マンモニズム(1/2)
アルフレド・ベネディクト・ベラスコとはどのような人物か。
彼に家族はいない。
母親は彼が幼少の頃に家を出て、父親は十年前に亡くなった。以来、彼は広大な屋敷に一人で暮らしている。普通ならば子供が一人で暮らすのは大変であるはずだが、何せ彼には金がある。父や祖父や曽祖父が残した莫大な遺産があるのだ。普通の子供ならば途方にくれるほどの額だが、幸い、彼には知能もあった。遺産目当てで近づいてくる自称親族たちや詐欺師たちをはねつけ、代わりに使用人やら護衛やら研究者やらを山ほど雇うと、後は今のとおり、悠々自適な生活を送っている。
ちなみに彼の父は悪徳な事業家であり、彼の祖父は悪徳な高利貸であり、彼の曽祖父は悪徳な地主であった。だから彼は「自分が働かないことが周囲のためだ」などと嘯くが、そもそも彼は働く気など皆無だろう。もっぱら、悪徳な父たちがためた財産を使い切ることを使命だと考えている。
そんな彼はお金に興味がない。
彼に与えられた財産は莫大である。生まれた時から有り余るほどある財を、彼は特別なものであると考えていない。いくら散財したところで罪悪感など感じるわけはないし、お金がなくなることに恐怖感など感じたこともない。
だが、いくら莫大な財産とはいえ、当然ながら限りはある。彼のように湯水のように使っていては、いずれは財産が底をつき、屋敷や家財道具を売り払う羽目になるのではないだろうか。食べるものにも着る物にも困るようになり、当然ながら執事も使用人も料理人も護衛も雇えなくなる。そうなった時、彼は果たしてどうするつもりだろう。働かずに生きて行けるほど、世の中は甘くないのだ。
少しは節約したらどうかと彼に言うと、私の食事を一品だけ、減らされた。
余計な世話はするものではない。
***
「買おう」
即答したベネディクトに対し、驚いたのは私だけではなかった。商談を持ってきた商人でさえ、一瞬、ぽかんとした顔をして、それから慌てて書類に指を置いた。そこには木で出来た可愛い建物のイラストが書かれている。
「えっと、こちらの建物と土地……ではなく」
「山ごとだ」
ベネディクトの言葉に対して、商人は涙が浮かびそうなほどの満面の笑みを浮かべた。やり手にも胡散臭そうにも見える男は、どういう理由でかは知らないが、朝から山の麓に立つ建物と土地を売り込みに来ていた。ベネディクトが門前払いにしなかったということは、それなりに信頼している商人なのか、それとも最初から建物を探してもらっていたのか。だが、ベネディクトは建物本体ではなく、彼がぽろりと口にした『いっそこの山も売ってしまえないかと地主が言っている』という言葉になぜか食いついた。
「さすがベラスコ様、お目が高い。えっと、この山はキノコがたくさん採れるようですよ」
「キノコならうちの所有している土地でも採れる」
「ええと、山菜採りや狩猟などもできると聞いています。それに、そうだ。暖かい季節になれば、登山なども楽しめますよ」
「狩猟や登山など、頼まれてもしない」
にべもなく言ったベネディクトだったが、商人は特に困った様子も見せず、そうですかと頷いた。商人にしてみれば、商品が売れさえすれば、別に登山をしようが山焼きをしようが構わないのである。むしろ理由なんかを深く聞いて、ベネディクトの気が変わるのを避けたいという気持ちがひしひしと伝わってくる。
「ベラスコ様ほどのお方であれば、山の一つや二つ、所有していても使い途には困りますまい」
「いやいや、山なんか買ってどうするのよ」
あくまで笑顔で、意味がわかるようなわからないようなことを言う商人に代わり、私は思わず口を挟んでいた。建物を買って別荘にするというならまだわかるが——外出もしない彼が別荘を買うというのもだいぶ謎だが——それが建っている山ごと買ってどうする。
ベネディクトは、いつのまにか地図を広げていた。山があるあたりにペンで印をつける。どうやらここからは遠く離れており、ピクニックに行くにも泊まりがけになりそうだ。彼は山のある辺りから、赤い線を描きながら言った。
「このあたりには一千万年前の地層がはしっているからな。いつか地質学の研究者たちと、地層の発掘調査をしたいと思っていたんだ」
「発掘調査をするために、わざわざ山をまるごと買う気?」
「他人の山は、色々と手続きが大変だからな。他にも山は二つほど所有しているが、ここのように火山灰や礫で形成された山はない」
金持ちだ金持ちだと思ってはいたが、本当に山の一つや二つ、所有していようとは。山が一つでいったい幾らするのだろう。というか、普通の感覚であれば、山が売り買いできると言う発想がまずないのではなかろうか。想像すら出来ないでいる私をよそに、商人の男はうんうんと頷いた。そして善は急げとばかりに荷物をまとめる。
「それでは、地主と売却の手続きについて話し合ってまいります。人気の山ですので、早急に、他の買い手が出る前に押さえておかなければ。遅くとも三日後には伺いますので、よろしくお願いいたします」
建物のついでに売った山が、人気の山なわけがあるまい。だが、うきうきとした商人が去っていくのを止める気にはならなかった。姿が見えなくなってから、私はベネディクトに声をかける。
「山って一体いくらするの」
「さあ」
「さあ、って。値段も聞かずに買っちゃって良いの」
「地図で見ても、交通の便も良くなさそうだし、寒い時期には雪に閉ざされる。これまで誰も目をつけなかったくらいだから林業をするにも中途半端な荒れ山なのだろう。そうふっかけてはこないはずだと思うが」
彼がそういうと、次の来客が告げられた。
「通してくれ」
「今日は随分と人が来るのね?」
実は山を買った商人は、本日三番目の客人だった。初めに訪ねてきた商人からは珍しい香辛料を山ほど買い込み、二番目の商人からは異国で流行っているという香水と香水瓶を山ほど買い込んだ。山を買うまでもなく、朝から目が飛び出るほどの金額が目の前で飛び交っているのだ。
「商人が出入りできる日を決めているんだ。毎日来られては対応が面倒だろう」
「それなら、一日に入りきれないくらい商人が押しかけるんじゃない?」
なんといっても、彼はかたっぱしから商品を買っていくのだ。いいカモ——ならぬこんな上客を普通の商人なら放っておかないだろう。
「出入り禁止にした業者が山ほどいるからな。最近は下手な商人は寄り付かなくなった。今日もせいぜいあと十組だ」
執事が作ったリストを見ながら彼は言った。
下手な商人は寄り付かない、とのことだが、彼の元には定期的に不老不死の秘薬やら、馬鹿には見えない服やら、人目を避けて変身する化け猫やらを売りつけに来る商人がいる。なぜ彼らを出入り禁止にしないのだろうか。そう考えていると、執事が部屋の扉を開けた。
入って来た商人は、大きな額縁をいくつも抱えていた。風景画や人物画、油絵や水彩画など色々な絵画がある。彼らは応接室の壁に飾りきれないほどの絵を並べる。一気に部屋が美術館のようになった。ベネディクトはソファに腰掛けたまま、それらを眺める。
「ベラスコ様が好きだと仰っていた画家の作品もご用意していますよ」
ベネディクトの描く絵画を見ていると彼に到底美的センスがあるとも思えないが、描くのと観るのとでは別なのだろう。座ったままベネディクトが選んだ数枚は、私が見ても素晴らしいと思えるものだったし、やって来た商人達もいちいち『お目が高い』という言葉を連呼した。値段はやはり目が飛び出るほどの高額だったが、だんだん感覚がマヒしてくるから不思議である。いちいち驚かなくなった私も、もはや普通の生活は送れないかもしれない。
精算したお金を数えてほくほく顔の商人だったが、最後に少しだけ調子を変えて言い出した。
「ベラスコ様が多数所有しておられるキャエリーの絵画、もしよろしければ私どもに売っていただけないでしょうか?」
「キャエリーがどうした」
「いま、王侯貴族様方の間で話題になっている流行りの画家ですよ。私どもも、さる方からどうにか手に入らないかと懇願されております。特にベラスコ様の所有されている絵画は、どれも売れる前の初期のものですから、希少価値が高いのです」
「ふうん」
ベネディクトはさほど興味がなさそうに言った。そんな姿をみて、押せばいけると思ったのか、対照的に美術商の熱はどんどん上がっていく。ほとんど前のめりな姿勢で言ってきた。
「キャエリーのほんの小さな絵画でも良いのです。もちろん、下書きやデッサンでも高額で買い取らせていただきます。あ、キャエリーと一緒にこちらのお屋敷で作品をてがけたバンジャマン作の彫像や、べランジェロの絵画。こちらも手放されるのであれば是非、私どもに買い取らせてください。彼らも今では有名になりすぎて、なかなか新作が手に入らないのです。あと、クロヴィスの——」
「わかった」
話を聞くのが面倒くさくなったらしい。彼は手をあげて話を途中で制すると、執事を呼んだ。執事に美術品が置いてある部屋をそれぞれ案内するように告げてから、言った。
「好きなものがあれば何点か持ってくれば良い。今日は他にも美術商が来ている。金額は彼らと競って決めてくれ」
ベネディクトのその言葉に、彼はわかりやすいほど目を輝かせた。彼らは執事に連れられて足取り軽やかに出ていった。
しばらくすると隣の部屋で臨時のオークションが始まったらしく、先程の美術商達の声や、別の人物達の声が聞こえてきた。随分と白熱しているらしく、怒号や悲鳴まで聞こえてきたため、ベネディクトが眉根を寄せながら部屋を変えさせた。最終的に、歓喜した美術商が出てきたのは日も暮れた頃。彼らは最終的に、ベネディクトが購入した絵画の金額の何倍ものお金を置いて帰っていった。




