009.恋に性別は関係ないと思いますか?
気まずい時間はとても長く感じるものだ。
新人ちゃんは先にファミレスについており、ドリンクバーを頼んでいた。ドリンクバーを注文したということはそれなりに長い会話をするのだろうと期待をし、エンちゃんもドリンクバーを注文した。
しかし、新人ちゃんから猫又さんの知り合いがいないか聞かれ、「いないですねぇ」と正直に答えた。
それからエンちゃんは無言で飲み物をなめるように飲んでいる。新人ちゃんは本当にそれだけの用事しかなかったようで、新人ちゃんの飲みものは空だ。ドリンクバーを注文したのに空である。
「あ、あの……」
あまりに気まずいため、何か話題を出そうと口を開いた。
「あ、えーと。用事を思い出しちゃって! お先に失礼しますね」
新人ちゃんは伝票を手に取ると急いで出口の方へ走っていった。
あとに残されたエンちゃんがとても悲しい気持ちになったのは言うまでもなかった。
エンちゃんがひどい扱いを受け、周囲の好気の目も気にせず、ファミレスの机の上に突っ伏しているのを先輩さんはオロオロしながら見ていた。
慰めに行こうか、でも、偶然に出会ったことにするにはちょっと苦しい。もし、新人ちゃんの後をつけていたことに気が付かれてしまったら、先輩さんの方が恥ずかしくて死んでしまう。
そうこうするうちにエンちゃんはムクッと立ち上がり、ファミレスを出ていった。
先輩さんはなんとなく心配になってエンちゃんのあとを付け始めた。
ヴァルハラDCのマシン室の一角。
白い布を頭からかぶった人物がとあるラックの鍵をこじ開けていた。
周囲にローカルエンジニアや他の顧客はいない。しかし、監視カメラが各所に設置されているはずであり、サービスデスクにいるローカルエンジニアが見張っているはずだった。だが、白い布の人物に気がつく様子はなく、扉は歪んで開いてしまう。
「最近、話題になっているダンジョンはこのサーバーに入っているのか」
通常、ひとつのサーバーにひとつのダンジョンが入っているということはない。ただ何事にも例外がある。
仮想化しているとサーバーの計算性能を最大限まで引き出すことができない。つまり、シングルスレッドで最大の処理能力を必要とするのなら、サーバーをそのまま使うベアメタルで利用するしかないのだ。
「さて、ここからは時間の勝負だ」
サーバーのマウンタから、おもむろにストレージを取り外す。メンテナンスLEDが橙色に光った。ダンジョン運営会社の監視装置がエンジニアにアラートを送っていることだろう。
取り出したストレージを持ってきた鞄に入れると、次の瞬間にはその場から消えていた。
自宅に帰ろうとしていたエンちゃんはスマホに飛んできたアラートを確認する。
「物理故障?」
アラートはミラーリングしているストレージ装置のひとつを認識しなくなったというものだった。直ちに大障害につながるような故障ではないが、二重故障が発生するとデータが完全に壊れてしまい、バックアップから復旧しなければならなくなる。
エンちゃんは急いで保守窓口に電話をかけると、故障交換の手続きを取った。
「はぁ……」
弱り目に祟り目。
今日のエンちゃんは不幸なことばかり起きている。どんどんなくなっていくやる気を絞り出すと、ヴァルハラDCに急いで行くのだった。
ダンジョンシステムを作った人も、運営している人も、利用している人間も知らないことがあった。
それは霊魂が何かということである。
メモリに読み出され、ストレージに保存され、バックアップされた場合、真の霊魂はどこにあるのだろうか。そして、冒険を終えた霊魂は再び人間へ書き戻される。
誰も疑問に思わないことを疑問に思ったものがいる。十字天界出身の聖人のひとりであるマッドさんである。十字天界における聖人とは、もともと異教の神や偉人であったものが、十字天界に統合される過程で得た地位であり、本当の出身地は十字天界ではない。
だからこそ、マッドさんは霊魂に疑問に持ったのだ。
机の上にヴァルハラDCから拝借してきたストレージを置く。マッドさんの推論が正しければ、この中にはメモリ上からコピーされた霊魂が入っているはずだ。
霊魂の研究はいくつかの段階が必要になる。
まずはストレージから霊魂を取り出す方法。
取り出した霊魂を人間へ書き戻す方法。
そして、霊魂を再びメモリまたはストレージへ送る方法だ。
これらはすべて秘匿された情報である。ダンジョンシステムのほとんどはオープンソースであり、ソースコードを解読することで、これらの方法を理解できるはずだが、どんなにソースコードを読んでもマッドさんは理解できなかった。
もし機能がソースコードに含まれていないのなら、サーバーにインストールしても霊魂を読み出したり書き出したりすることはないはずである。しかし、実際にはその現象は発生している。
マッドさんのような聖人でさえ、その程度しかわからないのだから、ダンジョン運営会社のほとんどの悪魔は霊魂に関する不思議に気がついてすらいなかった。
誰かが特別な何かを埋め込んでいるのは間違いがない。
それが呪文なのか魔法陣なのか、それともマッドさんの知らないなにかなのか。
解明することでマッドさんはもう一段上に上がれると考えていた。いつの日か、自分の原点を取り戻すことを夢見て。
「これはひどいですね……」
大きく歪んだラック扉を見て先輩さんはつぶやいた。
「何があったんですか?」
ラック扉は大きく歪んでこじ開けられており、その上でストレージのひとつが抜き取られていた。
どう考えても異常であり、ヴァルハラDCの失態だ。下手をしなくても警察案件でヴァルハラDCの信用問題になるであろう。
ただ、あまりの異常さにエンちゃんも思考能力が停止しており、とにかく復旧作業をしなければならないと考えてしまった。
「ラック扉の交換をお願いします。僕は復旧作業をしていますので」
エンちゃんはデータセンターの入り口で保守業者から送られたストレージ装置を受け取っていた。あとは抜き取られたストレージの代わりに差し込めば、リビルドという構成を修復する機能が実行され、ミラーリングのもう片方のストレージ装置からデータが書き込まれるはずだ。
先輩さんはPHSを取り出し、サービスデスクにいる同僚に替えのラック扉と証拠写真を撮影するためのデジカメを持ってくるように依頼する。
「中身は無事みたいですね」
コンソールから該当サーバーの状態を確認する。ストレージ管理ツールからステータスを確認できるのだが、残されたストレージにダメージはないようだった。
こうなると犯人の目的はデータを盗むことだと思われた。しかし、サーバーに備え付けられたストレージにはダンジョンの情報は入っていない。こういう仮想基盤ではたくさんのサーバーでデータを共有する必要があるため、ストレージ装置は別にあるのだ。サーバーに備え付けられたストレージはOSやプログラムが入っているだけだ。
エンちゃんはラック扉が壊された状況や盗んでいったものが見当違いのものであることから、データセンターに詳しいものではないと考える。
「全く、なんでこんなことが」
エンちゃんは小さく舌打ちしたが、サーバーの排気音にかき消された。