ヤンデレ女剣士の話
多分、ヤンデレ。
「ふっ!」
「やあっ!」
とある森の広場。局地的に開けたそこで、二本の刀がぶつかり合っていた。
長く伸ばした赤髪を広げるように。妙齢の女が軽やかに、時に苛烈に刀を振るっている。
「ーーそこ」
「あっ!」
その相手は比べるまでも無く、赤髪の女に背丈は劣り声音は幼い。
小さな体で刀を振るい立ちまわっていた少女の手から、剣戟の果て女によって刀が弾かれ少女は尻餅をついた。
「ってて……参りました」
「宜しい。今日はここまでにしておきましょうか」
女は刀を鞘に納めながら表情を崩し、柔和に笑った。
それに倣い、少女も刀を納め、砂を払いながら立ち上がった。
大人と子どもが刀を持ち、斬り合うこの光景は常人であれば正気を疑うだろう。
だが、この二人にとってはこれが日常だった。
「川辺で一休みしましょう、チサキ。お弁当もあるから」
「はい!母様!」
少女ーーチサキは母親とは似ても似つかない黒髪を揺らし、元気よく頷いた。
☆
この世には古くから魔物と呼ばれる悪しき生物が跋扈している。
ひたすらに人間に敵対的なそれに対し、剣を握りそれらと相対する事を生業としようとする者は少なからず居る。
「魔物であろうと人であろうと、刀を振るという事に変わりはありません」
「全ては一刀の下に、ですよね」
「そう。それを忘れないように、まだまだ甘いですよ」
「はい!」
川に裸足を沈め様々な具が挟まったパンを食べながら、チサキとその母ーークレナイは修練後の休息に浸っていた。この休息も含めて、チサキの日課だった。
「それじゃあ、父様のお話を聞かせてください!北の国の要人を警護する、というお話でしたよね!」
チサキはじゃぶじゃぶと川を蹴りながら、自らの父親の話を急かした。
チサキが物心付いた時、傍に居たのは母であるクレナイただ一人だった。
他の家族との違い、そして何故自分の髪の色は母と同じ赤ではなく黒なのか。
それに対する返答が、チサキが生まれる前に母の下を離れたという父の存在の明言だ。
クレナイは少し呆れたように微笑んだ。
「もう、本当にあの人の事が気になるのね」
「はい!今までのお話は、全部本当の事なんですよね?」
「ええ、西の国の大百足討伐も、南の国の一騎打ちも、全て本当の事よ」
「だったら!気になるに決まっています!」
父の存在を知らされたチサキは、その後良く母に父の話をねだった。
始めは小さな小さな好奇心から。
若かりし頃の父と母の出会いから始まり、その後二人で世界を回り剣術を鍛える武者修行の一端を聞くにつれ、チサキの好奇心は憧れとも取れるような物に肥大化し、成長した今でも話を聞きたがった。
「会ってみたいなぁ……」
何度も聞いた話の中での父を妄想し、チサキはその言葉を零した。
「……そうね。会いたい、会いたいよね」
母の雰囲気の変化を、チサキは感じ取っていた。
それは、普段修練の時以外は柔らかで、笑みを絶やさない母の物ではない。
父の話をするとなる事がある、チサキが良く知らない母の一面だった。
「チサキの剣は確実に上質で、そしてそれをあの人はまだ知らない。絶対に興味を示す筈……」
「母様?」
「……ああ、うん、そうね。やっぱり会ってみたいよね」
ーーもうすぐ、もうすぐ会いに行けるわ。
そう言って、クレナイはチサキに笑みを向けた。
平時の物と違う。どこか若く、どこか妖しく、譲れない芯のような物を感じさせるその笑みを見て、チサキは少し戸惑いながらも返事をした。
☆
父が母の下を離れた明確な理由を、チサキは知らなかった。
何故居なくなったのかと何度か聞いた事はあれど、その度帰ってくるのは曖昧な返事ばかり。
語りたくない、という態度が露骨に感じられ、チサキはその好奇心を抑えてそれ以上を追求する事は無かった。
「それじゃあ、行くわね。どうしても一日は居なくなるから……」
「ご飯は自分で、それと修練を忘れないように!」
「そう、お願いね」
とある中規模の村、そこから少し外れた森の近くに二人は住んでいた。
二人で旅をしていたという父と母が、どのタイミングで居を構えたのか。生まれた時からそこに住んでいたチサキには分からない。
村民との関係は良好だ。クレナイは村との契約通りに周辺の魔物の退治を徹底しているし、それを抜きにしても、村民が二人に向ける視線はどこか優しく、同情的と言っても良かった。
「……待ちに待った好機、今しか無い!」
魔物の駆除により、クレナイは家を留守にする事になった。
いつもなら半日もかからないが、今回は違った。
「この部屋……。確実に父様に関する何かがある筈」
物置部屋が主な家の二階。そこにチサキが未だ一度も入ったことが無い、謎の部屋があった。
鍵で開かず、母に頼んでも頑なに許可しようとしない。ほかの部屋には父の痕跡が少しも無いことから、その部屋は父関連の何かがあるとチサキは考えていた。
開かずの部屋と、まだ見ぬ敬愛する父の情報。チサキは限界だった。
チサキは腰の鞘に手を当て、構えた。
「ーーハッ!」
一閃。その一撃は物々しい錠前を両断し、分かたれた鉄の塊がゴトリと床に落ちた。チサキには今の自分ならば切れるという確信があった。
確実に叱られるだろうが、好奇心が上回る。
「ーーげほっ、ホコリが……」
掃除をしていないのか、踏み入った瞬間にホコリが舞った。
人の腕程の小さな窓が幾つかある、薄暗い部屋だった。あるのはタンスとテーブル、それとベッドのみ。
「牢屋、みたい……」
チサキが真っ先に思い浮かんだ物がそれだ。
一度だけ見た、村の地下にある罪人を閉じ込める為の部屋。無機質な鉄格子こそ無いが、漂う雰囲気がそれを早期させた。
更に踏み入り、先程から目に付いていた物に近づいた。
「本……いや、これはーー」
本よりは薄い、紙の束。表紙には何も描かれていない。
己の鼓動が早まるのを感じながら、チサキをそれを少しめくり、そして確信した。
「日記」
ドクンと、強く心臓が鳴った。
☆
暇潰せるもんを要求したら、紙束寄越して来やがった
こっから出れねえってのに、日記を書けと言いやがる。しかも炭で書けと。バカなんじゃないか?
まあ、俺に武器になるもんを渡さないのは正解だが、色々と腹が立つ
「これを、父様が……?」
粗野な文調と、それに反するような丁寧な字。
それだけで、これを書いた人物の人格が微かに読み取れる。
そしてそれは今までチサキが母から聞き、夢想して来た父の像と重なる。
だが、それ以上に気になる点。
「本気で悪く言ってるようにしか見えない」
母曰く、父は表面上は不愛想で刺々しい。しかしその内ではしっかりと相手を想っているという。
だが、その言葉に優しさが隠れているとは思えなかった。
悪態を付いている場所だけ、微かに文字が歪んでいたから。
足の治りは遅い。治ったとしても後に響くだろう。
苛つくが、恥でもある。二度と同じ轍は踏まん。
それと、これの中身は見ないらしい。恥ずかしいとかほざいていたが、狂ってるとしか思えん。
自分の足ぶち抜いて、手枷付けて閉じ込めた女を、本気で好いていると思ってやがる。
クソッ
ベッドの足元にあった手枷が目に入った。
読み進める。
治ってきた。重要なのは逃げ切るだけの足だ。
腕は鈍ってねえ、だが足がやられてんのはデカいし、武器がねえ。癪だが逃げに徹する。
それにしても従順するってのは、疲れるな。
読み進める。
しばらく、書き殴ったような内容が続く。
恐らく、もう走れる。
痛みは残るが、許容範囲だ。
あいつも油断しきってる。チャンスはいくらでも。
やっとだ。
最後のページを開いた。
これが最後になる。思いのほか、この紙束も役に立った。
クレナイ。お前はどうせこれを見るだろうから、言いたい事は言っておく。
お前が強引な手で俺を閉じ込めて好き勝手する前は、妹弟子としてお前の事はそれなりに気に入っていた。どういう事か分かるな?
俺は秘奥を目指す。俺が目当てというなら追いかけて来るな。二度目は無い。
じゃあな。
それを最後に、文字は途切れた。
濁流の様な情報量。教えられた事との乖離。
「ーーはは」
それらが頭を巡る中、チサキは微かに笑っていた。
☆
「何故あの中に入ったのッ!チサキ!」
二人にとっては、いつもの森の広場。
ただ、場を包む雰囲気だけかけ離れていた。
母の凄まじい怒気。それに混じる闘争の圧を、チサキは感じ取っていた。
「気になったから、です」
チサキは動じる事無く、憮然と返す。怒気が増した。
「いつか話す、見せると言ったでしょう!勝手に踏み入るなんてーー」
「話せないし、見せれませんよね?」
差し込むようなチサキの言葉に、クレナイの言葉が詰まった。
チサキは人差し指を立てた。
「母様は明確に一つ、嘘をついています。二人はまともな関係ではなかった。それも母様の一方的な」
「……見たのね、全て」
「はい、聞かせてくれませんか?今ここで」
眉一つ動じないチサキの顔を、クレナイは初めて見た。
その顔が何を意味するか分からない。だが、元より近々ある程度の情報は開示する予定だった。
思案の末、クレナイは口を開いた。
「……剣の秘奥の事。何度か聞かせたでしょう」
「ええ。父様の話で何度か出て来た言葉です」
「過去たった一人が辿り着いたという秘奥……それを求める彼に、私は同行していた。--そして気付いたの」
クレナイの雰囲気が完全に変わる。
もはやチサキの知る母は、目の前に居なかった。
「その先には破滅しか無い……!剣術の極意には私にも興味が有った。だから同行した。でも、それは彼の存在を引き換える程の物ではない」
「……」
「分かるでしょう……!説得しても聞き入れない彼を、私は引き留めたの。剣の事は忘れるように、あの家に居たいと思うように!」
「そうして、父様は逃げてしまった」
「……そう。でも」
期待するような、縋るような眼を、クレナイはチサキに向けた。
「チサキ、あなたが生まれた!あの人だって自分の子は無碍には出来ない、あなたの剣だって彼の気を惹く!」
それは、日記の文言がそのまま当てはまる様相だった。
執着、恋慕、そして少しの狂気。
クレナイはいつものようにチサキに微笑みかけた。
「彼を追いましょう……?チサキ、憧れてたもんね、会いたいって言ってたもんね。もうすぐ会えるよ、二人で迫ればきっとーー」
「嫌です」
「……へ?」
クレナイは唖然としていた。
拒否させるとは思いも寄らなかったからだ。
剣を身に付けさせ、父親の話を積極的に話し、ここまで育て上げた、言わばクレナイの切り札。
チサキは恰好を崩し、頭を振った。
「母様は分かっていませんね。私は父様の求道者としての姿を、今までの話の中で想起してきた」
「チ、チサキ?」
「剣の秘奥……良いです!そしてそれを求めているという父様もまた、素晴らしい。ーー私が憧れたのはそういう部分です。だから」
ーー正直言って、母様には少し失望しました。
チサキは温度が抜けてしまったような顔で、そう言い放った。
それはクレナイにとって、既視感のある表情だった。
秘奥を目指すのは止めろと、引き留めた時に見せた彼のあの顔。
その顔が、黒髪が余りにも恐ろしくて、似通っていて。
だからクレナイは。
「ッ!ーーチサキィッ!」
振るえる手で、思わず腰の刀を抜いていた。
反射的な行動。修練のような手加減は微塵も存在しない。
「そうやって、父様の足を斬ったのですね」
「ーーッ!?」
チサキは足に迫る刃を完全に受け切っていた。同じく抜いた刀で。
抜いたタイミングはクレナイよりも明らかに遅かった。
久しく感じていなかった恐怖を、クレナイは感じた。
「チ、サキ、あなたーー」
「ごめんなさい、母様。言いそびれていました」
剣閃が舞う。
次の瞬間、クレナイの目の前には地面が有った。
「多分私、もう母様より強いです」
淡々と、チサキはそう宣言した。
「そ、んな」
「峰ですよ。安心してください」
体が動かない。剣はもう手放してしまっている。
クレナイはもう、どうする事も出来なかった。
刀を納め、チサキは歩き去ろうとしている。
「良い機会なので、私も旅に出ます。母様、今までお世話になりました」
「まっ、て」
「路銀は村の人からの貰ってたお小遣いで当分は足りるので、家のお金には手を付けません。安心してください」
「チサ、キ。あなたと、一緒にーー」
「あ、そうだ」
ーー父様には私が会いに行きますので、安心してくださいね!
その言葉が、零れる涙を感じながら朦朧とした意識の中での、クレナイが聞いた娘の最後の言葉だった。
完全に地に伏せたクレナイを背に、鼻歌を歌いながらチサキは歩き出した。
「楽しみだなあ……剣の秘奥と父様。あ、もちろん父様自身の性格とか、人となりも気になりますよ?母様。あ、もう聞こえてないか」
軽やかに、楽し気に、娘は行く。
☆
「……どうでしたか、カネヨリ殿」
「外れだ。二つ前の流派と何ら変わらん」
とある町の道場の門前。教えを乞うた者には平等に剣術を指南するそこに、二人の人間が居た。
乱雑な黒髪と鋭い目を持つ男と、色素の薄い金髪を短く纏めた美丈夫に見える女。
「おっ、と」
「ッ!危ないですよ!」
門から出て来た男が、何かに躓くように体勢を崩した。
慌てて、女が支えるように動く。
支えられ、男は煩わしそうに舌打ちをした。
「ちっ、ジジイじゃねえんだ。そこまでしなくて良い」
「……お言葉ですが、例の足傷が痛むのでは?少し、療養に努めた方が」
「ーーバカ言うんじゃねえ」
男は女の手を払い、その目を見た。
「お前を同行させる際の約束事、覚えてるな?」
「……カ、カネヨリ殿の行動を、阻害しないと」
その冷たさすら感じる目に、思わず女はたじろいだ。
「そうだ。……ただでさえあのバカのせいで時間食ってんだ」
「……」
「お前は筋が良い。だから同行させた。秘奥の取っ掛かりになるかもしれねえからな。俺の心配するなら少しでもーー」
「カネヨリさんですか?」
名を呼ばれ、二人は振り返った。
そこに居たのは男と同じ、黒髪を持った少女。
女は少女が浮かべる微笑みと、何かを湛えたような眼に気味の悪さを感じ、男は腰の刀とその佇まいを見て頬を緩めた。
「ガキ……だが中々。俺に用か」
「ーー私を、あなたに同行させてください!あなたの行く先を見たいのです!」
無垢な笑顔と瞳で、少女はそう答える。
これは拾い物かもしれないと、男は益々頬を緩めた。
「良い」
「ッ!子どもですよ!しかも得体の知れない!」
「うっせえ。ーーそれで、話はそれだけか?」
少女が何を求めているか、男にはすぐに分かった。
抑えられない。そういう顔だった。
喜色を弾ませ、少女は答えた。
「私と、立ち合ってください!」
「……昔、油断して痛いのを貰ってな。そっからは気が緩まねえようにしてる」
「……?」
「立ち合いたいなら、黙って来いって話だ」
「ーーはいっ!」
二人は刀を抜く。
認知の差はあれど、愉快に笑う顔はどうしようもなく、似通っていた。