すが、何の返事も無い。ベネディクトは私の肩に寄りかかったまま動かなくなる。彼の呼吸が深くなり、本格的に寝息を立て始めるまで、ほんの数秒しかかからなかった。結局、彼は夜会が終わるまで目を覚まさず、私はずっと同じ姿勢で体を硬くして座っているはめになった。
彼は護衛たちに丁重に抱えられ部屋に戻っても、目を覚まさなかったらしい。
ちなみに翌朝、彼は何事も無かったかのように目を覚ました。
ベネディクトが私を口説いたことを覚えていなかったことは、言うまでもない。




